世の中の仕組みは弱肉強食?弱肉強食とは何か?

このQ&Aのポイント
  • 世の中の仕組みは弱肉強食とは社会において頻繁に使用されている言葉ですが、その概念と用法について考えてみましょう。
  • 弱肉強食は西洋の概念であり、自然界や自然本性における生存競争を指します。しかし、人間が社会を形成する際には弱肉強食とは異なる共存を実現しています。
  • 弱肉強食という概念にはさまざまな解釈があります。例えば、西洋文化が影響を与えたことで特定の共存が期待されているといった見方もあります。また、経済などの争いを弱肉強食と例えることもできます。
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世の中の仕組みは弱肉強食だ。

私が中学生の時図書室にあった読み物にこんな記述があった。 西洋でいう弱肉強食は、自然界、自然本性などの話だけど、社会を形成する人間は弱肉強食から離れた共存をしている。 従って弱肉強食とは人間には当てはまらないことだ。 これは人間とは何かというテーマの記述です。 ただ、弱肉強食とは社会をさして常用語として頻繁に目にします。 そもそも学者さんが概念を輸入したときに間違ったか、その後の錯誤を修正する仕事をなまけたかだと考えますが、それはともかく弱肉強食という概念と用法についてお考えをお聞かせください。 意見を集めることが目的です。 例えば西洋で生まれた話だから、キリスト教徒だけ共存していて黄色いサルは除外されているとか。 社会で平常弱肉強食じゃなくても、戦争でなくても経済などの争いを実際に弱肉強食と無秩序状態を形容するのは適性とか。 例示しましたがこんな事柄をこねくり回してください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.8

社会だって、お金や出世を競い合う弱肉強食のリングです。 ただ、社会は分業による助け合いというベースがあるので、スポーツと同様の「ルールの範囲での弱肉強食」なのです。 では翻って、自然界はルールのない弱肉強食でしょうか? いえ、そこには生態系のバランス(恒常性)というルールがあります。 地球上の生態系の本質は、日光によって励起された化合物の合成(光合成=植物)と分解(消化=動物)の連鎖反応です。 植物が成長(合成)するためには、二酸化炭素と水、窒素などの、化合反応の材料が必要であり、動物抜きの分解(紫外線による分解や大気中の酸素による酸化)より、動物による能動的摂食による高速の分解の方が有効なのです。 生命の進化とは、いかなる“強い種”の創出でもなく、地球に降り注ぐ日光が輻射によって再び宇宙に還って行くプロセスに於ける、生態系としての多様化=地球上の熱容量(物質循環量と速度)の増大だと言えるのです。 生態系全体の進化は、エントロピー減少だと言えますが、それも太陽の核融合というエントロピー増大の一環である、「日射>光合成>摂食>消化>酸化>輻射」という一時的な地上の熱滞留としての、開放系ゆえのもので、結果的にはエントロピー増大を加速するものです。 先にあるのは太陽光=植物による光合成であり、動物はその有機物の分解を加速して植物の光合成の原料にする(物質循環の加速)ための寄生的な存在に過ぎません。 生態系全体で一個の生命として、「地上の熱容量の増大」=生態系の多様化こそが、真の進化なのです。

Flareon
質問者

お礼

おじさま! 今夜は激しすぎます~。 私もううるうるするだけじゃすまないの~。

Flareon
質問者

補足

>人間である許しを得たヨーロッパ社会のみが例外で、 自然界の探査で原始状態が弱肉強食であることを発見し、 高貴なヨーロッパ社会にのみ世界を 征服する資格があるのだ。 これは明治人の視た欧米列強の姿が理解できるが、日本は敗北という歴史上の過程を経ても理解には成功しつつあるよ。私は「敗者の栄光」というのも考えていきたい。世界史がヨーロッパの覇権の歴史からもっと多様化する過程で、アメリカなどが武力で威嚇する国々は、いまだに彼らを明治の日本人と同じように危険視していないかな。中国なんてそう言われてみて思い当たることあるかい。

その他の回答 (7)

noname#260418
noname#260418
回答No.7

>お礼欄の弱肉強食の記述を見るように、 ヨーロッパの根底にある宗教観が思想に現れており、 宗教観と哲学的なことは知らないので 見方が変わると思います。 旧ユーゴスラビアの女の子が ルートメイトでした。 その子から女の子も一年間、徴兵があると 聞きました。 たぶん、工場で作業したり、 男性とちがうと思います。 自立してる感じがしました。 いまセルビアになりましたが、 宗教的な感じはしませんでした。 少数民族問題は仏教ではないと思います。 ウイグル人の女の子と仲良かったんです、 漢民族より、よっぽど優しいです。 弱肉強食が分かり合えないように 共通する価値観のちがいだと思います。 バリエーションに バリエーションが一つしかないような。 どちらかと言うとみんなに合わせることが バリエーション。 弱肉強食が一つの世界であることです。

Flareon
質問者

お礼

バリエーションが一つしかないような。 どちらかと言うとみんなに合わせることが バリエーション。 弱肉強食が一つの世界であることです。 ちょっと修正して解釈したよ。 弱肉強食が一つの世界観であることです。 たぶんそういいたいんだよね。 それなら仏教の世界は娑婆という苦痛の世界、という世界観と同じだね。 例外が多いだけでなく、私は一度、闇の仏陀を名乗る前に論争を仕掛けたことがあるんだ。 世界は苦痛ではなく「私は世界のすべてに幸福を見る」。 可能なんだ。 だって世界観であって個人の心情だから、自分次第なんだ。 当時のこの挑戦の結果学んだのは、仏陀を名乗るより闇の仏陀を演じた方が何かと収まりがいいという事だよ。 ショープレイを演じる前は真面目なこともしていたんだ。 これが世の中に合わせるという事だよね。

Flareon
質問者

補足

ところでSUVIさんの思い出話は楽しいよ。 偏見なんて持ちようがないほど多彩な経験をしてきたんだね。

noname#260418
noname#260418
回答No.6

>他人にむやみに甘えるな。 社会が解決する問題でなく個人が解決する問題だ。 いわれるまでもないことなんです。 助け合いの精神とか礼儀とか いいながら干渉したがる、 助け合いは大事だといいながら 突き放すことです。 >人間である許しを得たヨーロッパ社会のみが例外で、 自然界の探査で原始状態が弱肉強食であることを発見し、 高貴なヨーロッパ社会にのみ世界を 征服する資格があるのだ。 キリスト教や仏教で人を見ることは できません。 わたしが知らないからです。

Flareon
質問者

お礼

> 助け合いの精神とか礼儀とか いいながら干渉したがる、 助け合いは大事だといいながら 突き放すことです。 このように突き放す必要があるときは私にもあるよ。 あなたがコピペしてくれた弱肉強食の論調で、注目すべきは明治の人が対峙した欧米列強というのがいかなる存在だったかだよ、いまだにそうだとは言わないけどね。

Flareon
質問者

補足

>人間である許しを得たヨーロッパ社会のみが例外で、 自然界の探査で原始状態が弱肉強食であることを発見し、 高貴なヨーロッパ社会にのみ世界を 征服する資格があるのだ。 これは明治人の視た欧米列強の姿が理解できるが、日本は敗北という歴史上の過程を経ても理解には成功しつつあるよ。私は「敗者の栄光」というのも考えていきたい。世界史がヨーロッパの覇権の歴史からもっと多様化する過程で、アメリカなどが武力で威嚇する国々は、いまだに彼らを明治の日本人と同じように危険視していないかな。中国なんてそう言われてみて思い当たることあるかい。

noname#260418
noname#260418
回答No.5

外国の人の自己責任とちがう気がします。 >こんな事柄をこねくり回してください。 >常用語として頻繁に目にします 「それはあなたの自己責任」 無責任に人を突き放すことです。 たぶん、自己責任て他人にいいません。

Flareon
質問者

お礼

> 「それはあなたの自己責任」 無責任に人を突き放すことです。 これは、 他人にむやみに甘えるな。 社会が解決する問題でなく個人が解決する問題だ。 テメーで何とかしろ。 こんな言い方なら、熱いアニキなツンデレになっただろう。 自己責任という言葉を持ち出すのは、個人的な課題を依存された場合だと有効だ。

Flareon
質問者

補足

> 自己責任という言葉を持ち出すのは、個人的な課題を依存された場合だと有効だ。 ところでオカマ遊びをする仮面ライダーはここだけの話で、私は普段生き仏そのものだから依存的相談は多いよ。 「あなたなら何もかも許してくれそうだから」こういわれるね。 自分自身しか解決できないと突き放すけど、常用語なら「自己責任でお願いします」になるだろう。 着眼点に、そのように突き放されるようなタイプへの考察も含めるといいよ。

noname#260418
noname#260418
回答No.4

自己責任という言葉は外国から入ってきた 概念です。 人を突き放しますね。 CiNii 論文 -  日本人の自己卑下呈示に関する研究 : 他者反応に注目して ヨーロッパは離脱しながら、 日本は近隣と交流してきた 歴史のちがいがあると書いてありました。 でも日本では日本に合わせます。

Flareon
質問者

お礼

その話は階級とも関係あるだろうね。家族の中でも年上は偉かったりするから、そうした些細なこととだ。 それからね、ヨーロッパとの対比では、 > 例えば西洋で生まれた話だから、キリスト教徒だけ共存していて黄色いサルは除外されているとか。 本来はこれよりもっとえげつない記述がされていて、キリスト教で、人間である許しを得たヨーロッパ社会のみが例外で、自然界の探査で原始状態が弱肉強食であることを発見し、高貴なヨーロッパ社会にのみ世界を征服する資格があるのだ。 こんな論調だったよ。 明治期から始まった西洋研究の当時がうかがえる話だ。 キリスト教が最高の人間の資質であるといった称賛も含まれる。 そうした学問や文化を輸入して、研究し実践する過程で、根幹となったキリスト教の精神を学ばないと理解できないからそっち方面も研究された。 仏教渡来のいきさつの再現だろうと思えて、外国文化を吸収するときに、日本は毎回これをしているんだろう。 笑える話だが、この次はアメリカから渡来する宗教である、宇宙人の地球飛来説で、宇宙人を神格化して研究するんだ。 その役目を請け負った、実在する妖精さんの方はお友達になったよ。

Flareon
質問者

補足

お礼欄の弱肉強食の記述を見るように、ヨーロッパの根底にある宗教観が思想に現れており、哲学で目標にする普遍的知性とでもいうべきものは、全人類的共通の知性とでもとらえた方が目標がすっきりするよ。 ヨーロッパも精神の土壌による明白な偏見が思考の限界を作ってそれを突き破るための努力が近代以降の哲学の成果の多くを占めているだろう。 目も当てられないのが、ニーチェのような自虐性で、キリスト教を人間の思考をゆがめる呪いだと扱ってきたも同然だ。 人が自分で考えるにあたって、自己に立脚した思考に疑問を持ち掛けるという手法だよ。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

基本は弱肉強食なんですよ。 そうでないと優秀な遺伝子が残せません。 でも、それだと社会の秩序が保てない、 不安定になったりする。 北斗の拳の世界になってしまう。 だから、それを緩和しようとしている だけです。 所得の再分配などはその例です。 緩和が行き過ぎると、怠け者や無能者の 遺伝子が広がりますので、人類単位で 測れば問題だ、ということになります。

Flareon
質問者

お礼

自然界への適応と、社会への適応で、適者生存の原理が違っているかどうかだね。

回答No.2

人間社会の弱肉強食と言えば、 企業の吸収合併がそれに当たるのではないでしょうか?

Flareon
質問者

お礼

現代の合併交渉の実情は、お見合い、縁談、である場合が多いけど、明白にそうでない場合もあるね。 仲人は金を貸している銀行のようだが、吸収した企業の資産を奪って実質的に整理解体する場合があったりするね。 この場合も弱肉強食は比喩表現なのだろうか?

回答No.1

自然界に於いての弱肉強食は 共生共存で成り立ってます・・ 単に強いものが弱いものを捕食するだけでは無いのです・・ 食物連鎖に則り 共生共存してるだけ・・ 秩序が保たれてるから弱肉強食の形態に なってる・・ 秩序が無いのなら 弱いものは食べつくされ 強いものも食べ物を失い どちらも全滅し その全滅した 動物の死骸で 他の動物も細菌感染で 地球崩壊に なるだけ・・

Flareon
質問者

お礼

西洋の自然科学でも昔っからそんな見解だろう。 ありがとう。

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