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不倫がどうぢゃこうぢゃと弱者のルサンチマンが・・・

 1. ¿ 不倫がどうぢゃこうぢゃと 弱者の反感(ルサンチマン)がかまびすしくなった。あぁ 世も末ぢゃわい  2. 弱者は 勇気も度胸もなく 浮気のひとつもできないというだけではないか。  3. そのやからがつくった倫理をやぶったからと言って 何をさわぐのか?  4. 高貴な強者は ビッグバンの初めから おのれのチカラへの意志で生きている。きわめてうつくしい振る舞いだ。文句あっか?  5. 倫理道徳は 高貴な人種のつよさ・うつくしさに対するやっかみから弱者が勝手につくった。  6. 天皇家も この《倫理》に合わせて 側室を排除した。あぁ 世も末ぢゃわい。  ☆ 哲学・倫理にくわしい諸兄姉の方々のご見解をおしえてください。  

みんなの回答

  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3311)
回答No.2

不倫だから”W不倫だから、飽きたから”別な”楽しみ:皆同じどうでも良かんべ。

bragelonne
質問者

お礼

 という投げやりの状態にこころを導きやすい。  のだと思いますよ。  哲学なら しっかりと批判すべきは批判しておかなくては。  というこんたんです。  ご回答をありがとうございます。

回答No.1

>不倫がどうぢゃこうぢゃと 不倫がと言うより不倫をネタに相手を攻撃して相手議員を辞めさせてきたガソリーヌが自分もしていたと言うダブルスタンダードを政治家がやったこと、事もあろうに自分ややめるつもりが無い、こうれは立法に携わる国会議員には許されないことでしょう、何も不倫でなくても、法に触れないグレーな行為でも、それを理由に相手を議員辞職までさせておいて、実は自分もやっていて、自分は辞職するつもりもない、幹事長の椅子まで得ようとしていた。 そっちが問題なのです。 少なくとも相手を攻める人間が、自分も同じことをしているのにと言うのは避難されるのは当然だと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 少なくとも相手を攻める人間が、自分も同じことをしているのにと言うのは避難されるのは当然だと思います。  ☆ なるほど。そちらの方面の問題になるということですか。  この問いは 確かに倫理・道徳の問題としてでした。  ★ 何も不倫でなくても、法に触れないグレーな行為でも、それを理由に相手を議員辞職までさせておいて  ☆ つまり 《相手を責めるということ》は 倫理の問題です。  つまり 相手に対して《責めを負うことがあるのではないか》と問うている。  相手のおこなった行為の妥当性を問い 同じことになりますが その行為は人間関係にとってのぞましからぬ内容があったのではないかと問うわけです。  すなわち いわゆる人倫として こうあるべきだというような何らかの規範があるという前提に立っています。  ところが この前提となっている倫理規範 これは けっして人間にとって普遍的な物指しなのではない。と この趣旨説明欄のつぶやきを漏らした人は 思っているわけです。  そのような独り言の内容について あなたはどう思うか? これが 問いたい内容です。  どうでしょう?

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    ~~~~~~~~~~~~ D’avantage que l’appetit de vengeance s’en assouvit et contente mieux, car elle ne vise qu’à donner ressentiment de soy. ~~~~~~~~~~~~ C’estoit faire la figue à un aveugle et dire des pouïlles à un sourd et offenser un homme sans sentiment, plus tost que d’encourir le hazard de son ressentiment. ~~~~~~~~~~~~ 上記二つの文章の出典 Michel de Montaigne Essais Ed. P. Villey et Saulnier, 1595 (Livre II, pp. 334-340). Chapitre 27 - Couardise mère de la cruauté http://fr.wikisource.org/wiki/Essais/Livre_II/Chapitre_27 ~~~~~~~~~~~~~ Die früheste Quelle für den Gebrauch des Wortes dürfte der Essay Montaignes Feigheit ist die Mutter der Grausamkeit sein.[4] Ressentiment ist hier das Gefühl, das der Überlegene im Kampf dem Unterlegenen beibringt, indem er auf die Tötung verzichtet und somit seine Überlegenheit dauerhaft in dessen Bewusstsein verankert. Als verfeinerte Stufe der Vergeltung bejaht Montaigne die Erzeugung des Ressentiments durch das Leben-Lassen gegenüber dem barbarischen Töten des Feindes, welches Zeichen der nicht überwundenen Angst und also der Feigheit und des Ressentiments auf Seiten des Siegers sei.[5] http://de.wikipedia.org/wiki/Ressentiment ~~~~~~~~~~~~~ Le ressentiment est un concept philosophique du philosophe allemand Friedrich Nietzsche. L'emploi de ce terme remonte probablement au penseur danois Kierkegaard, et il a été repris par Max Scheler6. Le ressentiment, dérivé du verbe ressentir, qui est une réfection de recentement puis resentement signifie d'abord le « fait de se souvenir avec rancune, animosité », seul sens demeuré vivant. De la fin du XVIe au XVIIe siècle, le mot « ressentiment » s'est dit d'une impression morale : « fait d'éprouver une douleur ». Puis il a eu, jusqu'à la fin du XVIIIe siècle, le sens de « sentiment éprouvé en retour »7. Aujourd'hui[Quand ?], ce substantif spécialisé pour « rancune » n'a plus de rapport sémantique avec le verbe dont il dérive. http://fr.wikipedia.org/wiki/Ressentiment ~~~~~~~~~~~~~ とりあえず調べているのは、なぜルサンチマンがフランス語なのか、 ですから、上記のことを誰か解説して欲しいのですが、 今回はそれより、こちらのプラトンが登場する文章のressentimentの意味を教えてください。 これは怨恨なのでしょうか? Quand les Philosophes espeluchent la hierarchie de leurs dieux, et font les empressez à distinguer leurs alliances, leurs charges, et leur puissance, je ne puis pas croire qu’ils parlent à certes. Quand Platon nous dechiffre le verger de Pluton, et les commoditez ou peines corporelles, qui nous attendent encore apres la ruine et aneantissement de nos corps, et les accommode au ressentiment, que nous avons en cette vie : Michel de Montaigne Essais Ed. P. Villey et Saulnier, 1595 (Livre II, pp. 94-259). Chapitre 12 - Apologie de Raimond Sebond http://fr.wikisource.org/wiki/Essais/Livre_II/Chapitre_12

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    悩んでいます。自分は、ルサンチマンの塊だと思うのです。 冷静に考えてここ10年ほど、ロクなことがありません。アキハバラのブラック企業で働いたら、毎日終電、体壊して休職したら一方的に解雇。 派遣で働けば、仕事はあっているのに(あるブランドディーラーからブランドを卸している量販店に行きました)、パワハラくらってひどい皮膚病に。派遣は3月31日で切れたのですが、そのブランドつながりで、4月1日までにこれるなら採用の方向で、といわれ時計メーカーに、派遣の期間を切ってもらうよう派遣会社に頼み込んで就職したら、当初のハナシがひっくり返ってしまい、自宅待機という始末です(あるところの時計修理コーナーに派遣される、という話しだったのに、私より先にコンタクトしてきて「引っ越しですから」と音信不通になってしまった人物に代わって私が採用されたのに、その音信不通さんが「引っ越し終わりました」とやってきて、その彼が派遣採用され、私が割りを食いました)。 で、大元は父がやっている会社が叔父に乗っ取られもう10年もゴタゴタしているという。本来私も父の手伝いで入るはずだったのです。そのために新卒のとき、ガチガチのたぶん一流商社に入ったのですが、いきなりヘンな上司に当たって(おまえはしかりやすくていいな、と言うような人でした)、当時はわからなかったのですが鬱病になったのに両親は「怠け病」「しゃきっとしろ」「生活態度がわるいからグニャグニャになるのだ」と、体重が48キロまで落ちても、メンタルの医者には「知り合いがいないから、みっともなくてだせるか」と。 最終的にそこで大怪我をしてしまい、入院し退職しました。カネも健康もありません。 学生時代は、商業雑誌に連載もっていて、幸せだったのですが、その関連の創作サークルに誘われたら、当然のごとく両親から却下され、この体たらくです。創作サークルは、あるゲームが爆発的に当たって、みな外車かったり、税金対策しているという。 なんか、どうしたらいいのかわかりません。カウンセリングは高すぎてうけられません。 どうしたらいいのでしょう。助けてください。

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