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石川啄木の一握の砂の短歌

授業で石川啄木の「ふるさとの 土をわが踏めば 何がなしに 足軽くなり 心重けり」という短歌についてまとめることにしました。 この短歌の意味、啄木の気持ち、解説などを教えてください。 あと、足は軽いのに、心が重い理由も教えてください。 宜しくお願いします。

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10023/12547)
回答No.1

この短歌を含め、前後を通して見ながら考えてみましょう。 「ふるさとの 土をわが踏めば 何がなしに 足軽くなり 心重けり」(初版本129頁) 短歌の意味:ふるさとに帰ってきて駅に降り立ったら、足取りは軽快なのに、気分は塞いだ。 この短歌の前によく知られた一節があります。 「ふるさとの 訛(なまり)なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」(105頁) 「かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山 おもひでの川」(111頁) この2つによって、「足取りが軽くなる」気持ちが分かると思います。「なつかしいふるさとに帰る喜びの表現」と言えるでしょうね。 一方、この短歌の直後には次のような句があります。 「ふるさとに 入りて先づ 心傷むかな 道広くなり 橋もあたらし」(129頁) 「かの家の かの窓にこそ 春の夜を 秀子とともに 蛙聴きけれ」(130頁) この2つによって、「気分が塞ぐ」気持ちが推測できると思います。1つは、「ふるさとの変貌ぶり」であり、もう1つは、「悲しい出来事(妹の死など)への追憶」でしょう。 このように、帰郷に当たって、「なつかしい田舎の風景や人や言葉に再会する喜びと、昔なじんだ路地などが変わってしまったことや昔の辛い出来事などを思い出して悲しむ気持ちが交錯している状況」を、最もよく表わしているのが課題となっている短歌の部分だと思います。 この複雑な気持ちをしめくくるように、最後の部分で、 「ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな」(132頁) と詠んで、ふるさとに寄せる感慨深さの心境を結んでいます。

hazuri410
質問者

お礼

有難うございます とてもわかりやすい解説でした!

その他の回答 (1)

回答No.2

石川啄木は口語体の詩も結構残していて、小生大学の講義で読んで「ブッたまげた」ことがあります。「過激」も「過激」‥‥。 ヤレ「テロリスト」がどうの、「革命」がどうの‥‥。 ホント「連合赤軍」の残党が書いたんじゃネェ―のか、と疑いたくなるほどです。石川啄木の全集にある、と思うのでお読みなられることをおススメします。

hazuri410
質問者

お礼

有難うございます 機会があったら読んでみようと思います

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