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http://nandemo.fruitmail.net/qa9339423.html 【訊きたいポイント】・・・どうすれば、宜しいと思いますか? 宜しくお願い致します。
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締め切らずにおいてくださり、ありがとうございます。 (続き)☆個と共同体 「本音」と「建前」の階層構造:人間同士の諸関係には、個・家族・共同体・組織・企業・地域・民族・国など様々なレベルが想定されるが、その関係を表す一様式として、「本音・建前」という用語がある。ある観点から捉えれば、本音とは個の自己保存のための心情、すなわち「要不要」に基づく発想であり、建前とは共同体全体の秩序維持のための規範、すなわち「正否」に基づく判断と言える。 ところが、ここでレベルを移してみるとどうなるか。つまり、個と共同体(ゲゼルシャフトとする)の関係を一つ上の次元へ平行移動して、共同体とそれを含む地域社会や国との関係として考えてみる。そうすると今度は、共同体が個的な心情としての本音を地域社会や国に対して抱くという構図が現われる。つまり共同体は、内に対しては成員に秩序を求め(簡単に図式化すれば、それが成員にとって建前となる)、外に対しては共同体の自己保存や自己増殖(すなわち共同体にとっての本音)を主張する、という格好になる。 個や共同体にとって、本音は自己保存や自己増殖の願望から由来し、上位団体や外部に向けられる。建前は秩序維持の願望から由来し、所属の成員に向けられる。なお、個にとっての本音は基本的に自己保存であるが、共同体にとっては、その存在理由などに照らして考えるに、むしろ自己増殖に重心がある。 さて、そこで、個と個、個と共同体とのあるべき関係とは何か。個人であると団体であるとを問わず、人権を尊重しあえる他者との関係の根底に据えるべきことの1つに、すでに一部触れたとおり、「共生」の概念がある。そして、その共生の条件、あるいは、少なくとも共生や人権尊重のために推奨できることは何か、というのが目下の案件である。以下では、特に個人対共同体(会社・公共団体・地域集団・国など)の関係の視点から考えてみたい。 A.人権を尊重する「関係性」を求める (1) 必要に応じて変形可能な柔軟構造をもって旨とし、小異を捨てずに大同につくことができるような関係のあり方が理想だろう。 (2) 異質性を排除せず多様性を良とする、つまり文化相対主義的な姿勢で、異文化親和を高めることが共生思想の基底として重要である。 (3) そのためには、従来型の位階構造でなく、「リゾーム」(ドゥルーズ、ガタリ『千のプラトー』)が描くような「根茎ないし網目結合構造」が望ましいだろう。そこでは離接がより自由で、管理でなく相互支援が基本である。 B.「協定という関係性」を考える (1) 何より個を中心に据えるべきである。例えば、従来、契約・協定の類は個の頭越しに上位団体レベル(国家間等)で行われるのが通例だが、団体レベルで行われる交渉関係は不可避的に当該団体の本音すなわち「自己増殖的願望」を基本に持つため、常に政治力学で動き、大国(的存在)の思惑に引きずられる傾向がある。これは可能な限り個的本音のレベルで、つまり自己保存の論理に即してなされるべきである。雑念を排するべく、生身の人間を基本に据えるべきである。少なくともその精神は汲むべきである。 (2) 日本的交渉術・疑似契約法ともされる「根回し」は、本音と建前を調和させるための優れた手法と言えるかも知れない。状況によってはこれが活きることもあり得るだろう。 以上は、やや現実離れした原理的な考察ではあるが、今日の混迷する国際関係などに鑑みるに、このような基本に返る発想が必要ではないだろうか。そして、文化的位相差による軋轢や煩雑化を最小限に抑えるべく、単純な「個の普遍化」、所属団体から求められる役割等に拘束されない裸の人間としての関係に可能な限り肉薄すべきである。 こういう基盤に立つ関係性のありようは、地球上の多くの共同体に通底する要件であると思う。そしてそれは、成員が対等・平等の関係を享受し、維持しつつ共に生きるための人間共同体の理想型とも言えるだろう。 以上、つたない文章ですが、「“共生”‐人権を尊重する関係性を目指して」と題して私見を述べました。場を与えてくださり、ありがとうございました。
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- Nakay702
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「お礼コメント」をありがとうございました。 失礼しました、「言い出しっぺ」は言いすぎかもしれません。というのも、「私の回答が参照として挙げたサイト(スレ)に入っている」ということだけですので。また、「紫陽花」は、確かに他の方の質問です。承知してました。私の書き方がまずかったと思います。 さて、(1)でお約束した、本題です。少々堅苦しいことを書きます。「“共生”‐人権を尊重する関係性を目指して」、長文です。 ☆「カルネアデスの板」から共生問題へ 「カルネアデスの板」という問題提起がある。大海中で小さな板にしがみついている遭難者が、それにすがろうとする別の遭難者に対してとる排除の行動について、倫理的側面からどう考えるかという問いである。永遠に解の出ない問いかも知れないが、あえて一観点から答えれば、「どんな美名の下でも他者の自己保存の侵害を是認するような大義名分はない」となろうか。 自己犠牲など奇特なケースもあり得るが、通常我々は自己の生命を確保できて初めて他人の生を慮り、共生などのことへも思慮が及ぶ。自分の身の安全が保障されなければ、他人を配慮する意識も持てない。ところが個の存続は常に保障されているとは限らず、いついかなる脅威に晒されるか分からない。だから、個が他の存在を受け入れ、人権を尊重し、協調すること、すなわち共生する仕組みはあらかじめ存在したり自然発生したりするものでないことは明白である。 不安な現代、いかに歴史や立場の違いを乗り越えた協調関係が求められるといえども、地球上の人類が自発的に共生するような構図を描くのは至難である。そもそも、そういう形態が簡単に出現するようなら、問題そのものが起こっていないだろう。では、各個人、さらには諸民族が、共生を志向する気になるのは、どんな場合があるか。そこへ至る契機は、過当単純化の嫌いがあるかも知れないが、次の二つくらいしか考えられない。 一つは、やや唐突な発想だが、人類に共通する敵、例えば宇宙人が現われたような場合である。強力な武器を携えた宇宙人が地球を襲撃してくるようなことが仮にあれば(細かくは、裏切・内通・取込等の特殊状況が付随するに違いないが単純化すると)、地球人は利害を共有することにより結束せざるを得ない。しかし、これは共生でなく共闘である。利害の一致が前提される臨時の協力体制である。 では緊急事態でもなく、利害の一致もないような場合はどうか。自発的な共生があり得ないなら、残る手立てとしては契約・協定の類があるのみである。これが二つ目の方法である。ある意味で、共闘は自己保存のための方便であり、現状維持が基本目的だが、契約・協定の場合はもっと複雑で、別の考察が必要となる。(続く) 長くなりましたので、続きは、(もしあれば)次の機会に書きます。話が「我田引水」気味になってきましたので、ご興味がないかもしれません。(その場合には中断するもやぶさかではありません。)
お礼
Nakay702様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「大海中で小さな板にしがみついている遭難者」 いえいえ、これくらいで「長文」と >「だから、個が他の存在を受け入れ、人権を尊重し、協調すること、すなわち共生する仕組みはあらかじめ存在したり自然発生したりするものでないことは明白である。」 ・・・「「強姦魔」は、社会的に淘汰されて来た」というらしいですね。 >「不安な現代、いかに歴史や立場の違いを乗り越えた協調関係が求められるといえども、地球上の人類が自発的に共生するような構図を描くのは至難である。そもそも、そういう形態が簡単に出現するようなら、問題そのものが起こっていないだろう。では、各個人、さらには諸民族が、共生を志向する気になるのは、どんな場合があるか。そこへ至る契機は、過当単純化の嫌いがあるかも知れないが、次の二つくらいしか考えられない。 一つは、やや唐突な発想だが、人類に共通する敵、例えば宇宙人が現われたような場合である。強力な武器を携えた宇宙人が地球を襲撃してくるようなことが仮にあれば(細かくは、裏切・内通・取込等の特殊状況が付随するに違いないが単純化すると)、地球人は利害を共有することにより結束せざるを得ない。しかし、これは共生でなく共闘である。利害の一致が前提される臨時の協力体制である。 では緊急事態でもなく、利害の一致もないような場合はどうか。自発的な共生があり得ないなら、残る手立てとしては契約・協定の類があるのみである。これが二つ目の方法である。ある意味で、共闘は自己保存のための方便であり、現状維持が基本目的だが、契約・協定の場合はもっと複雑で、別の考察が必要となる。(続く)」 「「共闘」は「共生」ではない」、なるほどですね。 経済学者様なら、どのように表現されるのでしょう。 >「長くなりましたので、続きは、(もしあれば)次の機会に書きます。話が「我田引水」気味になってきましたので、ご興味がないかもしれません。(その場合には中断するもやぶさかではありません。)」 開けておくべきというスレは、開けて居ります。
- kazamidori360
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櫻井 よしこ(さくらい よしこ、1945年(昭和20年)10月26日 - )は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。国家基本問題研究所理事長、「21世紀の日本と憲法」有識者会議代表、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表。本名は櫻井 良子(さくらい よしこ)。以前は本名の「櫻井良子」名義で活動していたが、1994年4月に平仮名で「櫻井よしこ」との表記に改めた。 経歴[編集] 生い立ち[編集] ベトナム民主共和国・ハノイの野戦病院で日本人の両親の間に生まれた。帰国後は大分県中津市に住むが、のちに母(小千谷市出身)が郷里である新潟県長岡市に転居した[1]。 新潟県立長岡高等学校卒業[2]。上京し、慶應義塾大学文学部に進学するが中退し[3]。その後、ハワイ大学マノア校歴史学部を卒業。 https://ja.wikipedia.org/wiki/櫻井よしこ ~~~~~~~~~~~~~~ kurinalさんどうしたのですか。 どうすればよいのか、よくわからないです。
お礼
kazamidori365さんは、何処へ行った・・・ >「どうすればよいのか、よくわからないです。」 http://nandemo.fruitmail.net/qa9339725.html ・・・「信無くば、たたず」ということですか。
お礼
Nakay702様、こんばんは。 >「締め切らずにおいてくださり、ありがとうございます。」 いえいえ。 >「ところが、ここでレベルを移してみるとどうなるか。」 ・・・ まあ、人権を侵害しない、であればOKです。
補足
こんにちは。 ある人、曰く・・・ 「いいか、戦争は、絶対に、しちゃいけないんだからな」 と、私へ説く訳。