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世間にやさしい自分
自分が楽しい時は、他人に優しくなれるものでしょうか? 他人に対して、明るく接する事ができる時っていうのは、自分が幸せを感じていて、自然と、わけてあげたくなってる時でしょうか? それとも、あらゆる人々が好きになってしまっている状態なのでしょうか? 宜しくお願いします。
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おー。 またこの質問もたくさん回答が溜まりそうですね! もはや個人の価値観レベルですので、まさに十人十色でしょう。 では僕の場合(優しく出来る時という事で)。 基本的に楽しい時は他人に優しく接する事ができます。 じゃあ楽しくない時は駄目か?というとそうでもありません。 長い事生きてると、自分の中の鬱屈した感情を押し込めて相手に悟られないように、というか 相手にぶつけないように接するすべを覚えます。 だから、相手から見たら機嫌が良さそうでも、かなりイライラモードに突入してる場合もあります。 所詮、相手があっての事ですからね。 僕も聖人君子じゃないですから、相手が腹に据えかねたら外に出る事もままありますがね。 こればっかりは、他人と自分との係わり合いの中で、自然に行われるものですから、 人としてこうでなければいけないとか、明確な定義は無いでしょ。 他の方からはどんな回答が書き加えられるのかなぁ。
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- timeup
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肉体でも精神でも経済面でも、余裕の有無ではないでしょうか。 某大国だって、余裕があると人道的な優しさを見せますが、余裕がなくなってくると、なりふりかまわずですから(^_^;) これは、「自然」と深く付き合っていると、本来の人間の性質(群れて住む)が出てくる気がします。 群れて住むにはそれなりに相手が好きで、気を使う必要があるから・・・・。 そして、「自分が楽しいとき・・・」は食料が多く手に入り、それを仲間に分け与えられるときですから。 そういう生活を長年月我々はしてきたので、そうなっているのでしょう。 >それとも、あらゆる人々が好きになってしまっている ⇒昔は食料の有無。 今はあらゆるものの余裕の有無により変わってくるでしょうが、基本的には仲間だけでしょう。 余裕が多いと其の「仲間」の幅が広くなるようですが。
お礼
うーん、やっぱりそう思います? 私は、利害関係のない個人同士では、信じたくないというか…。 >某大国だって、余裕があると人道的な優しさを見せますが、余裕がなくなってくると、なりふりかまわずですから(^_^;) …これがコワイ(金の切れ目が、縁の切れ目?)。 自分に向けられた優しさに、勘ぐりがあったとしても、明るくしてる人と接してると、こっちまで気分が軽くなるというか(病気がうつる、みたいな)。 私の場合、利害関係抜きの人間関係というのが、むりがあったのかもしれません。 御回答ありがとうございました。
お礼
>またこの質問もたくさん回答が溜まりそうですね! ほお、そうなんですか?全く反対の予想をしてました。 ですけど、残念ながら朝には閉め切ってしまうつもりです。 「十人十色で、明確な定義はなく、他人と自分との係わり合いの中で、自然に行われるもの」 だからこそ、手に負えないと思ってます。 自分に向けられた優しさについて考えてみると、それは、 「相手の考えるところの、私の幸せ」であって、 「私が考えるところの、私の幸せ」とは、一致しない事もありうる。 >では僕の場合…。 という切り口で回答頂けた事を感謝していますよ。 ありがとうございました。