宇宙は無限次元完全連続体である

このQ&Aのポイント
  • 宇宙は完全連続体であり、スケールの違いも存在しない。
  • 宇宙は無限次元なのであり、ミクロもマクロもない。
  • 宇宙は無限次元完全連続体として存在し、万物の根源である。
回答を見る
  • ベストアンサー

宇宙は無限次元完全連続体である。

宇宙連続体仮説 この宇宙空間のあらゆる一粒一粒の中には、実は我々が見ている宇宙と変わらない広大な世界が広がっているのである。 つまり宇宙は完全連続体なのである。 この宇宙は完全連続体であるゆえ、この宇宙には実はスケールの違いというものは本来存在しないのである。 この宇宙は完全連続体であるゆえ、この宇宙には実はミクロもマクロもないのである。 それゆえ我々の知る宇宙自体は完全連続体宇宙の中の一粒に過ぎないのであり、また我々が見る1滴の雫の中には実は我々が見ているこの宇宙と変わらない広大な宇宙が広がっているのである。 宇宙は完全連続体なのであり、同時に無限次元なのである。 万物の根源、宇宙の法則、アルケーの意図の下に宇宙は無限次元完全連続体として存在しているのである。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.5

私の回答に対する返信を読みました。 で、再度、申し上げます。 アリストテレスは無限には、分割による無限と加算による無限があり、分割による無限とは、線分があったとして、それを無限に分割できる、ということ。 そして加算による無限とは、1、2、3、4、5、6、7と自然数をどこまでも連ねて行くことです。 そしてアリストテレスは「無限は数学的・理念的には可能だが、現実的には不可能である」と言っています。 あなたは「線分は無限に分割できる」と言っていますが、確かに数学なら、可能ですが、現実的には不可能です。 線分という以上、端から終わりまでの長さがあり、それは有限です。 だから、その線分を分割しても、それも有限であることには変わりません。 あなたは、ユークリッド幾何学の点と線の定義、点と線は長さを持たず、面積を持たない、というのを知っていると思いますが、だとすると、点をいくら無限に連ねても、線にはなりません。 なぜって、点とか線は「ゼロ」なのですから。 ゼロをいくら足してもゼロです。 そして線は「ゼロ」なんですから、線をいくら分割しても「ゼロ」です。 無限にはなりません! 無限に分割できません! それが数学のいうところです。 あなたは宇宙は無限連続体と言いますが、宇宙には時間的に始まりがあり、終りがあり、そして空間的に有限ですので、とうてい宇宙を無限とは言えないと思います。 私たちの宇宙は今から346億年前に1個の素粒子のビッグ・バンから始まったとされます。 宇宙には、始まりがあるということです。 始まりがあるものは、終りもあります。 そして始まりがあるということは、宇宙は有限だということです。 アリストテレスのいうように無限は数学的には可能ですが、現実的には不可能だから。 現実的に言えば、「無際限」ということは可能かもしれませんが、「無限」というのは不可能です。 有限なものを集合するのは「無際限」です。 無限は「完全連続体」とは言えません。 連続とは、有限なものが連続する、ということですから、それは「無際限」です。 あなたは「無限」と「無際限」を混同しています! あなたは、数学の世界と現実の世界を混同しています! 「無限次元」というのも数学の世界の話で、現実にはそんなものは存在しません!

hitonomichi36
質問者

お礼

>あなたは、ユークリッド幾何学の点と線の定義、点と線は長さを持たず、面積を持たない、というのを知っていると思いますが、だとすると、点をいくら無限に連ねても、線にはなりません。 なぜって、点とか線は「ゼロ」なのですから。 ゼロをいくら足してもゼロです。 よく考えてみてくれ。 もちろんゼロ+ゼロ=ゼロである。 しかし長さ1の線分や、面積1の四角形は存在するではないか。 そのことはどー説明する。 >アリストテレスは無限には、分割による無限と加算による無限があり、分割による無限とは、線分があったとして、それを無限に分割できる、ということ。 アリストテレスの考えた無限は現代の数学では最も矮小な無限であることが分かっているのである。  

その他の回答 (6)

回答No.7

マックスプランクは、連続体では無いと考えていたようですがね。 まあ、人の道の方がマックスプランクよりも偉大であるという可能性は否定しないけど。

回答No.6

御盛んですね。 応援してますよ。 頑張ってください。

noname#228760
noname#228760
回答No.4

自作の詩にしてどうなの?ってレベルですね。 質問ではないので報告しておきます。

回答No.3

全く根拠の提示のない、詩作です。 エネルギーには、量子という最小単位が あり、その射影として、時間も空間も 不連続です。 もし連続的なら、電子は軌道を維持できず、 エネルギーを放出して軌道低下=原子核に 落下し、全ての物体は崩壊してしまいます。 (お得意の聞きかじりの知識に、これは なかったですか?)

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.2

あのう、無限と連続体は背反するのではないでしょうか? 有限なものを集合することは、無際限であって、無限ではありません。 連続体というと、有限なものが連続している、と言っているように聞こえます。 無際限と無限とでは、大きな違いがあります。 かつて、ルネサンス期のブルーノが、宇宙は無限だと言ったことから、バチカンの怒りを買い、火炙りの刑に処せられました。 宇宙が無限ということは「無神論」に通じるからです。 キリスト教は神が宇宙や人間を創造したと言っているのですから、宇宙は無限ではなく、有限でなければなりません。 そしてあなたの言っていることを聞いていると、スピノザの「汎神論」の神=自然というのを連想します。 自然の隅々に、至る所に神がいる、という。 でも、そのスピノザも、「無神論」の廉で、ユダヤ教会から破門されました。 このスピノザの「汎神論」に近いのが、日本神道の世界観です。 日本神道は、自然の至る所に神々がいる、と言っています。 樹木にも、河川にも、そして山にも、岩にも、至る所に神々がいると言っています。 場合によっては、家庭にも「カミさん」がいるし、そして最近は「トイレの神さま」もいます。 日本は多神教の国です。 あなたの言っていることを聞くと、この日本神道の世界観を述べているのだと思います。 無限と無際限は違うし、無限は有限なものからなるものではないし・・・・・ 違いますか?

hitonomichi36
質問者

お礼

  >連続体というと、有限なものが連続している、と言っているように聞こえます。 頭が固い。 例えば1本の線分はそれ自体点の連続体であり、無限である。 1個の4角形はそれ自体線の連続体であり、無限である。 1個の立方体はそれ自体面の連続体であり、無限である。 このよーにして無限次元まで連続体は続くのである。 全て存在は無限なのである。  

回答No.1

重力で時空が曲がって、光まで曲がってしまったのだろう。

関連するQ&A

  • ビッグバン有限宇宙は人間が望む世界なのか

      少し考えてみた。 もし万物の根源、宇宙の法則であるアルケーの神は存在せず、 あるいは宇宙は無限であると教えるアルケーの神は正しくなく、 ビッグバンのみが正しいとする。 その結果この世界は137億年前に突如として無から生まれたものであり、 また宇宙は無限ではなく、まるで器のよーに閉じた有限な世界なのであり、 この世界は人間のために創造され、人間のために存在し、神も仏も全て人間のために有り、 天国や地獄も全て人間のために神や仏が用意したものであるとする。 これが正しい世界であるとしたとき、このよーな世界は果たして人間が望む世界なのであろーかと考えてみた。 しかし、どーしてもわしにはこのよーな世界は暗黒の世界にしか映らない。 やはり宇宙は無限であると教える万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神の世界のほーが遙かにマシであると思うが、このよーに思うのはわし一人であろーか。 あ~、アルケー、  

  • 宇宙は完全連続体である

      どのよーな素粒子を発見してもその内部には更にミクロな別の素粒子が現れるとする。 1つの素粒子を発見しても常にその内部には新たな構造が姿を表し、別の素粒子が現れるとする。 そしてこの素粒子探索のプロセスは果てしなく無限に続くことになるとする。 するとある段階から究極の素粒子など存在しないのではないかと考え始めるよーになるでしょう。 このとき人類はこの宇宙が完全連続体であることを認識するのではないか。  

  • あまりに正しいこととは何か

    それは宇宙の基本原理、アルケーの教えである。 宇宙原理 「宇宙は一様かつ等方であり、宇宙には特別な場所は存在しない」 等質宇宙原理 「宇宙の法則は普遍的であり、宇宙の至るところで同一である」 一般相対性原理 「曲がったものから見て真っ直ぐに見えるものとは同じく曲がったものである。」 宇宙連続体原理 「宇宙は無限次元完全連続体であり、宇宙空間の一粒一粒の中に実は我々が見ている宇宙と変わらない広大な世界が広がっている。」 地球近傍原理 「我々の宇宙とは我々が観測可能な宇宙を意味するに過ぎない」

  • 完全連続体宇宙

       どのよーな素粒子を発見してもその内部には更にミクロな別の素粒子が現れる。 1つの素粒子を発見しても常にその内部には新たな構造が姿を表し、別の素粒子が現れる。 そしてこの素粒子探索のプロセスは人間が続ける限り果てしなく無限に続くことになる。 するとある段階から究極の素粒子など存在しないのではないかと考え始めるに違いない。 このときに至って人類はこの宇宙が完全連続体であることを認識するのではなかろーか。  

  • 神は仏であり、仏は神である

      神と仏は同じである。 なぜなら神も仏もただ一つのものを意味するからである。 ただ一つのものとは宇宙の法則である。 即ち、神=仏=宇宙の法則なのである。 では宇宙の法則とは何か。 それは我々の周りにある森羅万象を生み出す根源である。 ギリシャの哲学者たちはそれを万物の根源、アルケーと呼んだのである。 そして彼らはアルケーが何か追い求めたのである。 そこから真理の探求が始まり、哲学が生まれたのであった。 そして21世紀になり一つの答えが与えられた。 それはアルケーは宇宙の法則であるということ、そしてアルケーとは他でもない神そのものであるということである。 「万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神を除いて如何なる神も仏も存在しない。」 これがギリシャの哲学者たちが追い求めてきたアルケーとは何かに対する最終的な答えである。     アルケー本願 アルケーの神は偉大である、 アルケーの神は万物の根源である、 アルケーの神は宇宙の法則である、 アルケーの神は唯一絶対である、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は永遠無限である、 アルケーの神は永遠不変である、 アルケーの神は永遠不滅である、 アルケーの神は信じるためのものではない、拝むためのものでもない、願うためのものでもない、 アルケーの神は感じることの出来るもの、理解することの出来るものである、 アルケーの神を除いて如何なる神も存在しない、 アルケーの神ほど偉大なものはない。  

  • 永遠に変わることのないものとは何か

      諸行無常とされるこの世界の中で、ありとあらゆるものが変わってゆくこの世界の中にあって永遠に変わらないものとは何か。 真の意味において変わることのないもの、永遠不変なものは存在するのか。 もし究極的な意味において永遠不変なものがあるとするなら、それは宇宙の法則を除いて他には有り得まい。 そのように考える以外ないのである。 そのように考える以外ないということは、そのことを信じようとするのではなく、またそのことを願うわけでもなく、ただただそのように考える以外ほかにないということである。 そして永遠不変なものは確かに存在し、それは宇宙の法則であり、宇宙の法則を除いて他には有り得ないのであれば、宇宙の法則が神であると結論する以外ない。 更にこの永遠不変なる宇宙の法則が万物の根源であることを知れば、神は万物の根源、宇宙の法則であるアルケーを除いて他には存在し得ないことも分かるのである。 万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神を除いて如何なる神も存在しない。 これにて何も問題はあるまい。    

  • 神は信じるものではない、神は感じるものである

      万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神は申された。 「ここにいるあなたがた皆に言っておきます。 あなたがたは神を信じようともがいても無駄である。 神を信じようともがいたところで決して神を信じることは出来ないのである。 何故なら神は信じるものではなく、感じるものだからである。 だから神を感じることが出来ないのであれば、なおのこと神を信じることなど出来るはずはない。 あなたがたは神を信じようともがいている限り、神が何かまるで分かっていないのである。 神が何かも分からずその神を信じようとしている。 何かも分からぬ神を信じることが出来るわけがない。 あなたがたは神が何かまるで分かっていないのである。 それが故にあなたがたは神を信じようなどと愚かなことを考えるのである。 神が何であるかまず知りなさい。 ここにいるあなたがた皆にはっきりと言っておきます。 宇宙の法則が神である。 そして万物の根源、宇宙の法則、アルケーを除いて如何なる神も存在しないし、また存在し得ないことを知りなさい。 そうすれば神を信じようともがく必要はなく、神を感じることができるようになるのである。」 アルケーの神はこのように申された。 それでもあなたがたは神を信じようと願いますか。    

  • アルケーの神は偉大なり

      宇宙の法則、万物の根源であるアルケーの神を除いて神は存在しない アルケーの神は唯一絶対である、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は永遠無限である、 アルケーの神は永遠不変である、 アルケーの神は永遠不滅である、 アルケーの神は偉大である これを否定できる者などおるまい。  

  • 宇宙原理は美しい

      昔々人々は宇宙は地球を中心に回っていると考えていたそーである。 哀れなほど愚かである。 それから時が経ち人々は宇宙は地球ではなく、太陽を中心に回っていると考えるよーになったそーである。 これもまた愚かには違いない。 しかしあるとき賢人が現れ、いやいや宇宙には中心などという特別な場所は存在しないと考えたのでした。 これがすなわち宇宙原理である。 宇宙原理 「宇宙は一様かつ等方であり、宇宙には特別な場所は存在しないという原理」 宇宙原理は美しい。 これがまさしく真理であり、万物の根源、宇宙の法則、アルケーの教えに近いのではありませんか。

  • アルケーの神は偉大なり

       今から2500年前、ギリシャの哲学者ターレスは考えた。 万物の根源は何かと。 ターレスは万物の根源をアルケーと呼んだ。 そしてターレスはアルケーは水であるとした。 ヘラクレイトスもアルケーは何か追い求めた。 そしてヘラクレイトスはアルケーは火であるとした。 ピタゴラスもアルケーは何であるか探求した。 そしてピタゴラスはアルケーは数であるとした。 デモクリトスもアルケーは何かと考えた。 そしてデモクリトスはアルケーは原子であるとした。 それから2500年が経ち、21世紀になった。 そこには「人の道」がいた。 「人の道」もまたアルケーは何か探求した。 そして「人の道」はアルケーは宇宙の法則であると悟った。 また神はアルケーに他ならないことが判った。 そしてついにアルケーの神が誕生した。 アルケーの神は唯一絶対である、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は永遠無限である、 アルケーの神は永遠不変である、 アルケーの神は永遠不滅である、 アルケーの神は偉大である 宇宙の法則、万物の根源であるアルケーの神を除いて神は存在しない。 これを否定できる者などおるまいが、アルケーの神について皆はどー思うか聞かしてくれ。                 アルケーの音楽