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批評性について

批評性とはどういう事なのでしょうか? 批評性がある作品、とか言いますが、 その作品が、学問的や歴史的に意味のある作品かどうか、という事でしょうか? 単なる商業目的の作品には批評性は無くて、 そのジャンルの将来性に重要な意味がある作品だったり、 今までの歴史の文脈から、新しく生まれた革新的な作品だったり、 その作品から新しい哲学や思想を考えるキッカケになったり、 こういう要素がある作品を、 「批評性のある作品」と呼ぶのでしょうか?

  • 美術
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  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.3

1の回答者ですが なるほど、主観的な感情移入ではない共感はありますし、作者と自分が社会と時代の中で共通の体験をしていてわかりあえたという感動もありますね。 作品はいろいろ対立する概念をあわせ持つものだと思います。だから表現主義的であって批評性を持つものもありうるでしょう。 ウオーホールの作品は商業主義的ですけれども、同時にひとごとのように自分の商業主義(や、デザインのような応用美術)を見つめる批評性も持っているように思います。芸術を聖なるもの高邁なものと高みに置く芸術至上主義に対して、都会や現代社会の卑俗な光景をあたかも大自然の風景のように題材として同列に扱うことでも批評性を持っています。

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その他の回答 (4)

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.5

批評性と風刺やパロディは違うので風刺やパロディでしたらそのように言った方が誤解が少ないと考えます。

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質問者

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ありがとうございます

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2800/7250)
回答No.4

これは、メタ、という話です。 メタストーリーというと、本来の筋の上になにか別のものが枠として乗っかっていてその観点で見ると別の流れに見えるということです。 ミステリーにはよくありますけど、真剣に記述されていることが、全く嘘ではないけど何かを記述していない。最後になるまでそれを気付かずにつきあっていると、あ、犯人はこの語り手か、というようなのが、わかりやすいメタストーリーです。 普通はもっと高級で、メタストーリー自体に気付かないことがある。 小林信彦に「うらなり」という小説があります。これはちゃんとした筋をもった小説ですが、タイトルでわかるとおり、漱石の「坊ちゃん」なんです。あのストーリーを、うらなりとさげすまれた登場人物の立場で語ったという趣向です。 これでみると、かつて坊ちゃんとして暴れた若者が電車の運転士になってからどう暮らしたか、そしてどう死んだかが書かれている。 陶器の種類が判別できなくてわけのわからないことを言ったときにどれだけみっともなかったかが書かれている。原作では、皆瀬戸物だとおもってたのに違うのか、みたいに書き捨てられてますけど。 つまり、坊ちゃんとよばれただけで終わっているあの小説の彼氏は、空気が読めない、その代り悪意がない、人のきもちを踏みつけにしてなんとも思わないというような性格の人間だったのだということがわかるようにこの小説は書かれています。 それはこの小林信彦が書いたことです。しかし、これには原本があるから、もう一度「坊ちゃん」を読み返してみると、あ、と思う。 そもそも小林信彦が書いたことは、原作にすべて表現されていたのです。 それを読み解いた解説がいままで一つもなかっただけです。 あの主人公の目でだけ共感し、怒り騒ぎ、満足を得て本を閉じたのです。 これがメタストーリーであり、作品自体が批評性のあるものだと言うことになります。批評というのは本人でない立場から評価をすることですね。 表現されている以外の視点で見直してみると何かが分かる、これが批評性です。 そう思って漱石を読み直してみると、「それから」だの「門」だのというのは完全に批評性をたっぷりもったメタストーリーであることに気づきます。 主人公が女をどう思っているのか、といらいらしながら読んでいたら気づかない。 女の立場で考えてみたら、ああこいつらは蟻地獄なんだとわかってきます。 批評性というのは、要するにいくつもの角度でものを見られるようにできているかどうかということではないでしょうか。

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質問者

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ありがとうございます。 仰るとおりですね、メタファですか。 だから、風刺やパロディは批評性のある作品としては意味のある事だったんですね。 また、仰る、いくつもの角度で見る事が出来るというのもそうですね、 そうすると、もう 批評性と芸術性は似ている気もしてきました。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2011/7498)
回答No.2

 たとえば、安倍総理の顔にヒトラーのチョビ髭を生やした絵を描いたら、批評性のある作品になりますが、タダでは済まないでしょうね。権力批判とか、権力風刺とか、そういう意味合いがある絵画を批評性のある作品と呼ぶのでしょうが、描いた画家がどういう運命を辿ったかを調べれば、そういう画風の絵を描くのが危険であるのがわかると思います。  むしろ、批評性の無い絵画を描いた画家の方が裕福な生活をしている人が多いので、そちらを目指した方が良いかもしれませんね。

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  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.1

そこまで肯定的でいい意味(ばかり)のある語としては使われていないのではないですか? 「風刺」が型にはまった考え方であって、かつ自己を客観的に批評することをしない(自分を批判者として超越した高みに置く)のに対して、なるべく客観的で自己に対しても冷ややかな眼を持つというほどの意味ではないでしょうか。 美術で考えるなら、没入してひたすら自己表現に疑問無くのめりこむ制作法に対して、自省し自己をも相対的にとらえていくようなやりかたではないでしょうか。 外部からの視点とも言えるかもしれない。 感情移入(「思わず自分も作者の気持ちになって」みたいな)しづらいものとも言えるかもしれない。 しかしのめり込むことを完全に否定してしまったら内的な表現衝動だとかも否定され、制作もむずかしくなる。そういうプラスばかりではないひとつの要素ではないでしょうか。

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質問者

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go_in_me
質問者

補足

凄く納得させられました。 「なるべく客観的で自己に対しても冷ややかな眼を持つ」 これは、なるほど、と思いました。 確かに批評性がある作品は、感情移入しずらく、どこか冷ややかですね。 でも、鑑賞するととても楽しいんですよね~~。

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