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1897年以前の結婚式

神前結婚式は1897年(東京・日比谷大神宮)に始まったそうですが、それ以前の結婚式というのはどういうものが主流だったのでしょうか?

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回答No.3

1897年以前と言う事であれば明治以前の結婚式と言う事になりますが。大きく分けて武家や公家などの貴族階級、裕福な町人階級(村の庄屋なども含む)、それ以外の農民や町人~の3つに分かれ、貴族や富裕層は今の様に「家同士の結婚」を内外に知らしめるために大掛かりな儀式、つまり結婚式を行いましたが…当時の日本人の99%を占める「その他の人々」は結婚式などはしませんでした。 大前提として結婚式とは須らく宗教儀式なので、結婚する当人たちが何らかの宗教を信仰していなければ、そもそも式を挙げると言う発想自体が無い訳です。またそれと同時に「家を守る」という氏族思想が強くないと、同様に結婚相手を当人達以外にお披露目すると言う習慣が生まれません。明治以前の普通の日本人には「家」と言う概念自体が無かったので、結婚式をして周囲の人々に自分の配偶者を紹介する必要も発想もありませんでした。農民や町人階級にとっては、極端に言ってしまえば "相手は誰でも良かった" ので、近場で何となく知り合った男女が勢いでやってしまってそのまま同じ家に居着いてしまい~的なものが一般的でした。 くっ着くのが何となくなら、また離れるのも何となくで自由に出て行くのが普通で。江戸時代は農民や町人は同棲別居を繰り返すのは普通の事で、江戸時代の俳人.小林一茶は一生で3回も女性を伴侶としています(いずれの場合も死別)。また彼は妻との秘め事…つまりセックスの回数を小まめに記録して書き残しており、それによれば「8月8日5回、8月12日夜3回、8月15日夜3回...」~等と書かれており、その当時は一茶は50過ぎだったのでかなりの絶倫だった事がうかがい知れます(一茶は65歳で亡くなりますが、その同じ年に最後の妻が女児を出産しています!)。この一茶は当時の身分階級で言うと「本百姓」に位置し、まあ中の上って感じの人でしたが、前述の様に日々のセックスライフは事細かに書き記していますが、自身の結婚式に関しての記述は全くありません。 また時代劇や大河ドラマなどで「祝言(しゅうげん)」と呼ばれる結婚式が行われる描写がよくありますが。これは当時のトップクラスの富裕層である村の庄屋の息子とか、廻船問屋を営む豪商の娘の話であって、普通の貧乏長屋に暮らす熊さん八さんレベルの一般庶民には縁の無いセレブな習慣でした。あとぶっちゃけて言うと当時の江戸の町の人口に置ける男女比率は「男30:女1」くらいだったので、そもそも結婚自体が滅多に起きない超々レアイベントでした。ですので江戸時代の庶民の結婚イベント=江戸(東京)以外での農村農民の嫁入りと言う事で間違い無いかと思います。 農村での結婚はイコール子作りして無償労働力の奴隷たる子供を量産する事ですので、当人同士の恋愛感情はさておき、先ずは丈夫な子供をいっぱい産めるかどうかが最大の関心事です。ですので女性が嫁入りした後で、あら何か子供出来ないわ~では済まないのです。従って婚前交渉、即ち夜這いや野合がこそが絶対的に必要不可欠な儀式であって、それで無事に「証明済み」となったら家に迎え入れて適当に隣人に紹介する~つまり "出来ちゃった結婚" になる訳ですね。一方、貴族階級ではそこに「家柄」と言う要素が非常に重要視され、最終的には家柄(血統)のみを最重要視する様になりました。従って結婚前の入念な両家の同意が非常に重要になり、これらの確認を相互承認するために結納だの何だのと言った "結婚式" が形作られていった訳です。 で、結婚の方はこれで良いとして…結婚があるのならもう一方の「離婚」はどうだったのか?これまた時代劇でお馴染みの「三行半(みくだりはん)」と言うヤツですが、これがあたかも「女性がお役所に頼んで貰って夫に叩き付ける絶縁状」みたいに描かれる事が多いのですが、実際には夫側から元妻側へ発行される「再婚許可証」です。ですので三行半を叩き付けるのは妻では無くて夫の方だった訳です。何故こういうモノが必要になるかと言えば、大きく2つの争点があり、それは生まれた子供の血筋証明と遺産相続の関しての権利確認です。 前述の例の一茶の様にある程度の財産(田畑や家屋敷など)を所有してる豪農は数としては全人口の2%も居ないので、大多数の99%の農民は土地をそう言った豪農クラスの人たちから土地を借りて耕して暮らしていたので、俗に云う遺産相続的な争いが起きる心配をする必要が無く。また生まれた子供の親の血筋なども別に誰でも良い訳でして、極端な話「昨日の晩に白蛇様がアタシの布団の中に入って来てさ~」でもイイ訳です(笑)。従って結婚も離婚も自由気まま、今日は雨が降ってるからアンタと別れるわ!~みたいな乗りで男女はくっ着いたり分かれたりしていました。今みたいに連れ子が居ても気にしませんし、覚えが無い子が産まれても普通に「あれは俺の子さね」とかなりいい加減でした。 しかし貴族階級や富裕層では財産の相続が大きな問題になるため、それを受け継ぐ正当な権利者である証明~つまり誰が父親か?と言う事が非常に重要視されました。実際、DNA鑑定とか出来ない時代なので基本は自己申告になる訳ですが(笑)。それでも建前では血統が重視されたのです。そういう階級社会では「私、好きになったら誰とでも愛し合うわ!」みたいな人では非常に困る訳です(産まれて来た子供の父親の信憑性が揺らぐ)。建前でも何でもいいので表面上は夫一人だけを愛し一生添い遂げます!~的な純血主義を標榜しなければ貴族社会は成り立たないのです。 しかしながら人間、どうしても馬が合わないと言うか破局が訪れる時は有るので。そうなってしまった時に庶民感覚で勝手に再婚してしまうと、その後に産まれて来た子供の父親は誰か?と言う問題になった時に非常に困る訳です。言うなればお家騒動の元になる訳です。従ってそれを未然に防ぐために、財産を持ってる側の夫から妻の方へ「今後は一切の財産権を主張しない代わりに他の男性と結婚してもいいですよ」と言う法律的な文書が三行半になる訳です。まあ、実際にはそれでも色々と揉めたりしてる訳なんですが…。因みに江戸時代の武家の離婚率は10%くらいで、今の日本の5倍です(笑)。 …とまあこんな感じでぶっちゃけて言うと、明治以前の江戸時代までは多くの日本人は盛りの着いた野良猫野良犬とほぼ同じ様なセックスライフを営んでいました。逆に貴族階級は色々と制約の多い生活でした。庶民階級でも富裕層は貴族の真似をして色々と儀式を行い、それが「日本の伝統」として今に伝わってるモノも多いです。 明治以降は日本ではほぼ100%の日本人が、天皇を信仰の中心に添えたいわゆる日本教を信仰する様になったため、それに基づく様々な宗教儀式が生活習慣の隅々にまで行き届いています。今でも多くの人が「日本的である」と考えるモノのほぼ全てが、この日本教によってここ100年以内に新たに作られた習慣や考え方です(日常生活に置いて「自分は特定の宗教を信仰していない」と考えるのも日本教の主要教義の柱の1つです)。 記録に記された結婚式の手順とか、結納の様子などは全て貴族階級に属する人々の習慣を書き記したモノで。明治時代のだいぶ後にならないと一般的な日本人、つまり農民の家で結婚式などする習慣自体がありませんでした。江戸時代までは生まれてから死ぬまで一生、村の外に出る事も無く、下手すれば隣村の事すら何も知らずに一生を終える事も珍しくなかった時代から、明治時代になり義務教育が普及して国民皆兵の名の下に徴兵が実施された事で、生まれも言葉も違う者同士が強制的に一箇所に集められて1つの目的に従って行動する事を教育、即ち国民教育が推進された事で日本人の文化的均質化が一気に進みました。 これはどこの国や民族でも同じですが、最初は貴族や王様が始めた習慣や儀式が革命や戦争などにより情報が庶民の知る所となり、それに憧れた庶民が意味も分からず真似し始めていつの間にか文化として定着する~と言う流れです。18世紀以降では新聞などの大衆メディアがこれを大きく後押ししました。有名所としては「X'masにツリーを飾る」などがコレに当たります。日本のモノなら「肉ジャガ」ですかね?

  • wam_f756
  • ベストアンサー率8% (114/1333)
回答No.2

その頃に、結婚式をあげた方は、もう生きていません。 分からないと、思いますよ。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

 新郎の家に新婦が「嫁入り」する儀式で、宗教や僧侶神官の類とは無縁であったようです。  所によっては、新婦の両親は、(今も天皇家から降嫁の際に見られるよう)家に残りました。嫁入りには新婦の兄が(いなければ、おじ等が)主となりました。  嫁入り行列には、箪笥長持などが何梃も続き。持参の家財道具が誇示されました。お嫁さんは玄関からではなく勝手口から入り、新郎側の長老が迎えます。  その時、この家に入る前にこれこれを心得るように、という訓示のようなものが「釜蓋被せ」という儀式で与えられるところもあります。  そのあと新郎新婦の間に三々九度の杯が交わされ、おめで鯛の尾頭付、などから酒宴が始まり、ここで新しい近所の人たちとの顔合わせが行われました。

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