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もし、本能寺の変がなかったら?
もし、本能寺の変がなかったとしたら、その後の世の中はどのように変わっていたと思いますか?
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- eroero4649
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信長が実質的にもう天下を手中に入れた(対抗できる勢力がなくなった)といえるのは、長篠の合戦に勝利した以降になると思います。まあ長篠の前でも織田と武田の戦力差はどうにもならない状況でしたが、「誰の目にも明らかになった」といえるのは長篠以降でしょう。 その長篠の合戦のおよそ半年後に大和の松永久秀が反乱を起こしています。松永久秀は裏切者の象徴みたいな人ですが、かなり早くから信長についたこともあり、そういう意味では信長との付き合いは長い人でした。この最後の反乱のときも茶釜である平蜘蛛を差し出せば許すといわれていたという有名な話も残っていますよね。 天正6年には荒木村重が反乱を起こしています。これは羽柴秀吉が敵中に孤立することにもなり、もし毛利軍が呼応して一気呵成に行動を起こしていたら少なくとも秀吉軍は全滅していた可能性は高かったと思います。 つまり実質的な「天下は信長」状態でも、ちょいちょい反乱を起こされているのです。その最たるものがいうまでもなく本能寺の変で、明智光秀という人は信長の側近中の側近もいいところで、おそらく信長は秀吉より柴田勝家より誰よりも光秀を信頼していたと思います。本能寺に攻め込んだ兵が明智の兵だと知った信長が「是非もなし(しょうがない)」といったのは、「アイツに謀反を起こされたら、もうしょうがない。アイツのことだからキッチリ仕事をするだろう」というニュアンスも含まれていたと思います。 今の日本の政権に例えるなら、菅官房長官が謀反を起こすようなものです。あの人が起こすくらいなら、誰が起こしたって不思議はなかったでしょう。また信長は典型的な暴君でしたが、スターリンや毛沢東のように自分の地位を危うくしかねない人物は側近であっても国を弱体化させる危険があろうと容赦なく粛清するということはしない人物でした。 スターリンはソ連軍で画期的な戦術を提唱したトハチェフスキー将軍を粛清してソ連軍を大変に弱体化させました。そのせいで危うくソ連軍はナチスドイツ軍に敗北するところでした。毛沢東は林彪のパージで足元の基盤が揺らぎ、それを固めるためには文化大革命を起こさねばならず、その文化大革命は中華人民共和国そのものを大きく後退させてしまいました。 だから信長が天寿を全うしたいと思ったら、自分の基盤を揺るがすリスクを負おうと光秀や秀吉、家康といったような「自分にとってかわれる能力がある人物」は粛清しなければならなかったでしょうし、そうしようとしたら身近な誰かによって暗殺されることも逃れられなかったように思います。側近中の側近の光秀に裏切られたくらいだから、もしかしたらどこかで森蘭丸が暗殺事件を起こしたかもしれません。 最終的には家康のような保守的な人物によって、自民党政権のような江戸幕府のような「最大多数の最大幸福政権」によってまとめられることになったと思います。
- hekiyu
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本能寺が無くても、ああいうタイプは暗殺 されますよ。 暗殺されないで、天下を統一したら面白かったでしょうね。 朝鮮、や明を攻撃したんじゃないですか。 第三の元寇を防止するためにです。 秀吉は失敗しましたが、信長なら成功したかも。
- kagakusuki
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織田信長はあちこちで恨みを買っていましたから、本能寺の変とは異なる場所で別の日に誰かに寝首を掻かれて亡くなり、その後は概ね史実と大差のない世の中になっていたと思います。
- tknkk7
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朝鮮・中国との戦争発生、勝利不明: