大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。

大正7年(1918年)11月4日の陸軍省の調査では、計3個師団約58,600人を動員しています。 内訳は、戦闘員42,2...

Why-J-people さんからの 回答

  • 2017-01-20 12:21:28
  • 回答No.18
Why-J-people

ベストアンサー率 85% (12/14)

恥ずかしながらNo.17の訂正です。

<訂正前>
・「同糧食縦列一箇(450=6+444)」を除外した場合:
試算「戦闘員2,337非戦闘員8,216計10,553」
試算「戦闘員0.2214/非戦闘員0.7785」

<訂正後>
・「同糧食縦列一箇(900=12+888)」を除外した場合:
試算「戦闘員2,337非戦闘員8,216計10,553」
試算「戦闘員0.2214/非戦闘員0.7785」

※なお、お気付きのとおり、私の試算上では将校除外等までは
行っていませんので大雑把なものです。※

あと、登山口間近のコーヒーブレイク。

(No.4 お礼コメント欄)
>非戦闘員が死んだ場合、「戦死」になるのだろうか、(No.12&13投稿済)
>戦死であれば靖国に合祀されるのか、(No.12&13投稿済)
>遺族年金はどうなのか、
>召集令状は出たのか、

上記のうち「遺族年金はどうなのか、」に勝手に注目してみました。

なお「召集令状は出たのか、」に関しましては、軍人か軍属かによっても
召集か募集・応募か、また日赤救護員の位置付けなど「非戦闘員」一纏め
では無理がありますので、次の機会?(笑)にでも・・・

先ず、下記からシベリア出兵時の非戦闘員とおぼしき「戦死」者を抽出し
ましたが、一般人ゆえ、氏名の頭文字をアルファベットに変更しました。

(1)●『大正七八年浦潮派遣軍第十二師団忠勇美譚/第十二師団司令部編/
川流堂小林又七/大正9.3.5』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/942250/34
[34-44/132](18-39頁)
○田中大隊之部
廣島縣/第三大隊/三等軍醫正/T本源一
大分縣/第三大隊/一等計手 /N宮鬼也
大分縣/同   /二等看護長/S藤作藏
大分縣/第三機 /二等銃工長/G藤富倉
大分縣/11  /三等看護長/A木 登
大分縣/10  /三等看護長/O田乙彦
○西川砲兵中隊(野砲兵第十二聯隊第五中隊)之部
福岡縣/輜重輸卒/Y田仁右衞門
佐賀縣/同   /S藤茂吉

次に、再び既出の官報から抽出。
(2)●『官報.1920年04月14日/大蔵省印刷局[編]/日本マイクロ写真』
[1-3/26](345-348頁) ◎陸軍省告示第七號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/2
[2/26]
(346頁)
<2段目14人目>陸軍三等軍醫正從六位勳五等功五級 T本源一 廣島縣
<3段目01人目>陸軍一等計手勳七等功七級     N宮鬼也 大分縣
<3段目08人目>陸軍砲兵二等銃工長勳七等功七級  G藤富倉 大分縣
<3段目09人目>陸軍二等看護長勳七等功七級    S藤作藏 同
<4段目19人目>同(※陸軍三等看護長勳八等功七級) O田乙彦 同
<4段目20人目>同(※陸軍三等看護長勳八等功七級) A木 登 同
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/3
[3/26]
(348頁)
<1段目28人目>陸軍輜重輸卒勳八等功七級     S藤茂吉 佐賀縣
<1段目29人目>同(※陸軍輜重輸卒勳八等功七級) Y田仁右衞門 福岡縣

続いて、海軍版ではありますが、下記から当時の法令を抽出。
(3)●『海軍制度沿革.巻6/海軍大臣官房/1939』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886710/83
[83-85/484]※「金鵄勳章」自体は省略します※
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886710/85
[85/484](130頁下段-131頁上・下段)
◎金鵄勳章年金令
▽明治二十七年九月二十九日(勅令一七三)
改正{明治28年7月110號,39年8月208號,大正9年6月185號,昭和2年5月120號
金鵄勳章年金令
第一條 金鵄勳章ヲ賜フ者ニハ功級ニ應シ終身年金ヲ加賜ス
第二條 金鵄勳章年金ノ定額ハ左ノ如シ
   ─<中略>─
    功七級 六十五圓
第三條 本令ノ年金受領者死亡シタルトキハ仍一年間遺族ニ其ノ年金ヲ賜フ
─<後略>─
▽明治二十八年七月十五日(勅令一一〇)
明治二十七年勅令第百七十三號金鵄勳章年金令第二條左ノ通改正ス
第二條 金鵄勳章年金ノ定額ハ左ノ如シ
   ─<中略>─
    功七級 百圓
   ─<中略>─
▽大正九年六月十九日(勅令一八五)
金鵄勳章年金令中左ノ通改正ス
第三條ニ左ノ一項ヲ加フ
 前項ノ場合ニ於テ年金受領期間本人及遺族ヲ通シテ五年ニ滿タサルトキ
 ハ五年ニ滿ツ迄遺族ニ其ノ年金ヲ賜フ
附則
本令ハ公布ノ日(※大正9.6.21月曜・官報公布)ヨリ之ヲ施行ス
本令ハ大正五年以後金鵄勳章ヲ賜ハリタル者ニ之ヲ適用ス

(3)に基づいて大正八年戦死「功七級」の場合、
大正八年時点では金鵄勳章年金「百圓」を遺族が賜るところ、
大正九年六月十九日改正(※同月21日施行)により
「一年」から「五年」に伸張。

(2)では(功五級)「軍医」(功七級)「計手・銃工長・看護長・輜重輸卒」
など金鵄勳章を賜ったことで、遺族(金鵄勳章)年金に繋がったようですが、
ほか既出の一部のシベリア出兵「戦死又は戦傷後死歿」はどうでしょう?
再度、(2)●『官報.1920年04月14日』
[1-3/26](345-348頁) ◎陸軍省告示第七號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954420/3
[3/26](348頁4段目14-18人目)
「陸地測量師1、陸軍通譯1、陸地測量手1、傭人2」計5名には「功級」が
付されていませんので、少なくとも金鵄勳章年金対象ではないですが、
他に何らかの受給の可能性は残ります。

ここまではシベリア出兵限定のお話ですが、他はどうでしょう?
「功級」の付されていない「戦死又は戦傷後死歿」を改めて
『官報.1920年04月14日』◎陸軍省告示第七號で見ますと、
官報に誤字・脱字等が無い限り、
「通譯6、馬丁1、陸軍輜重輸卒1、雇員1、傭人1、憲兵補助員1」計11名と
「陸軍歩兵特務曹長1・陸軍歩兵伍長4・陸軍歩兵上等兵30」計35名は
「戦死又は戦傷後死歿」であっても、少なくとも金鵄勳章年金対象ではな
かったようです。

参考URL
〇防衛研究所>出版物>『戦史研究年報第15号(2012年3月)』
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/201203.html
●「旧軍における退役軍人支援施策-大正から昭和初期にかけて-
/石崎吉和・齋藤達志・石丸安蔵」
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/201203/06.pdf
[13-/37](3)各種金銭的支援施策 a 金鵄勲章年金 など

以上
お礼コメント
kouki-koureisya

お礼率 94% (1294/1368)

度々のご回答真にありがとうございます。
独断でまとめておきます。

1.非戦闘員とは「衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」ということが分かりました。
“通信等”ということで、「通信」と「その他」に分けます。
「非戦闘員とは直接戦闘に参加しないものの、軍隊の編成に必要不可欠な者をさす。
それは軍医官、主計官、薬剤官、法官、野戦郵便部員、通訳官、馬卒、雑役夫などである」
ということで、「その他」にします。(#2ご回答から抜粋)
「戦闘員とは歩騎砲工輜重兵であり直接戦闘に従事する者をさす」ということですね。
では、輜重兵は当然輜重隊に属すると思いますが、この場合の輜重兵は戦闘員になるのでしょう。

2.輸送補給や通信の部隊であっても統率者(おそらく将校以上)は、戦闘員になるのか否か、分かりません。

3.非戦闘員の過半は、輸送補給部隊に属しています。

もともと「非戦闘員とはどんな人たちですか」という質問でしたから、お蔭様で解決しました。
感謝申し上げます。
投稿日時 - 2017-01-22 19:46:50
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