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大乗仏教は小乗仏教を否定することから生まれた宗教で

大乗仏教は小乗仏教を否定することから生まれた宗教である。 相手を否定することから入った学問は、次に出て来た学問から否定される運命にあるのである。 否定から入る学問は自らも完全ではないと言っているようなものなので他から指摘が入って内から滅びて行くのである。 小乗仏教は他を否定しないので内から滅びるが、大乗仏教は他を否定するので外から滅びるのである。

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  • mare5646
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回答No.1

大乗仏教は小乗仏教を否定していないと思っていたけど、違ったかな? よく宗教を山登りに例えられるけど、自ら装備を装着し、頂上へ登る道を歩いて開拓し、それぞれルートが違えど同じ頂上を目指すのが小乗仏教。 その開拓したルートを道の幅を広げ、バスに乗って誰でも気軽に頂上へ行ける様にしたのが大乗仏教。 故にバスを運転するには、危険箇所や見どころポイントの紹介が出来るガイドもしなければならないので、小乗仏教ありきの大乗仏教かと思いますが、どうなんでしょうか。

blackkigyou2017
質問者

お礼

ありがとうございます 否定しています

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