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親鸞は実在したのか
小生、日蓮正宗の壇信徒です。 小生の菩提寺のご住職様曰く「親鸞は実在しなかった」とおっしゃるのです。 ご住職様は「日蓮正宗で5本の指に入るほどの論客」と云われるほどの学僧です。 まさか、そんな御僧侶がなんの根拠もなく云われると思えないのですが、いかがでしょうか。小生自身は「浄土真宗大谷派」系の高校卒で在学当時から「嘆異抄?これ、ホントに親鸞のモノか?顕如が書いたんじゃねェーのか」と思っています。 よろしくお願いします。
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親鸞真跡本としての『顕浄土真実教行証文類』は、坂東報恩寺(東京都台東区)に伝わっていたので、『板東本』と呼ばれます。 しかし、関東大震災で報恩寺から『板東本』を託されていた浅草別院が焼け落ちたため、東本願寺に移されました。 現在は京都国立博物館へ寄託されています。(所有は真宗大谷派) 2004年11月には、「平成14年度よりおこなわれていた親鸞筆 教行信証(坂東本)(国宝)六冊の修理が無事終了したことを記念して」、京都国立博物館で公開展示されました。 これからまたの機会があればどうぞ。
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>「恵信尼消息」が本物かどうかも「よくわからない」 その内容の「生々しさ」からして、本物でしょう。 「恵信尼消息」で検索すれば原文も現代語訳も読めますから、どうぞご確認下さい。 >「決定的な証拠」となる「親鸞直筆」 真筆の存在がその人物の存在証明に必要だとも思いませんが、『顕浄土真実教行証文類』(いわゆる『教行信証』)は親鸞の真跡本が残っており、国宝です。 ちなみに釈尊に直筆の書状なんてありませんよ。 仏舎利は大量にありますがね。 宗論・法論に論難は当然ですが、立論の矛盾を突くならともかく、立論した者が存在しないと主張しても、なんの意味もないでしょう。 批判するなら、親鸞その人よりも、法然や親鸞の唱えた専修念仏の教えのほうなのではありませんか?
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明治の末にそういう説があったのは確かです。 村田勤 著『親鸞真伝 : 史的批評』(明29.4) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/821944/39 あるいは田中義成(東京帝国大学教授)と八代国治(國學院大学教授)の「親鸞抹殺論」とか。 しかし、大正10年(1921年)に宗教学者の鷲尾教導が、親鸞の妻である恵信尼から末娘の覚信尼に宛てた書状(「恵信尼消息」)を発見してからは、抹殺論は抹殺されました。 http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/forum/text/fn008.html ちなみに『歎異抄』の作者は弟子の唯円というのが定説です。 如信説や覚如説もあり、最古の写本は蓮如本です。 しかし、顕如ってことはありません。 そもそも、親鸞没後、教団内で師の教えとは違う教義が説かれているという『嘆き』の本ですから、親鸞が書いているわけがありません。
お礼
早速のご返答ありがとうございます。明治、大正期にそのような物が出ていること、小生知りませんでした。「恵信尼消息」が本物かどうかも「よくわからない」と云う問題もありますが、とりあえず「親鸞は『実在したのでなかろうか」と云うのが「定説」と云うワケですね。「決定的な証拠」となる「親鸞直筆」の書状が「ない」と云うのが痛いところではないか、と思うのですがいかがなものでしょうか?「日蓮大聖人様」の「直筆の書状」は「意外と現存」しています。たとえば中山法華経寺には「立正安国論」、「観心本尊抄」小生の信奉する日蓮正宗総本山富士大石寺」にもいくつかありますし、京都の寺にもあります。(例えば有名な「本能寺」だとか)また「大聖人様御真筆の御本尊」も「確認できただけで」「100筆以上あります」(その大半が「大石寺にある」と聞いています)ただ鎌倉時代、室町時代には「葬儀の際、本尊を遺体と一緒に棺の中に入れて燃やしてしまう」と云う風習があり日興上人様以外は全員それを容認していたので、「どれだけ大聖人様御真筆の御本尊があったのか『わからない』」と云う状況です。小生の菩提寺である名古屋東区の「妙道寺」(現在、2代前の住職が「宗門離脱」し、小生たち「本来の檀家ははいれませんが」)には「日興上人様御真筆の御本尊」が安置してあるとも聞いています。
不明というのが正解 親鸞は、自伝的な記述をした著書が少ない、もしくは現存しないため、その生涯については不明確な事柄が多く、内容の一部が史実と合致しない記述がある書物も多い、いまでもって研究中であり諸説ある。
お礼
「三者三様のご回答」‥‥。「教行信証」ですか?どこの寺にあります? それをおっしゃっていただかなければ「確認のしょうがありません」「東本願寺」ですか?「西本願寺」ですか?また「念仏そのもの」については「中国念仏宗の祖」と云われている僧侶がどのような最期を遂げたでしょう‥‥。これは確かに「日蓮大聖人様」も「御書」の書いておられますし、その中で「これは悪口を云うために書いたのでなく『念仏宗の本の中にハッキリ書いてある』」と仰せられています。おそらくご回答を下さった方は「浄土真宗の僧侶」の方とお見受けいたしましたので「当然、ご存じ」かと思いますし、お読みにもなってみえるでしょう。「導鸞(でしたか)はある日、西方十万億土にあると云う『極楽浄土』へ行こうと決意した。そこで寺の前に植えてあった柳の木に登り、西の方を向き『我が身心はアチラコチラが痛み、少しも休まらない。阿弥陀仏よ救い給え』と云って飛び降りた。‥‥が‥‥。枝が折れたのか、縄が切れたのか、尻を思い切り固い土にぶつけ七日七晩、這いずり回って泣き叫び、ついにこと切れた‥‥」もう一度云います。「これ、小生や日蓮大聖人様が『悪口を云うため』に『創作した』のでありません」高校(前記の通り「浄土真宗大谷派」系の高校です。「尾張高校」(現「名古屋大谷高校」です。そこへ「お前んとこの卒業生で芝崎っ云うクソダワケおるか」と聞いてもらえればすぐわかります)で「そのことが書いてある『浄土真宗大谷派」の本、小生読んでます。それ読んで「はぁ~念仏ってぇ~のは『トンデモネェ―ナァ~』」と内心思ったのを覚えています。