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奇襲攻撃

古来より奇襲攻撃というのはちょくちょく 戦術として歴史の中の主要な場面に登場 するものと思います。 物語ではかっこよく語られますが あれって単純に 超きたない戦法じゃないですか そもそも武士道には反さないのでしょうか

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質問者が選んだベストアンサー

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  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3667)
回答No.3

奇襲攻撃と言えば、義経の壇之浦や信長の桶狭間(奇襲ではないとも言われる)、或いは、真珠湾攻撃などが上げられますが、何れも絶対に勝たなければならない戦です。 それぞれの戦いの中で、その勝敗の意味するところは、源氏や織田家の命運のみならず、その後の歴史さえ変えてしまう程の最重要事項。 太平洋戦争に至っては、もはや、国の存亡を掛けた世紀の一戦。 また、宮本武蔵が生涯60戦全勝と言われるのは、物語の上では孤高の剣豪のようなイメージでありながら、実際には弟子を使い佐々木小次郎を打ち倒したなどという話もある。 一乗寺下り松の決闘では、吉岡一門の報復戦に1対100というハンデのなかで、名目人としてそこに立つ僅か11歳の壬生源次郎を殺害しており、後日、幼少の者を情け容赦なく切り殺す鬼畜けだものとして世の非難を浴びることになる。 義経も信長も武蔵も背水の陣を敷いており、退路のない決死の覚悟の上での戦術であり、負けることは即ち「死」。 戦争ですから、勝たなければ意味がない。 ただ、近代に入り、世界戦などのように戦場に民間人などの居住区などの存在もあり、昔のように戦争当事者同士だけではない状況の中では、奇襲攻撃は、やはり、卑怯の謗りは免れないでしょうね。 新渡戸稲造が著した「武士道」は、あくまでも、武士に見られた日本人の精神文化であり、倫理道徳規範というよりも、一つの哲学として捉えることもできないではない。 昔の戦乱の世には、無かった思想だと思いますよ。

ichizato
質問者

お礼

ありがとうございます。 武士道という本が確かあったと思いつつ 読む前に無知なまま質問させていただいて おります。 新渡戸稲造氏著でしたかいずれ 目を通したいと思います。 諸外国から見た武士道が美化され過ぎて いるのでは無いかという前々からの 疑念が本質問の本意でした。 実際問題生き残るためには、奇麗ごと ばかりでは無かったというのが史実 という事でしょうかね

その他の回答 (9)

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.10

根底の考えに間違い有ります。 戦争は勝つ為にします。 たまに自殺代わりにする人もいますが。 ですから綺麗汚い関係ありません。 武士道も明治になって言われただけです。 義経は今から言えば、卑怯な手で勝って、人気が有ったそうです。 何とか坂の奇襲、壇ノ浦では先ず潮眼読める水夫を集中攻撃してます。卑怯です。

ichizato
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり古来の戦法に奇麗な武士道は なかったのですね。 水夫を集中攻撃というところが 興味深いです。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10466/32907)
回答No.9

>そもそも武士道には反さないのでしょうか 反しています。孫子の兵法書に「兵は詭道なり」と書いてありまして、これが江戸時代に兵法学者の間で一大論争となりました。 詭道の詭とは「騙す」という意味です。「騙すのに道があるか。そんな卑怯な勝ち方がいいのか」というのと「結局戦争は勝たないと意味がない」の間で論争となったのです。 スポーツの試合でたまにルールの隙をつくようなやり方で勝つ人がでますよね。そのとき、それがスポーツマンシップに反するから悪いことか、ルールで禁じられていないから悪いことではないのかで議論になりますよね。それと同じです。 基本的に戦争は、汚いものです。自分が生き残りたければ、相手を殺すしかありません。後ろから撃ち殺しても、死んだやつに訴えられることも後で仕返しされることもありません。だからどんな卑怯なやり方でも、殺してしまえばこっちのものなのです。それが戦争です。 だから孫子もいっているのです。「兵は詭道なり」と。ちなみに武士道とは武士のあるべき生きざまについての哲学(というより信仰)であり、戦いの勝ち負けとは関係ありません。

ichizato
質問者

お礼

ありがとうございます。 ほぼ曹操の解釈と言われる孫子の 兵法ですが、いずれ読まなければ と思っておりました。 他の方のご意見からも武士道の解釈が 時代によって変わってきているようで そんなに単純でない事がわかりました。 江戸時代に議論になっているという点が 興味深いです。

  • nijjin
  • ベストアンサー率27% (4701/17411)
回答No.8

戦法に綺麗も汚いもありません。 負ければ全てが終わり(死)なのですから勝つためには手段など選んでいる場合ではありません。 奇襲が超きたない戦法と言えるのは平和なところに住んでいるからいえることで もし、現代でも紛争地帯に住んでいるのなら生き残る為に必要な手段のひとつになるでしょう。

ichizato
質問者

お礼

ありがとうございます。 太平洋戦争前夜ともなれば いつ奇襲されてもおかしく無いですよね

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.7

武士道にも色々あります。 本来の武士道というのは、勝つ為には手段を 選ばない、というものです。 塚原卜伝という剣客がおりました。 その兄が、某武士と決闘することになりましたが、 試合の前に寝込みを襲われ殺されました。 当時としては、これが当たり前で、油断していた 方が悪いのです。 決闘する、ということになったらもう何をしても 勝てばよいのです。 それが江戸時代になり、太平の世になると、そういう 武士道は嫌われ、正々堂々と、などというスポーツ みたいな武士道がもてはやされる時代になったのです。 命が掛かっていない、平和な時代の武士道と、 殺し合いの武士道とは違うのです。

ichizato
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり江戸時代からでしょうか 武士道がだんだん美化されていったのは 鎖国してるし、国内の戦闘はなくなって いますから 勝つために手段を選ばない本来の武士道に 付いて調べてみようと思います。

  • meido2010
  • ベストアンサー率15% (68/448)
回答No.6

江戸時代、武士の鑑と称された「赤穂浪士」は正に奇襲を掛けた 者達でした。 元禄15年12月14日、次の日には吉良上野介は上杉の領地米沢に発つ として吉良家の侍はヤレヤレとしていたのでしょう。 そこへ、夜陰に乗じていきなり赤穂の浪人が斬り込んできたのだから 浮足立っちゃって、とてもまともに斬り合いなどできません。 あっという間に半数が斬られて、負けを覚悟した者達は逃げたり 腹を切って自害したりしました。 武士道には奇襲は卑怯ではなく、油断した者が負けるのは当たり前 とする心得があります。 また、ひとたび戦いが始まったら武士らしく正々堂々と戦うことが 武士としての本文だとするところです。 勘違いはいけませんね。

ichizato
質問者

お礼

ありがとうございます。

ichizato
質問者

補足

赤穂浪士がどうもとっつきにくくて これまで遠ざけておりましたが 武士道の観点から今度目を通して みようと思います。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.5

1。紀元前500年ごろ、敵を騙すにはまず味方から(孫子)  http://3.ariken.info/archives/5292 2。紀元前218年のハンニバルのアルプス越え(下記)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9%E8%B6%8A%E3%81%88 3;1184年の義経のひよどり越え(鵯越)  http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/yoshitsu.htm 4。ジョン・リリー(下記)が言って、ことわざになったとされる、All is fair in love and war  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC  下記の正しい訳「恋と戦争では、全てが公正である」  愚訳(奇襲だろうがなんだろうが)恋愛と戦争にはなんでもありってことよ : http://kakuyasu-eigo.com/allisfairinloveandwar/  

ichizato
質問者

お礼

ありがとうございます。 世界で見ても特別な戦法では無いのですね。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.4

 武士道という言葉から推測して、日本での「奇襲」のことだと思うのですが、「奇襲」と一般に呼ばれている戦い方は、すでに敵同士で、戦っているときの戦法なんです。  例えば「襲ってこないだろう」と勝手に信じ込んでいた「時刻」に襲ってきたり、「襲ってこないだろう」と勝手に信じ込んでいた「方向」から襲ってきたりした場合をさします。  すでに敵同士で、戦っている最中なのですから、勝手に「襲ってこないだろう」と思い込むほうが間違っています。  武士とは戦ってナンボの存在なのですから、戦いだしたら、さまざまな想定カード、作戦カードを机上に置いて準備していなければならないのです。  逆に、相手の油断を突いて攻撃するのは、なんら武士の本分に反するものではありません。  武士道に反する卑怯な奇襲というのは、それまで「我らは『一味同心』の同志でござる。これからもよしなに願いたい」とか言って、酒を酌み交わしていて、突然、斬りかかるようなことをいいます。  余談ですが、私が考える世界で一番すごい「奇襲」は、聖書の時代トルコあたりの話ですが、「安息日には反撃もできない」という情報を得た某国が、相手国の宗教では安息日として一切の活動を禁止される日に実施した大襲撃だろうと思います。それまで何年?も頑固に抵抗していた一国が、1日で滅びました。

ichizato
質問者

お礼

ありがとうございます。 奇襲が卑怯でない理由として 納得出来ました。

回答No.2

「古来」には国際法などなく、勝利が全てであった。 宣戦布告など、勝率を下げる愚行でしかない。 武士の名乗りは、宣戦布告ではなく、名声を上げる ためのもので、当時の、情報機器も遠隔攻撃もない フィジカルなぶつかり合いにおいて、目の前の相手 に「奇襲」などあり得ないから成立していたのだ。

ichizato
質問者

お礼

武士道と奇襲という戦法は、 その原点に立ち返れば関係 が無い という事ですね。 これもまた納得です。 ありがとうございます。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9578)
回答No.1

ichizato さん、こんばんは。 昔明治日本の黎明期に陸軍大学校という陸軍の学校がありました。そこにお雇い外国人として招かれたのがメッケル少佐という陸大教官でした。 彼が所属していたドイツ参謀本部では師匠格の総長モルトケ元帥は宣戦布告前に、動員計画に基づいた動員を行い、前線に兵力のほとんどを集中させ、宣戦布告と同時に敵国になだれ込むという戦法を編み出しました。それにより敵前線部隊を包囲しながら押し戻すというやり方です。奇襲戦法ですね。とても短期決戦に有利でした。このやり方は江戸時代の侍の教育を受けていた秋山や長岡なんかを憤慨させるに十分でした。でも、このやり方は世界各国からこの当時批判を受けるどころか研究されていたのです。 メッケル少佐 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%AB モルトケ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%B1

ichizato
質問者

お礼

ありがとうございます。 明治の頃から世界に知れ渡っていた戦法だと いう事ですね。 という事は、真珠湾攻撃も予測できて当然 そんなに騒ぐほど汚い戦法でもないって事ですね 武士階級が現存している明治の軍隊では 多少なりとも抵抗感があったの なら納得です。

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