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賢者とは、最終的には、自分には与えられなかった当た

賢者とは、最終的には、自分には与えられなかった当たり前の日々”を思うものだろうか? それとも孤高のひとりぼっちの神官の様として生きることを受け入れ、この世についてありとあらゆる事柄の本質を教え、どの様に生きるのが最適か、学ぶことの重要性を教え諭し、本音から悩み苦しみ生きる人間や後世を生きる人間のために、見ず知らず他者を幸福にするために奮闘する人間を指すのではないか? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。

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回答No.1

全宇宙は、自己(意識)の内にある。 ちゃんと「自分ひとり」を自覚すれば、 「全て」は自己の内にあり、何ひとつ 「与えられなかったもの」などない。 その自覚において、他者のために犠牲に する自己などなく、他人のために役立つ 事が自己の喜びでもあり、その幸福感の 相乗効果によって、無限の幸福の生成が 可能となる。 奪い合えば貧しく、与え合えば最も豊か。 その意味で、最も平凡な(譲り合う)事が 最も賢明なのだ。

hayyuji9401010
質問者

お礼

ご回答のほど、 ありがとうございます(╹◡╹)(ハート)

その他の回答 (1)

回答No.2

賢者こそ君に苦悩を与えている。 君が自らよりすぐれている人物を見て絶望する限りはね。

hayyuji9401010
質問者

お礼

ご回答のほど、 ありがとうございます💝

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    僕は日本共産党に入っています 共産党に入ってから日本社会の本当の恐ろしさを感じてきました たとえば有名なところでいうと原発推進のやらせ、情報隠蔽の数々 日本社会というのは一見民主主義のように見えて、財界主権と言って過言ではないのです マスコミは財界に有利なものしか言わない、政治家は財界に有利な政治しかしない たとえば法人税が高いから有能な人が海外に流出すると言うのは嘘です 日本は確かに法人税が高いのですが、財界有利のオプションがいっぱいついています そして果たしてみんなの目から見てたとえば東電社長は有能でしょうか、がんばっているでしょうか? マスコミは本来中立な立場で者を言わなければいけません 政治は本来国民のために行わなければなりません しかし今の日本ではその本質が失われ、政治もマスコミもお金のため 物事の本質を間違えるような連中が日本のトップに君臨しているのです けして共産党が政権をとるためではなく 日本が本当の意味での民主主義を成し遂げることを手助けすることこそ本質であり 僕の信念です しかし共産党は財界その他からの直接や主には間接的な弾圧を受けています マスコミでは中国や朝鮮の独裁の報道によって共産党の負のイメージを国民に植え付け 大学では共産党や民青を潰そうとする動きが盛んです、自治会から関係者が追い出され 上から共産党や民青を駆除するよう上から教育されます 若い世代では政治の話をしてはいけない雰囲気が流されます それは面目上他人の信条を害さないようにするためであるが そうすることによってマスコミの情報が優位を占め 万が一にも議論によって本質を見極められないようにするため 共産党が友達に堂々と悪政の正体を暴けないようにするためです ネット上では工作員があたかも共産党の隠蔽であるかのように冤罪を着せてきます 暴力行為を肯定していたのは革マルや中核であり、共産党ではありません そのような工作は日々日本共産党の負のイメージを国民に与えています 人間は本音を話さなければ真に理解されることはない、周りと壁ができてしまいます だが僕の場合下手に本音を話せば周りから白い目で見られてしまいます 共産党の僕にだって一般人の友達がいます 信念を回りに話すべきか、それとも白い目で見られないために友達と壁を置くべきか いくら信頼できる友達でも、その友達が信頼できる友達が信頼できるとは限りません 友達がふとしたことで秘密を信頼できる友達に話すことで噂は広がります そして未完全な理解で噂が広がれば、僕はコミュニティーの中にはいられなくなります そして党の活動に自分のコミュニティーの声を政治に届けることが含まれる限り 僕が党員であることがやがて知られてしまいます 僕は信念を貫いてこれからも党活動をするべきでしょうか それとも周りから白い目で見られないために信念を捨てるべきでしょうか