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目に見えないものを信じない私の感性
- 私は目に見えないもの(情、気、神仏)を信じていません。地獄や天国、輪廻転生も信じていません。周りでは不思議な体験や愛情についての話がよくあるけれど、私はいつも否定してしまいます。感性が鈍いのかもしれません。
- 私は目に見えないものを信じません。神仏や霊、気、愛、魂などの存在については全く信じていません。地獄や天国、輪廻転生も信じることはありません。周りでは不思議な体験や愛情についての話がよくされますが、私はそれに対して否定的です。つまり友情や愛情についても感じたことがなく、心に響くものではありません。
- 私は神仏や霊、気、愛、魂などの目に見えないものを信じていません。また、地獄や天国、輪廻転生も信じることはありません。周りでは不思議な体験や愛情についての話がよくされますが、私はいつもそれを否定してしまいます。友情や愛情についても感じたことがなく、心に響くものではないのです。
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質問者が選んだベストアンサー
いつも1対10くらいで責められてコテンパンに言われるわけですが、私は間違っていますか。 僕は、世の中は「間違っている」と「間違っていない」とに二分されていると思わないので、別にどうでもいいと思います。「親戚の集まり」ではもっぱら食うことに専念しています。
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- kangaroo-D
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目に見えない物は信じない、というのはどうなんでしょう? 目に見える物は何でも信じるわけではないでしょう? 現代科学の信奉者というわけでもなさそうなので、科学的に証明されていなければ存在はしない、と思っているわけでもないですよね。 おそらく、多くの人が思っていることは、 「ホントにあるかどうかはわからないけど、見たことないし、根拠づける説得力もあんまりなさそうだから、あると信じることはできないかな」 ということだと思います。 信じる根拠となるべき基準が、人によって違い(科学、信仰、体験など)、また、その基準が緩かったり厳しかったりするから、色々な人がいるわけです。 だから誰も間違ってはいないのです。 誰も間違っていないからこそ、自分の基準だけで判断して、否定するのも、コテンパンに責めるのも間違いなのではないかと。 実害が出ない限りは、「まあ、そういう考え方もあるかな」くらいでいいのではないかと
- AnataO192
- ベストアンサー率28% (162/562)
>感性が鈍いのかもしれませんね。 ・感性でもなく鈍いでもないと思います。 合わないだけだと思います。 霊でも気でも愛でも魂でも何でもいいけど、それら見えないもの…例えばラジオで周波数というやつも見えないけどそれを合わすと放送局からの音が聞こえてきます。 そんな感じですよ、感じじゃダメですか、感じれないから。 たまたまその帯域を持ち合わせていた人とでもいいましょうか…帯域を合わすように集中して感じられるとでも言いましょうか。 逆に、信じないという人の場合は、気付いていないだけで、実はそのような能力を持っている人…であったとしても、合わす気がない人は合わないし、合うはずもないわけでして、良いとか悪いとか信じるとか信じないとかは、それ以前の考え方に問題があったり、障害となっているのでは…。 信じろと言われたのかな。 そういう人たちは質問者さんに何を言いたいのでしょうかねえ。 …精神病になった人は他人には聞こえない音が聞こえたり見えたりするので、逆に多くの他人様がそんなの見える方がおかしいと言えば、その人は精神病となるわけですから、霊が見えるとか神を見たとか信じているという人は皆精神病ですねえ。 質問者さんから見ればそんな感じで精神病やんと思えるのでしょうかねえ、ま、ご期待する回答にはないっていないと思いますけど。 結局信じようが信じまいが、いまんとこ毎日ですねえ、東から昇ったお日様は西へ沈むのです。 人間が悩んでいたって、毎日お日様はちゃんと昇ってくるし、それを信じるとか信じないとか考えてわざわざ言うのもなんですかねえ。 そういえば太陽神と言うのが古代にありましたねえ、何を信じたのでしょうねえ。 お日様も宇宙も「あんたら人類、好きなように思えばええがな、知らんわあ、こっちは回ってるしそれでええやろ(なぜか関西弁)」と思っているかもです。 …質問者さんは神仏、霊、気、愛、魂それらを信じないのではなく正確には「それらの考えを押し付けてくる人」を信じないのだと思いますねえ。 そういう人には関わりあわなければいいし、質問者さんを理解できる人はほかにたくさんいると思います。 私も理解できないことはたくさんあります。 だからと言って自分が感性鈍いとは思いません。 なのに熱心な宗教人類を見かけると、理解しようとも思いませんから、あわれやのおと思っているだけで偉そうに論じたり啓蒙する気もありません。 …どこかの宗教は神聖な?「豚を食べたらダメ」とかあるけど、その宗教の人がひょんなことから話だし「酒飲んだらいけない教えがあるので、消毒されないし、腹壊すから食うな」という教えなんだと私に話してくれました。 「ああそうなんだあ」で終わりです。 …なんとか学会…ありゃ宗教じゃなく、ただの学ぶ会ですねえ。 なんとか宗というのをお勉強している「なんとか宗教お勉強の会」なのにと、私は勝手に思っているわけでございますけど、私はその会員じゃないけど友だちや知り合いはたくさんいますねえ。 ま、宗教なんてのは宗教の「教」というのがアホらしいですねえ、神だとか仏だとかになりきって教えなきゃいけないなんて、大変やなあと思いますわあ。 まあ、なんだかよくわかりませんけど、なんとなく私は感じることはできますよ、文字にすればそれがいわゆる神仏や霊や愛・魂なのかもしれません。 ちなみに私は仏教ですけど、なんとなく仏さんに対して南無~とやっているだけですし、何の疑問も不自由も制限もありませんねえ。 それにそれを誰かに「信じろ」とか言うのもしませんねえ。 …占いだって熱心に利用している人見るとアホやなあと思いますわあ。 当たって何になるのかねえ? …「♪わけのわからないことで悩んでいるうち、老いぼれてしまうから♪」という歌がありますけど、質問者さんはお題の「目に見えないものを信じない」ということがわかりたいのですかねえ、わかってほしいのですかねえ。 ちなみに「感じることのできない障害」というのがあるそうですが、考えたことありますかねえ。 目で見たもので感じることを好む人は文字で感じることを好むのかな、愛を感じることはできないのかな。 エッチなことも文字がないとダメなのかな。 哲学カテでした。 「汝自身を知れ」はどうでしょうか。 否定するのは自由です。
- oyatsuya
- ベストアンサー率21% (111/517)
☆私は感性が鈍いのかもしれませんね。 どうかなぁ? 私は経験と実証で「神仏、霊、気、人間以外からの愛、魂」は信じているけど、「人の友情、愛情」は経験で信じてないです。 だから、質問者さんも、感性が鈍いというより経験でってことだと思う。 ☆1対10くらいで責められてコテンパンに言われる ってのは、ストレスになるから、言われないように黙っているか席を外すかしておいたほうが気持ちが楽だと思います。
- sirousa3
- ベストアンサー率50% (6/12)
私自身、昔 質問者さまのように感性が鈍いのかな?と 悩んでいた時期がありました。 冷めた目で親戚の人達の浮いているような状態を見ていた時に 自分だけ違うのかな?と感じた事がありました。 言い方を変えると「冷静な状態」で周りの人を見ていただけ。 感性が鈍いのではなく、経験していないだけなのだと思います。 人は自分が経験したり 見た事、学んだ事だけを認めて 知り得ない事柄や証明されていない事はわからないものです。 だからと言って 他の人が体験した事を否定するのも どうかと思います。 質問者さま ご自身が体験していないから わからないというだけなんです。 「友情、愛情」を感じた事がないとの事ですが では、親の愛情はどうでしょうか? ご両親の愛情表現がクール、または不器用な表現でしたら 子供は 愛情を感じにくいかもしれませんが 大人になるにつれ 子育ての大変さを理解出来てくるようになります。 自分が親になり はじめて親の愛情や大変さを理解出来たりもします。 自分が子供に愛情を持つのも しっかりと認識出来ます。 これらは経験すれば非常に良くわかる事です。 本を読んだり 映画を観たりして想像力を広げたり 認識を広めてみると良いかもです。 理系の方でしたら量子や宇宙、生物などを見ていくと 不思議だと思うものが きっと出てくると思いますよ。 例えば この宇宙がどうしてできたのかを自分で想像してみたり まだまだ これからですよ。 色んな事を経験していくのですから。
お礼
宇宙には小さな興味があり、NASAのページを見たり英語で書かれた論文を読んだことはありますが、正直僕の頭で終える内容ではありませんでした。
- amenhotep2000
- ベストアンサー率31% (72/227)
fearless1996さん こんばんは。 fearless1996は「空気」の存在を信じますか? 眼には見えません。 しかし、生物が生きていくためには必須で呼吸をしています。 ほとんどの生物に必須な、空気中の酸素の存在が分かったのは18世紀であり、それまで、動物精気というものが、眼に見えない空気中にあり、生物を生かしていると何千年もの間、信じられ常識でした。 現在における常識を疑うことも必要です。 この呼吸の「息」はギリシャ語では「プネウマ」と言い、「風」とも訳されます。 風はどこから吹いて、どこに行くのか、誰も知らない。 哲学的命題です。 「プネウマ」はさらにキリスト教では「聖霊」とも訳されます。 聖霊はどこから吹いて、どこにいくのか、誰も知らない。 学生時代にクラスに「空気のような人」と言われた人がいました。 まったく、存在感がなく、いつの間にいたの?と。 しかし、彼は、空気のように、私達が生きていくのに必要な人でした。 なぜなら、彼は卒業アルバムの写真を、撮り続けていた、裏方だったからです。 ですから、卒業アルバムを開いても、彼は集団写真にしか写っていません。写真撮る人だからです。 どんな人も、社会で何らかの役割をして、社会を形成している。 私は、卒業写真を開くたびに、彼の愛を感じます。
お礼
おもしろい話ですね。お笑い的な意味ではなく、興味深いということです。
- daiamon3
- ベストアンサー率20% (7/34)
>いつも1対10くらいで責められてコテンパンに言われるわけですが、私は間違っていますか。 ある人にとっては間違っていますし、ある人にとっては正しいです。 人は基本的に自分の信じたいものを信じます。 また「存在しないこと」の証明は不可能です。 我々人間の認知を超える場合、そもそも在る無しにかかわらず認識することが出来ないからです。 同時に神仏などの存在の証明も不可能です。 以上が事実だと思います。 その上で事実をどう解釈しようとも、個人の自由ではないでしょうか。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11128/34636)
信じる信じないは個人の自由だから、それをとやかくいえるものではありません。 ただ、アドバイスというかなんというか、「見たから信じる」「見ないから信じない」だと、それが霊的現象であれなんであれ「見てしまった」ら信じないと収まらないことになってしまいますよね。例えば、夢枕に神様が立ってしまったらもうそれは信じるしかないじゃないですか。 ですから、「見えたから信じる」「見えないから信じない」ではなく、そこに「考えたうえで信じる」というのを付け加えたほうがいいと思います。 あと自分が信じているものも、結構「見込み」で信じているものもあるものですよ。例えば「昔、徳川家康という人がいた」っていうのも学校で習ったりみんながそういうから信じているわけでしょ。でも会ったこともないし、「学校で習ったから正しい」と思っても、私なんか子供のときに学校で聖徳太子について習ったのに最近は「なんか聖徳太子って人は実在しないっぽいです」なんてことも起きるわけで、もっと数学物理的なことも「やっぱ間違っていました」って事態もないとはいえないです。物理学でも絶対正しいと言い切れるのはニュートン物理学くらいですし。 「この人が、僕の両親だ」ってのも、別にDNA検査をしたうえで信じているわけでもないじゃないですか。本人たちが親子だと思っていても実は血が繋がってなかったなんて話もちょいちょいあるのですからね。「今目の前にいる人は、僕に半分似ているから僕の親だと信じる」だとしても、ひょっとしてひょっとしたら実の親のきょうだいということだって絶対にないとは言い切れないわけで。だとしたら、「目の前に親がいるからこの人を親だと信じる」も果たしてそれでいいのか、なーんて話にもなりますよね。だから「信じる」というのはなかなか奥が深い話なのであります。
お礼
世の中信じれることなどないですね。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
あなたの言う、「目に見えているもの」とは何ですか? 我々(認識体)が本当に捉えているのは、網膜上の視細胞 の表面での光量子に他なりません。 生後の五感の相関した刺激の集積において、新たな光や音 などの情報性の高い先行感覚に対して、他のより生理的な 感受(物質的な作用)を励起させる=つまり「そこへ行けば 何が起きるかを予測する事」が、空間的広がりの本質なのです。 つまり、「目に見えているもの」などという事自体、嘘っぱち なのです。 そうした不完全な認識機能において、経験の蓄積により、 階層現象(認識体(脳)>細胞>分子>原子>素粒子>クォーク >超弦(量子定常波))を表面的に(いい加減に)捉えるという プロセスが、「原理的に絶対的に確定化すると存在確率が無限 発散してしまう」という不確定性原理を回避して、有限的な 存在=宇宙を生じているのです。 宇宙を疑いましょう@好奇心。
お礼
物理学なんてやるき無いです。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
例えば、神仏、霊、気、愛、魂などの類は信じていません。 ↑ ワタシも信じていません。 神仏、霊、気なんてのが存在するのは、人間の 頭の中だけです。 月や星が存在するのとは意味が違います。 愛は存在しますよ。 物質的にではなく、人間関係の中に存在します。 魂の存在は、分子生物学では否定されています。 重力などといったものは目に見えませんがこういう類は関係なしです。 ↑ 重力とか分子原子素粒子などは目に見えませんが その存在は物理的に確認されています。 人間の頭の中にだけ存在する、というのとは 違います。 まだ発見されていない惑星はどうでしょう。 宇宙の広さを考えれば、存在は必須でしょうが 誰も見たことはありません。 地獄や天国、輪廻転生も一切信じていません。古くから これからのことは大衆の間では信じられていますよね。 ↑ 今時そんなのをマトモに信じているのは 一部だと思いますよ。 私は間違っていますか。 ↑ 間違っていません。 ただ、概念上の存在と、客観的存在を区別すべきだと 思います。 私は感性が鈍いのかもしれませんね。 ↑ 友情愛情が判らないといういのは少し変ですね。 判ろうとしないのか、サイコパスかのどちらか だと思います。 歴史の英雄とか、大企業の経営者にはサイコパスが 多いと言われています。
- IDii24
- ベストアンサー率24% (1597/6506)
目に見えないものは信じないが重力は信じる?か。では重力が異次元に抜けているというのは?信じない?量子はテレポテーションしているというのは?これを利用して量子コンピューターが作られるというのは? あなたの知識の範囲外にあることだけどこれも信じちゃだめですよね。 要するに幽霊や宇宙人とか愛情ってものに関して原理がわからないから否定するってことですよね。これ自体が前近代的な事ですよね。 死後の世界って最近では「ある」と考えられてもいますね。そこで死んだ人間がそのままの姿で暮らしているかは別ですが、記憶ってのは量子のかたまりなので別次元転移は可能なわけです。物質というのは形を成さなくなっても質量が変わらないのです。要するに人間は死んでもその構成物質は地球に存在し活動しているという事になりますね。身体は他の物質に変化しますが電子は実はあまり変わらない。空中に浮遊して次元移動も可能とすれば幽霊の根拠になりますよね。 愛情ってのもその流れ。エンタングルメントされた量子は違う肉体に宿っている可能性があり、それが共感を生むという事も考えられますよね。 心に響かないのではなく興味が持てないの間違いでしょう。要するにそれだけ知識が浅いという事になると思います。物事は興味から始まるので自分の成長を止めてしまうような事は自分にとって不利になるだけだと思いますよ。
お礼
そんなことを知識として学んだとしても、僕にとってはなんのメリットもないのでいいです。 理系出身ですが、僕は天才でもなんでもないですから難しい数学や物理学を学んだところで意味ないのです。
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お礼
僕自身がどんな人間なのかいまだに謎なので、まずは自分を理解することから始めようと思います。仏教や○○教も信じていいと思いますが、その教えを権力に使ったり、事件を起こしたりする宗教は少しどうかと思いますね。 過激派組織などは、 教え で動いていると言われますが、果たしてそれは本当に 教え なのか、彼らの 行き過ぎた思想 なのか。