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思うと思えるの違い
「・・・わかりかねていたのです。この本に存在理由があるのかさえ疑問に思えるのでした。」(理解するってどういうこと? 新曜社) この場合の「思える」は「思う」と何が違いますか?
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- g27anato
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「思う」は自分の意思です。 「思える」は… 「実際にそう思って構わないか、その検証は省くが」 「そう感じるし、そう思うことができる。」 …そのような感覚、考えの結果や可能性を、一言で言い表した言葉です。 「思う」という自らの意識は表明せずに、 第三者的な立場から、一般的な可能性という形で表現してます。
No.1の補足。 断定の強さの段階。ただし,個人的な言語感覚も反映しています。 ・存在理由はない(最強の否定的な断定;ぼくはこの表現を好む 笑) ・存在理由はないと思う ・存在理由はないと思える ・存在理由があるとは思わない ・存在理由があるとは思えない ・存在理由に疑問がある ・存在理由に疑問があると思う ・存在理由に疑問があると思える ・存在理由に疑問があるように思う ・存在理由に疑問があるように思える ・存在理由に疑問があるようにも思う ・存在理由に疑問があるようにも思える(そんな曖昧な意見は書かないほうがましだ 笑)
- seble
- ベストアンサー率27% (4041/14683)
ニュアンスの違い。 「思える」の方が弱い。
「思う」は,断定的な表現になるでしょう。「存在理由があるのかさえ疑問に思う」と書くと,ほとんど存在理由を否定したように読めます。「それじゃあ,こんな本なんか出版しなきゃ(読まなきゃ)いいじゃねえか」となります 笑。 「思える」は,なんとなくそう感じるという意味になり,断定を避けたあいまいな表現です。それは,自分の判断責任をぼかした表現でもあります。「存在理由があるのかさえ疑問に思える」だと,読み方によっては存在理由があるかもしれないという,いくらかの余地を残しているように読めます。このような無責任な表現は,学術論文では避けます。