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源氏と平氏 中学の歴史

源氏と平氏について1年生の時に習って 中学の教科書程度の内容は理解していますが ふと疑問におもいました 例えば人の苗字 田中さんだとか山本さんだとか 橋さん 間さんとか この人たちに 氏をつけて呼ぶとき たなかし やまもとし はしし はざまし とそのまま氏をつけるだけなのに なんでみなもとし たいらしではなく げんじ へいし って読むのかなぁと思いました ずーーっと聞き慣れた言葉なので 今更みなもと・たいらの乱とか言われるほうが違和感ありますけど…

noname#225740
noname#225740
  • 歴史
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みんなの回答

回答No.7

なんでみなもとし たいらしではなく げんじ へいし って読むのかというと、なんとなく格好いいからです。 もともとは源氏・平氏の読みとしては音読みの「げんじ」、「へいじ」、訓読みの「みなもとうじ」、「たいらうじ」のどちらもあります。 ただ、漢字というのは音読みしたほうが教養高そうな印象を与えるのです。「雰囲気」を「ふんいき」と読むより「いきふん」と読んだほうがギョーカイ人っぽくて格好良さげなのと一緒です。 大人というのはそういう細かいところでアピールしたがるのです。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9578)
回答No.6

school1234 さん、こんばんは。 むかし、源平藤橘と言って、天皇から与えられた姓があります。しかし、この4姓を名乗れるのは本家の人間だけです。分家になると、その土地の名前を仮の姓にしたのです。例えば、田中荘という荘園を本拠にした一族の頭を田中氏、そして本姓は源氏だった場合、田中左衛門尉源の某と昔の武士は名乗っていました。

回答No.5

やはり,『源氏』の『氏』の読みが,いわゆる日本語の音読みなので,『源』も,音読みなのかもしれません..日本語上の読み方のゴロの都合や,読んだ時の違和感などが,ないのだと思います..『氏姓制度』の場合も,『氏』は,『し』と,音読みですが,『氏』を『うじ』と,訓読みなどで,読む時には,『源氏』や『平氏』も,『みなもと うじ』,『たいら うじ』と,訓読みになるようです..平安時代などの,当時の朝廷の,官職名などを付けた貴族達の通称にも,清少納言(せいしょうなごん;清原元輔の娘)とか,源三位頼政(げんざんみよりまさ;源;馬場頼政),菅公(かんこう;学問の神様;菅原道真公),楠公(なんこう;南北朝時代に,南朝側に付いた,幕末期の尊皇攘夷派の志士達などの英雄;楠木正成公)とか,人名の氏などは,音読みですね‥平清盛氏であれば,官職名の通称などは,平大相国(へいだいそうこく;相国は,太政大臣の唐名;中国風の名称)とか,偉人の『氏』などは,簡潔な感じの音読みですね‥織田信長氏の伝記;『信長公記』も,通常,『しんちょう こうき』と,音読みされますので,音読みか,訓読みかは,時と場合などに,よるのかもしれません..

回答No.4

源平盛衰記、源平合戦、平家物語など源(げん)平(へい・ぺい)と音読みする場合は血族の集団を意味しています。 源頼朝、平清盛などのように源(みなもと)平(たいらノ)と訓読みする場合は個人を指していてご質問の田中さん、山本さんなどの名字(苗字)と同じ扱いになります。 「氏」は現在は個人の尊称のような使い方をしていますが、元々は血族全体を意味する言葉でした。 平家物語を平氏物語としなかったのは、京都にいた平清盛の一族を中心とした物語で平氏血族全体の物語ではなかったことによります。 平氏は高望王を始祖とする一族です。 高望王の末裔は、清盛の一族だけではなく、千葉氏など関東地方に大勢暮らしていました。

回答No.3

源(みなもと)氏をゲンジ、平(たいら)氏をヘイシと読むのと同じように他にも藤原氏と橘氏も音読みで呼ぶのをご存知でしょうか? 藤原氏は藤氏(トウシ)と略されてしまいますけど。 日本四大貴族の略称または四姓の源平藤橘(ゲンペイトウキツ)からきております。 橘氏はあまり活躍していないように感じますがね・・・ 藤原氏以外皇族の血筋(藤原氏も天智天皇の落胤説あるけど)なのです。 ちなみに源平合戦は治承・寿永の乱と言います。姓ではなくて元号なのですよ。

  • meido2010
  • ベストアンサー率15% (68/448)
回答No.2

源氏は源氏二十一流の一つ清和源氏とするのが主流です。 清和天皇の血筋で武家になった源氏は後に源頼朝を輩出しています。 公家、貴族は姓と名の間に、、、乃、、、というように乃の字を入れます。 それは藤原氏に代表されるように藤原鎌足「ふじわらのかまたり」、 藤原道長「ふじわらのみちなが」と呼ぶことに発しています。 源氏についても源頼朝「みなもとのよりとも」と言っていますね。 つまり、それは使い分けです。 また、自身の姓名を名乗る時にも乃の字を入れます。全て宮中に通じる名前 になっていると思ってください。 戦国時代に入って清和源氏を名乗る者が多くいましたが、殆どは偽りの源氏 でした。 明治時代に入って国民すべてが姓を名乗るようになり、田中、高橋、佐藤 などが多くなりましたが、殆どは自分の生まれ住んだ土地に関してのものが 多かったようです。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

 これは「氏」の使い方に二種あるからだと思います。 1。 氏名に付けて敬意を表す。主として男子に用いる。で、ご質問の田中さん、山本さん、などが田中氏、山本氏になる場合はこれだと思います。 2。  氏族の姓氏に付けて、その氏族の出身であることを表す。で、ご質問の源氏、平氏の場合です。源家、平家などと言い換えることもあります。  http://dictionary.goo.ne.jp/jn/92379/meaning/m0u/

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