大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。

大正7年(1918年)11月4日の陸軍省の調査では、計3個師団約58,600人を動員しています。 内訳は、戦闘員42,2...

Why-J-people さんからの 回答

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  • 2017-01-02 14:23:12
  • 回答No.2
Why-J-people

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>大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。

大まかではありますが、下記のとおり、
米国大統領の申出に対する回答振訓電
(大正7.11.16/内田外務大臣→在米国石井大使)の中には
「非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」
と記されています。

●日本外交文書デジタルアーカイブ>大正7年(1918年)第1冊
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/t7-1.html
15「シベリア」出兵関係一件
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/DT0002/0003/0002/0010/0015/index.djvu
[192-193/197](1017頁下段-1019頁下段)
○七一六 十一月十六日
 内田外務大臣ヨリ在米国石井大使宛(電報)
西比利亜派遣日本軍ノ態度ニ関スル米国大統領ノ申出ニ対スル回答振訓電
ノ件 第五三四号 極秘
─<中略>─
[1018頁上段14行目-下段10行目]
一 西比利亜(沿海州、黒龍州、後貝加爾州ノ三州ニ亘ル)及北満洲方面
派遣ノ日本軍兵力ハ一時ハ戦闘員四四、七〇〇名、非戦闘員二七、七〇〇
名、合計七二、四〇〇名ニ達シタルモ其ノ後還送ヲ了シ又現ニ還送中ニ属
スルモノヲ除クトキハ戦闘員四二、二〇〇名、非戦闘員一六、四〇〇名合
計五八、六〇〇名トナル惟フニ前記諸方面ニ於ケル全長約三千六百里ニ亘
ル鉄道ノ沿線ヲ警備シ西方ニ作戦スル「チェック」軍其ノ他与国軍ノ背後
ヲ安全ナラシメ且物資ノ輸送補給ヲ容易ナラシメムカ為ニハ此ノ兵力ハ決
シテ過大ナリト謂フヘカラス是レ曩ニ帝国政府ノ声明セル派兵ノ目的ヲ遂
行スルニ当然必要ナル兵力ニシテ又何レノ場合ニ於テモ当初決定セル計画
ノ範囲内ニ属スルモノナリ将又前記非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等
ノ勤務ニ従事スル者ノ多数ナルハ軍トシテ甚タ望マサル所ナルモ地域ノ広
大ナルト後方補給線ノ延長セルトニ顧ミ已ムヲ得サルナリ
─<後略>─

以下は余談です。

シベリア出兵よりは少し遡りますが、
下記からは非戦闘員の微妙な位置付けも読み取れます。

●「近代日本における捕虜:
日清、日露戦争と第一次世界大戦における捕虜取扱いの比較研究/森雄司」
『中京大学大学院生法学研究論集25/2005-03-19』(p.339-498)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006201192
[63-64/160](401頁15行目-402頁1行目)
補助輸卒は、日露戦争にも満洲軍司令部附の法律顧問として従軍した有賀
長雄の評するところによると、人夫を使用した日清戦争と違い極めて良好
な成績であったという。
(有賀長雄『日露陸戦国際法論』偕行社、1911年、119-123頁。
なお、規律的な観点から見ると人夫の使用は好ましくないことだが、
秦郁彦編『日本陸海軍総合辞典』東京大学出版会、1991年によると、
日清戦争での人夫の数は、約一〇万人におよび、その給与は一般兵の一〇
倍に及んだ。第二補充兵の人数は約一一万一千人であり、金銭的な面でも
補充輸卒は大きく貢献した。)

[64/160](402頁2行目-8行目)
 また、補助輸卒を戦闘員か非戦闘員として扱うかは国際法上の問題にな
らず、内国的な問題であるが有賀はどちらにすべきか、なお研究を要すと
述べている。これについて少し詳しく述べたい。
交戦者を二つに分けて戦闘員と非戦闘員に分類できる。
戦闘員とは歩騎砲工輜重兵であり直接戦闘に従事する者をさす。
非戦闘員とは直接戦闘に参加しないものの、軍隊の編成に必要不可欠な者
をさす。それは軍医官、主計官、薬剤官、法官、野戦郵便部員、通訳官、
馬卒、雑役夫などである。
ついでに、軍医官、薬剤官、衛生部員などの医療に従事する者はジュネー
ブ条約で捕虜にすることは禁止されている。
戦闘員、非戦闘員も交戦者であるから国際法上の捕虜として扱われ、戦闘
員と非戦闘員の区別は国内的な軍事上の問題である。
(篠田治策『日露戦役国際公法』法政大学、1911年、603-604頁。)

[64/160](402頁9行目-16行目)
 さて、当初は補助輸卒を非戦闘員としたために武装はしていなかった。
そのため後方攪乱をロシア軍がすると補充輸卒は襲撃されて犠牲者を出す
こともあった。その一方で、補助輸卒に防衛のため棒、竹槍などを携帯さ
せ敵との戦闘に従事させた例も存在する。明治三八年(一九〇五)三月の
奉天開戦では補助輸卒に戦利品の銃を授けて、輸送勤務の傍らに使用法の
教練を行うようになっていた。
以下は鴨緑江軍の明治三八年(一九〇五)七月二日付の内山参謀長より
各部団隊へ宛てた通牒である。
今回各隊非戦闘員(補助輸卒)ノ約四分ノ一ニ戦利小銃及弾薬盒ヲ支給シ
従来非戦闘員ノ携帯シアリシ村田歩兵銃及弾薬盒ヲ返納セシメ、戦利弾薬
盒不足スルトキハ村田歩兵銃ノモノヲ以て充用スルコトニ相成候条此段及
通牒候也(有賀長雄『日露陸戦国際法論』偕行社、1911年、130頁。)

[65/160](403頁1行目-3行目)
 日本の野戦軍は、後方地域がしばしばロシア軍に襲撃されたり、その襲
撃の恐れが高まった場合に、補助輸卒、野戦郵便局員及び通信所員などの
非戦闘員を動員し、あるいは文官、志願した居留民をもって義勇団を編成
した。義勇団は上述した非交戦者を交戦者とするハーグ陸戦条約附属規則
の要件に合致するよう努めた。
(有賀長雄『日露陸戦国際法論』偕行社、1911年、131-138頁。)

以上
お礼コメント
kouki-koureisya

お礼率 94% (1305/1379)

ご回答真にありがとうございます。
該当する箇所を抜書きして下さっているので読みやすく、理解し易かったです。
親切なご配慮に感謝申し上げます。

非戦闘員とは、「衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」ということですね。
よく分かりました。
また、「近代日本における捕虜: 日清、日露戦争と第一次世界大戦における捕虜取扱いの比較研究」によれば、
非戦闘員とは、「直接戦闘に参加しないものの、軍隊の編成に必要不可欠な者をさす。それは軍医官、主計官、薬剤官、法官、野戦郵便部員、通訳官、馬卒、雑役夫などである。」ということで、少し具体的ですね。

シベリア出兵は、思い出したくない帝国陸軍の負け戦ですが、も少し調べてみようと思っています。
投稿日時 - 2017-01-03 20:29:05
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