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神社とお寺、どっちがご利益ありそう?

ちょっと不謹慎な質問かもしれませんが、神社とお寺ってどっちがご利益がありそうですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.7

 4番回答者です。  前回、神様押しの回答を書きましたが、実は真宗門徒の一人として、こう言い切るのはどうなんだろうと思って削除したことがありました。正確を期すためには書いた方がいいと思い直したので書き足します。  仏様って、簡単に言うと、「欲」を捨てて、安定不動の「想うでもなく想わないでもない(非想非非想)」禅の境地に到ることを良しとする教えなわけです。  そういう教えを説くお寺に行って、ご本尊の仏様に「当たりの宝くじが欲しい」とか「AKBの一員になりたい」とかの御願いをして、かなえてもらえそうでしょうか?  もう一度書きますが、私は真宗大谷派門徒ですんで、こう書くのは躊躇せざるを得ないのですが、その手の願いで御利益を得るのは無理なんじゃないでしょうか。「欲は捨てろ」と言われるのがオチなのでは?  唯一、薬師如来など専門の仏様もいらっしゃることなので、「病気を治してください」的な、「救済」を求める系の御願いならば御利益を期待できるでしょう。  そこで問題になるのが、質問者さんの尋ねていらっしゃる「御利益」がどんな御利益なのかですね。  例えば、  良い人と巡り会って結婚したいとか、競馬で一発当てたいとかの、いわゆる「現世利益」を言ってらっしゃるなら神様・神社に。  血圧を下げてくれとかコロリと死にたいとかいう救済願いについての御利益なら仏様・お寺に。  それぞれ軍配が上がると思われます。

dzeko
質問者

お礼

現世利益か救済か、ということですね

その他の回答 (8)

回答No.9

神社におけるご利益は「大難を小難に、小難を無難に」というものです。 例えて言えば、船が進むとき舳先に波が立ちますね。この波は船の推進力を阻害する(造波抵抗)だけではなく、無理に進むと小船をへし折ってしまうくらいの力があります。大型でも壊れる可能性があります。しかしこの造波抵抗は船が前に進むときには必ず生まれるものです。 そこでこの波を小さくするためにできたのが舳先にある丸い頭です。バルパスバウというそうです。 神社におけるご利益はこれと同じで、人が前に進むときに発生する障害を小さくして乗り越えやすくするためのものです。従って神社で祈願しても自分が努力し前に進まなければご利益は得られません。そして、生けるもの全ては障害を乗り越える事によってのみ進化、進歩してきました。ですから障害を無にはしないのです。 一方寺、特に密教では現世利益を主にしています。つまり仏徳によって障害を取り除くことを旨としています。ですから障害を取り除くためには密教が有利と言えます。 ご利益というものとどうとらえるかで「どっち」かは変わると思います。

dzeko
質問者

お礼

神社の祈願は前に進む努力が必要なのですね。

回答No.8

56歳 男性 その時、その時の場面で変わると思います 学問の神様 安産の神様 金運の神様 幸運の神様等々 信じる者は救われると言いますので、質問者様が決められたら良いと思います。

dzeko
質問者

お礼

たしかにそれぞれ専門の神仏がいらっしゃいますね

  • fujidenki
  • ベストアンサー率11% (27/230)
回答No.6

どちらもあると思います。信じるものは救われる

dzeko
質問者

お礼

信心次第でしょうかね

  • amano4
  • ベストアンサー率8% (24/279)
回答No.5

どうなんでしょうね。神主さんとお坊さん、どちらが無病息災なのかデータが欲しいですね(笑)

dzeko
質問者

お礼

面白そうですね(笑)

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.4

 それは断然、神社でしょう。  仏教は、  欣求浄土(心から喜んで浄土に往生することを願い求めること)  厭離穢土(煩悩に汚れた現世を嫌い、離れること) <広辞苑>  などをスローガンにしており、厭世的です。現世を嫌う教えです。  それに対して、神社に祀られる「日本の神様」は、我々のご先祖様です。  いまでも、我々が捧げる歌舞音曲を喜ばれ、古く天照大神様が岩戸に隠れられた時は、神々はアメノウズメノミコトに神がかりさせて岩戸の前で史上初めて「ストリップショー」を開催してやんややんやの拍手喝采をされた方々です。  はやい話が、好み、考え方は現代人である我々と同じなのです。  神社で祀られる神々がご先祖サマですから、万能ではありませんが、子孫の幸せは神々も願うところであり、趣味嗜好・考え方が一致するので、神々が良かれと思ってしてくださることは、現代人にも良いことのはずなのです。  趣味や考え方が同じなので、神様がよかれと思って与えた試練で信者が死んでしまう、というような、「神様、その試練はうれしくありません、良くないです」と言いたくなるような誤解は日本の神様の場合、おこりません(たぶん)。  ゆえに、現世の幸せ、慶びの多きことを願うなら、神社に行って謹んで御願いしたほうがよかろうと思います。

dzeko
質問者

お礼

たしかに神社の神様はすべての日本人のご先祖さまですね。

  • alaba
  • ベストアンサー率8% (23/273)
回答No.3

神社のほうが気に入った個人へのガツンとした御利益、お寺はゆるくひろーい御利益って感じがしますね

dzeko
質問者

お礼

お寺は緩やかな感じはしますね

  • kompany
  • ベストアンサー率10% (23/227)
回答No.2

どちらもあると思いますが、神社の神様のほうが礼儀などに厳しいので、ご利益を得るのが難しいような気はします

dzeko
質問者

お礼

そうなんですね

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>ちょっと不謹慎な質問かもしれませんが、神社とお寺ってどっちがご利益がありそうですか? 個人的な考えですが・・・ 剣豪・宮本武蔵の言葉に「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」がありますが、自分の信じるところに熱心に願掛けし、その目標に向かって不断の努力精進を忘れず怠らず行うことが、何よりも大切な与件だと思います。 また、、寺社にはそれぞれの祭神や始祖がおられ、信仰霊験の由来や由縁から、神仏に合力を求め、願いの内容により人々は場所時機を選択し、お参りされているのだと思います。 ご利益は自ら努力精進するものに自ずと授かるものであり、願いを祈り頼るだけで実現達成は覚束ないのでは・・・

dzeko
質問者

お礼

やはり自己の精進が必要ですか

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