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相対性と慣性系と等速直線運動について

1.ガリレオ・ガリレイは相対性という事をいう一方で   なぜ天動説を否定し地動説を主張したのでしょうか? 2.地球は間違いなく慣性系ではないはずですが、では慣性系とはどこにあるので   しょうか?「地球は近似的に等速直線運動をしている」と本に書いてありましたが   そんなんでいいんでしょうか? 3.「すべての慣性系は平等であり、同じ物理法則が成り立つ」との事ですが、   地球は慣性系ではないのだから、地球で成り立つ物理法則は地球以外では   成り立たないのではないでしょうか?   地球と相対的に等速直線運動をしている系がどこにあるのでしょうか? 4.エーテルの風が検出されない理由として、「等速直線運動をしているかぎり   どのような実験・観測を行っても絶対静止系は検出できない」とありましたが   それはそれで解るのですが、地球は等速直線運動をしていないのだから、   これをもってエーテルの風が検出できない理由にはならないと思うのですが   どうなんでしょうか? 5.光速度が不変ならすべての系は光に対して相対的に等速直線運動を   している事になりはしないでしょうか?   だとしたら、エーテルは必要なくなったけど、相対的には光が絶対静止系と   なり、やはり等速直線運動をしているかぎり光は検出できないのではないか   と思うのですが、どこかおかしいでしょうか?   光が検出できるのは地球が等速直線運動をしていないからこそなのでしょうか?  どこから手をつけていいのか、混乱してしまって収拾がつきません。 何か統一した見解、理論があるのでしょうか? それとも私の言ってる事、疑問自体がどこかおかしいのでしょうか?

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  • stomachman
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回答No.5

1. ガリレオは木星の4大衛星を観測して地動説に行き着いたと言われ、力学とどのぐらい関係があるのかはよくわかりません。ガリレオの相対性原理では、加速度のある系では相対性が成り立たないので、天体の運動にそのまま適用したとはちょっと思えない。  ガリレオの相対性理論でも、アインシュタインの特殊相対性理論でも、慣性系Aから別の慣性系Bで行われる実験を見たとき、Bにおける観測結果とAにおける観測結果が一致するなんてことは全然言っていません。違いが出るんです。その違いを系統的に変換するのが速度の加法法則ですね。この法則から、AとBとの相対運動を求めることができるんですよ。  さて「天動説は勘違いで、地動説が正しい」なんて思ったら、それこそ勘違いです。アインシュタインの一般相対性理論、およびその後の主要な重力理論は、「等価原理」すなわち加速度と重力の等価性を前提にしています。これらの理論に於いては、加速運動している系(あるいは重力が働いている系)同士の間での観測結果の違いを系統的に説明できる座標変換が与えられます。つまり、これらの重力理論のおかげで加速系も含めて、相対性が言えるようになった。言い換えれば、天動説も地動説も全く対等なんです。単に現象を記述する座標系の選び方が違うだけで、その違いは座標変換によって消えてしまいます。 2. 加速度のない系が慣性系です。だから、回転せず自由落下している系(ただしあまり大きくないこと)は慣性系です。いわゆる無重量状態にある系ですね。この系には重力加速度が掛かっていませんから。 >「地球は近似的に等速直線運動をしている」 というのはどんな実験をやるかによって話が違ってきます。高い塔からものを落としたとき、真下には落ちませんし、台風は渦を巻くし、フーコーの振り子は振動面が回転していく。これらは地球が等速直線運動をしていないことを示す簡単な現象の例です。しかし小さい実験系の内部で短時間で終わる実験を粗い精度でやるぶんには、等速直線運動だと考えて差し支えない。 3. > 地球は慣性系ではない というのがそもそも勘違いで、地球まるごとが一つの慣性系であったりなかったりするというものではありません。その局所ごとに系を考えなくちゃいけない。自由落下する石ころが果たして地球の一部なのかどうか、という用語上の問題はさておいて。 4. > エーテルの風が検出されない理由として、「等速直線運動をしているかぎり >   どのような実験・観測を行っても絶対静止系は検出できない」  話が逆ですよ。この論理は明らかに間違ってます。エーテルの話と、ガリレオの相対性原理をごっちゃにしているんでしょう。  ガリレオの相対性原理では、慣性系の間では物理法則が同じ形で表されるけれど、慣性系Aから別の慣性系Bで行われる実験を見たとき、Bにおける観測結果とAにおける観測結果の違いからAとBの相対速度が求められます。確かに絶対速度は出ない。しかし、何か一つの慣性系を選んでそれをあらゆる慣性系の比較対象として決めておくことは可能である。つまり「この系Aを絶対静止系と定めよう」と宣言することはできる。 で、光を伝える媒体であるところのエーテルに固定された座標系こそ、まさしくそのような系Aとしてうってつけである。  ですから(1)ガリレオの相対性原理が成り立っていて、(2)しかもエーテルが実在するのならば、このエーテルの座標系に対して運動している座標系から見れば「エーテルの風」(すなわち光速の方向依存性)が検出される筈である。 ところがどうやっても「エーテルの風が検出されない」。だからこそ「エーテルは存在しないらしい」という結論が出てきたわけです。「地球は近似的に等速直線運動をしている」と考えて差し支えない実験もやってます。有名なマイケルソンとモーレーの実験もそうですね。  一方で、ガリレオの相対性原理を基本にすると、マクスウェルの電磁気学において、あるひとつの電磁波の速さがどの慣性系で見ても同じ(光速)であるということが矛盾を生じます。アインシュタインの特殊相対性理論は(a)光速が不変であることと、(b)座標系同士の相対速度が小さいときにガリレオの相対性原理が近似的に成り立つこと、を前提とすれば最も簡単な理論と言えます。この理論は専ら直線運動、すなわち等速直線運動および直線上の加速運動を扱うもので、その正しさは、多くの実験によって疑う余地がないほどしっかり確認されています。 5. お説によれば光は1個しかないのかな。2方向に光を飛ばしたら、どっちが絶対系だと仰るんで?  なんだか変なこと仰ってると言う以外、なんともコメントしようがありません。

ken007
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 1.私も天動説と地動説は対等では、となんとなく思ったんです。でも違うんだろうな、 と思っていたのですが、そうか、座標変換という裏づけが必要なんですね。 2.近似的なんてことでいいのかな、と思っていたのですが、そうか、台風の渦や フーコーの振り子などの実例をふまえた上での近似的だったんですね。 3.2もそうなのですが近似的なんて事でスケールの大きな実験観測に支障はないのかな と思ったのですが、そうか「局所ごとの系を考える」でなければいけなかったんですね。 4.ということはガリレオの相対性原理をふまえた上で絶対静止系を求めたのでしょうか? 光が電磁波の一種という事が判ったから当然必要な媒体をエーテルとし、光速がどういう 条件下で測っても同じだからエーテルは絶対静止系となってしまい、それではガリレオの 相対性原理に反する、でもエーテルという媒体を考えなければ電磁波が伝わる事を力学上 説明がつかず、という訳で困ってしまいアイシュタインの相対性理論が登場する下敷きに なったのではないのでしょうか? いずれにしろ私も「等直運動しているかぎり絶対静止 系は検出できない」というのはエーテルを検出できない理由にならないのでは、と思って いました。等直運動をしていればどういう実験をしてもエーテルという絶対静止系に対して 動いていようが止まっていようが同じ実験結果がでる、というのはそれはそれでわかるの ですが、地球は加速度運動をしているのだから当然エーテルに対して風を感じるはずだ、 と思ったのです。 5.等速直線運動をしているかぎり絶対静止系は検出できない、なんてのがエーテルの 風を検出できない理由になるのなら、こういう言い方もできてしまうのではないか、と 思ったのです。 「座標変換」「局所的な系」などもっとよく考えたいと思います。ありがとうございました なお、「等直運動しているかぎり絶対静止系は検出できない」と書いてあったのは 相対性理論の世界 ジェームズAコールマン 中村誠太郎訳 講談社ブルーバックス です。

その他の回答 (6)

  • stomachman
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回答No.7

蛇足です。 > 検出できなかった事によりA=Bとなりガリレオの相対性原理に反してしまう  いきなり「反してしまう」訳ではないけれど、「もしエーテル固有の慣性系が存在するならば、マイケルソンとモーレーが実験を行う時にはいつでも、彼らの実験室は丁度慣性系Aと一致する運動(A=B)をしていた」という、ちょっと信じられないような結論になります。そのために彼らは色々な時刻に実験を繰り返して、地球の回転によって彼らの実験室の局所慣性系が運動の方向を変えることで生じる、エーテルの風の強さの変化を検出しようと試みています。  で、検出できない。当時(少なくともポアンカレを除く)ほとんど誰でもガリレオの相対性原理は頭から信じていましたから、「だったらエーテルが何か奇天烈な性質を持っているんだ」と考えた。その固定観念をひっくり返して、ガリレオの相対性原理を修正したのがアインシュタインです。つまり考えようによっては、特殊相対性理論は、ガリレオの相対性原理を否定することでエーテルの概念を擁護したものだと言えます。 > 「相対性」と言った人が何故地球の周りを太陽が 動いているという事を否定するのかな  地動説とは「天こそが絶対静止系である」という(よく間違えられる)説ではありませんよね。そうではなく、「地球は絶対静止系だ」という先入観を破って、天に対して(相対的に)地球が運動していると見ることができる、という意味での「相対性」を導入したんですね。  回転運動している系は慣性系ではありません。だから地球が回転しているかいないか、というのは実験によって決めることが出来る(し、フーコーの振り子はまさにそのような実験です)。もし地球が実は回転しているんだとすれば、地球は絶対静止系ではありえない。つまり地球が動いている。  しかし、だからと言って「天こそが絶対静止している」とまでは言えませんし、ガリレオもそんな事は言っていないでしょう。 > 私は科学を頭っから盲目的に信じています。 ご謙遜でしょう。色々な疑問を問いかけられる姿勢は、盲目的ではなしにご自分で納得するまで追求しようとなさっていることの証拠であり、立派だと思います。かく言うstomachmanもしばしばアホな疑問をupしては、ご専門の先生方のお手を煩わせております。 > こういう事実からこういう理論ができた、という思考過程です。 朝永振一郎の「物理学とはなんだろうか」、あるいはポアンカレの著書などが良いと思います。ブルーバックスは古いものは名著揃いですが、だんだん玉石混淆としてきた感がありますね。 >「物理を否定するのか」「そんな事はもう証明されているんだよ」と言われている気が それは本意ではありません。ken007さんのご質問を見ると、非常に言語的、いわば哲学的に物事を捉える方であるように思われます。ところが力学は視覚的・幾何学的な観点で見る方が簡単です。なかなか旨く説明しきれないのも、視覚的なものを言語的概念にまとめるのに四苦八苦しているためかも知れません。

ken007
質問者

お礼

蛇足ではありません。また勉強させてもらいました。 というより、やっと理解できたかな、と思えました。 マイとモーの実験は場所を変え、時刻を変えて何度も行われた、と私も本で 読みました。なるほどこれは「地球の回転によって局所慣性系が運動の方向を 変えることで生じる、エーテルの風の強さの変化を検出しよう」という試み だったんですね。やはり「局所慣性系」か。stomachmanさんの前回のご説明、 「局所ごとの系を考えろ」をいただくまで地球ははたして慣性系か、との疑問 に凝り固まっていましたので読み違えました。なんか眼を開かされた思いです。 「近似的に慣性系」という意味、何故エーテルの「風」なのか、いろんな事が つながった気がします。stomachmanさんが手を変え品を変え、いろんな方向から 説明してくれたおかげです。 「考えようによっては相対性原理を否定することでエーテルの概念を擁護」と いうのがよく解らず何度も読み返し考えてみましたが、「光速度不変」と 言い切ったという事ですよね?(あれ?また読み違えているかな?) 「回転運動している系は慣性系ではない。だから回転しているかいないか実験に よって決めることが出来る」というのもガリレオの相対性原理ですよね。 また、つながりました。 やはり一人で本を読んでいると理解が一方的になって しまうというか、一方的にしか理解できないというか・・・。 ご指摘のように言語的に過ぎるのかも知れません。視覚的・幾何学的な観点こそ 力学的な思考には必要なんでしょうね。うーん、哲学的かぁ。言語的概念かぁ。 おっしゃるとおりのような気がします。いや、指摘されて始めて気づきましたが 確かに自分はそうだったと思います。 数学が解らず、数学を通さず物理を理解しようとする弊害でしょうか? stomachmanさんに「物理を否定するのか」と言われたとは思っていません。 こんな質問の仕方では「物理を否定するのか」と言われてもしょうがない、 という自覚が私にある、という事を言ってお詫びしたかったのです。 「物理学とはなんだろうか」やポアンカレの著書をさっそく読みます。 また、質問させてもらうと思います。その時もよろしくお願いします。 ありがとうございました。

  • stomachman
  • ベストアンサー率57% (1014/1775)
回答No.6

余計かもしれませんが、念のため、No.5の4.について補足します。  もし光の媒体としてのエーテルがあれば、エーテルに固定された座標系Aに対して等速直線運動(あるいは任意の運動)をしている別の座標系Bにおいては、「エーテルの風」は吹きます。吹かないのはA=Bのときだけですよ。無風の日でもあなたが走れば風を感じる、というのと全く事情は同じです。  明らかに動いている地球上で、理論的に予想した大きさの「エーテルの風」を確実に検出できる筈の実験をやっても、検出できない。この結果に一番ビックリ・ガッカリしたのはマイケルソンさんとモーレーさんでしょうね。当時は、「エーテルの風」が検出できないのは、地球の動きにエーテルが引きずられてるからじゃなかろうか?いや、そうだとすると遠くにある星から来る光の向きが変化して見える筈で、おかしい.... なんて議論がなされています。 > 「等速直線運動をしているかぎり実験・観測を行っても絶対静止系は検出できない」 という言い方がもしこのまま書いてあるんだったら、非常に不親切で、ほとんど誤訳と言いたい。  回転している座標系は(遠心力だのコリオリの力だのが働くので)絶対静止系ではないことがわかる。でも、等速直線運動をしている座標系、すなわち慣性系については、どれが絶対静止系なのか区別がつけられない。ガリレオの相対性原理から言って、区別がつくような実験はありえない。 こう言ってくれなくちゃいけません。  だからこそ適当な慣性系をひとつ勝手に選んで「これが絶対静止系」と宣言してかまわないんです。 ニュートンが絶対静止系の概念を使って力学を構成していて、「絶対静止系が存在するはずだ」という先入観があるところに持ってきて、こういう事情ですから、「エーテルに固有の座標系こそが絶対静止系に一番ふさわしく便利じゃないか」という考えは、議論の余地もないほど自明に見えたわけです。  さて、エーテルの類は間違いであったとお考えなら、これまた勘違いかも知れません。場の量子論こそ、エーテルの概念の洗練されたものであると言って差し支えないでしょう。ただしアインシュタインの特殊相対性理論のおかげで、「絶対静止系」という概念からは切り離されたんですね。

ken007
質問者

お礼

余計だなんてとんでもない、ありがとうございます。 光の媒体としてのエーテルがあると思ったからこそ、そのエーテルに対する動きを 検出するためのマイ・モーの干渉計の実験だったと思います。ところが検出できな かった為、失敗した事により名を残した実験だ、とどこかで読みました。検出でき なかった事によりA=Bとなりガリレオの相対性原理に反してしまう、という事で はなかったかと思います。 正に「等直運動をしているかぎりどのような実験・観測を行っても絶対静止系は検出 できない」と書いてあった訳なのですが、それより私は何故「等直運動しているかぎ り」なのか、地球は加速度運動ではないか、だから近似的ではダメなのではないか、 エーテルに対する地球の運動というほどの規模になると近似的では間に合わないので はないか、と思いました。が、stomachmanさんからいただいた「地球まるごとが・・・ その局所ごとに系を考えろ」というご説明で一気に解決しました。 また、区別がつけられないからこそ「これが絶対静止系だ」と決めてもいいんでは ないかと私も思いました。だから「相対性」と言った人が何故地球の周りを太陽が 動いているという事を否定するのかな、と思ったのです。ただ、皆さんからいただい た回答を読み進むうち、相対性という意味は静・動を決める神のような絶対的な視座 はない、という事ではないかと思いました。No1のkajuramさんの言うように「地球だ けが止まっている」という宗教的な考えの天動説からの科学的な思考への進歩ではと 私は科学を頭っから盲目的に信じています。科学にもっといろいろ教えて欲しい、と 思っています。が、高等教育を受けていないから数学も物理もわかりません。 やさしい本をおもしろく楽しく読むことしかできません。もし物理の原理法則を学ぶ のならエーテルなんてものは何の意味もないことでしょう。私が興味をもつのは こういう事実からこういう理論ができた、という思考過程です。人類が自然の成り立 ちを次々解き明かしてきた過程です。その過程のなかでその時代には私のような馬鹿 が「何でそんな事解るの?」「こうは考えられないの?」と質問したと思います。 その時ガリレオやニュートンは「それはこういう事からこういう法則を創ったんだよ」 と、自分の主張とその根拠・思考過程を説明したと思います。今ガリレオはいません から私は物理に詳しい人に教えてもらおうと質問させてもらいました。何人もの方達 が貴重な時間をさいて回答を送ってくださいました。回答を読ませてもらうと 「物理を否定するのか」「そんな事はもう証明されているんだよ」と言われている 気がどうしてもしました。私の質問の仕方があまりにひどかったと思います。今読み 返してみてもこれでは何を聞きたいか解らないと自分でも思います。 エーテルの風が検出できなかったと読んで、だから近似的ではダメなんじゃないか、 エーテルの中を動く地球という規模になると近似的では間に合わないんじゃないか、 地球は加速度運動じゃないか、そもそも等直運動などどこにあるんだ、慣性系なんて ないじゃないか、相対性と言うけど・・・、と疑問が疑問を呼び収拾つかなくなり あんな質問になってしまいました。長々と言い訳したのもこんな質問に貴重な時間を さいて回答くださった方達へのお詫びの気持ちからです。次回からはもっときちんと 質問しますのでまた教えてください。よろしくお願いします。

  • ranx
  • ベストアンサー率24% (357/1463)
回答No.4

すみません。訂正です。 No.3の1の答えの中で「天動説を主張したとしても」 は「地動説を主張したとしても」の間違いです。

ken007
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 1.地動説への反論としての何故物が真下に落ちるのか、についてガリレオは 船のマストの上からボールを落とせば船が動いている場合も止まっている場合も 真下に落ちる、真下に落ちるという結果をもって動・静は判断できない、 動・静は相対的にしか言えない、と読みました。だからkajuramさんの言う、 「地球だけが止まっている」という絶対的な視座はない、という事なのでしょう が、相対的であればこそ「止まっている自分から見て」と考える事に何故不都合 があるのかな?と思ったのです。 2.なるほど「自由落下しているから・・・」というアプローチもあるのですね。 えーと、私は物理学に懐疑を持つものではありません。好きで興味でやさしい本を 面白がって読んでいます。高等教育を受けていませんので数式も解りません。 原理・法則・理論の理解よりも(難しいですから)、何故そういう法則理論を人間が 発見・創り得たか、既成の理論から新しい理論へと自然の法則を明らかにしてきた 人類の知の過程をたどる事がとても楽しいです。光速度不変、と言われれば 頭っから無条件に知識としてそれを頭にいれますが、何故光速度不変なんて事に 気づいたんだろう?という興味が湧くのです。ですから、この法則はこういう 考え方をするようですがこう考えてはダメですか?という事を質問したかったんで す。ダメだとは思ってますしその法則に疑いももってないのですが、こうだから お前の考えでは不都合だよと教えてもらいたかったのです。相対性だ慣性系だ 等直運動だと考えるうちに頭が混乱し(ranxさんは新たに自由落下を加えてくれ ました[笑])こんな質問の仕方になってしまいました。もっとなにが聞きたいんだか 判るように質問しなければいけませんよね。ranxさんには前回も回答いただきまし たし今回も「本質を見分けて抽象化しろ」とのご指摘に感謝します。 次回からよく考えて質問するようにしますのでまた教えてください。 よろしくお願いします。

  • ranx
  • ベストアンサー率24% (357/1463)
回答No.3

全体に何の本を読んでの質問なのかを示して頂かないと、文脈がとらえ きれないように思うのですが。 1. ガリレオ・ガリレイが相対性なんてことを言ったのですか?  私の認識している限りでは、ガリレイは慣性の法則を主張することに  よって、アリストテレス以来の常識だった「物体は力を加え続けければ  静止する」という考え方を覆しただけであって、その法則に潜在して  いた「相対性」という性質に着目したのはもっと後の時代の科学者  (マッハ等)だと思います。ガリレイ自身は絶対空間の存在に何の  疑念も持っていませんでしたから、天動説を主張したとしても、何の  矛盾もなかったはず。 2. この問いは文脈によってかなり意味を変えると思うのですが、マイ  ケルソン・モーリーの実験の正当性を問うのでしたら、kajuramさん  の答えで良いと思います。なお、文脈を変えれば、「地球は自由落下  しているから慣性系とみなせる」と考えることもできます。これは、  一般相対性理論の出発点となる見方です。詳細は勉強して下さい。 3. これも文脈を知りたい問いですが、ちょっと論理を考えてみて下さい。  「AならばB」であってかつ「Aでない」としても「Bでない」とは言えません。 4. 同上 5. kajuramさんに全面的に賛成します。 ご懸念の抽象化についてですが、要は本質的なものを見分けることです。 大腸癌に風邪を併発している患者を診察して、せきをしているから大腸癌 ではないと診断したら、とんだヤブ医者ということになります。変な例えで 済みませんが。 #専門家でもない者が茶々を入れて質問者を混乱させるのは避けようと 思っているのですが...。

  • 134
  • ベストアンサー率27% (162/600)
回答No.2

kajuramさんと大差はないのですが… 1.別の面で天体運動を説明するのに、天動説は無理が発生するという一面もあります。いわゆる「惑星」が、天動説を支持するときわめて不自然な運動をしていることになるのですが、地動説にすると、一般化できるというところもあります。 2,3 略 4.エーテルは、光が波動として、その媒体たるもの。光速は約30万km/sと言われているのは、ご存じと思います。  当時、光の波動説・粒子説の論議で、光伝達媒介「エーテル」の実在を説明するために、「エーテルの風」と称し、光の速度が揺らぐ測定点を調べたのですが、測定誤差と観測による差異との区別がつかず、失敗に終わっています。  後に、光速不変則、量子論などにより、エーテルの存在そのものが否定されて、エーテルの風も無意味なものになっています。 5.光速は、どのような系から観測しても変化しない=ガリレイの相対論に従わないというのが、光速不変の法則です。  イギリスのローレンツが、頭を痛めながら、時間と距離が絶対的なものでないと仮定するとガリレイの相対論と光速不変則が両立するという結論に至ったのですが、あまりに突飛すぎて発表をしかねているうちに、アインシュタインがより簡便にこの理論を導き出し、特殊相対性理論として知られるようになっています。 (ちなみに、時間や距離が変化を求める公式は、「ローレンツ変換」と呼ばれています。  静止系というのは、「何も力が加わらない状態」を仮定。そのうえで、「力」の解明がなされ、従って、自然に止まるとか、直線運動をしないとか説明できるとしているわけで、静止系でないから物理学が当てはまらないとかという問題ではないと思うのですが…

ken007
質問者

補足

回答ありがとうございます。 1.やはりこれもkajuramさんの言う、簡単化という事でしょうか。 4と最後 静止系というか絶対静止系は相対性原理と相容れない、と本で 読みました。運動はすべて相対的なものであるから絶対静止系という絶対運動は 扱えないし、考える必要も無い、と。等速直線運動している船の中では 船が動いているのか止まっているのか確認する方法は全く無い、と。 でも、船が加速度運動していれば動いている事は船の中から判るはずであり、 ならば地球は等速直線運動をしていないのだから「等速直線運動をしている かぎり絶対静止系は確認できない」というのはエーテルの風を検出できない 理由にはならないのではないか、と思ったのです。 いただいたご説明と見当違いの事を言ってるのかもしれませんが、最後の ご説明はちょっと意味がわからなかったものですから、よろしかったら もう一度教えてください。よろしくお願いします。

  • kajuram
  • ベストアンサー率33% (13/39)
回答No.1

1.については、それほど難しいことではないでしょう。 つまり、相対性を考える以上、特別な存在があってはいけないのです。 天動説は、地球だけが止まっている存在なので、その節は受け入れられ ないと言うことです。 2.については、現実には完璧な慣性系は存在しないと言うことです。 物理とは、現象をできるだけ簡単化(理想化)して、その中で説明を 付けようとする学問です。 そして、現実を大きく支配していることを抽出して説明するしかないのです。 「地球は近似的に等速直線運動をしている」に関しては、考えている時間 スケールの問題です。 曲率の大きな円運動は、非常に微少な部分ではほぼ直線と見なすことができます。 また、地球は近似的に等速円運動していると考えられるので、微笑領域では、 等速直線運動と近似できるのです。 この近似できると言うことが重要なのです。 3.に関しても2.と同様ですね。 異なっていることを考慮しなくては議論できないようなことを扱わなければいいのです。 4.特殊相対論と一般相対論のつなぎ目の議論かもしれませんね。 特殊相対論は慣性系で成り立ち、一般相対論は非慣性系でも成り立ちます。 私は、そのあたりについてあまり詳しくないので、他の人にお願いしましょう。 5.ならないですね。 なぜなら、光速はいかなる速さで等速直線運動している系から見ても 一定の速さなのです。 光に対して相対的に等速直線運動しているとすると、異なる速さの系では、 光速が異なって観測されるでしょう。 特殊および一般相対論を勉強するのがよいのではないでしょうか? かなり、難しいです。 特殊相対論は理解できても、一般相対論はあの数式がかなり理解 することが難しいです。 がんばってください。 

ken007
質問者

お礼

さっそくの回答ありがとうございます。 1.地球から見て太陽が廻っている、ということは 太陽から見て地球が廻っている、ということではないのでしょうか? 2.3.なるほど、簡単化(理想化)か。抽出して説明する、か。 でも、アインシュタインがでて来てニュートンが近似的にしか成り立たなく なった事を思うと、今すでに近似的では将来不都合がでないかと、嫌な予感が するのは私だけでしょうか? この質問も、どうもこの「近似的」という奴が ひっかかるからこそなのですが。 5.私もそう思ったのですが・・・。でも考えてみればわざわざ「光速度不変」 と別にして言うからには光は相対性とは別にして考えなければいけないですよね。 ところでkajuramさん、「自信:なし」ですかぁ?(笑) 私には自信を持ってご説明いただけたように思うのですが・・・。 いや(あわてて)皮肉ってるんではありませんよ。こんな何言ってんだかわからない (自分でも解らない)質問に回答いただけて感謝しています。 簡単化、抽出して説明する、という事をもっとよく考えます。 特殊・一般相対論も勉強しますのでまた教えていただけるようお願いします。 ありがとうございました。

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    等速度運動と等速直線運動は同じ意味だと習いましたが、厳密にいえば異なると思います。 まず、等速度運動について考察していきます。 等速度運動とは、速度が一定の運動のことだと思います。 速度はベクトル量なので、速度が一定とは、速さと運動の向きが一定ということでしょう。 つまり、等速度運動とは、速さが一定かつ運動の向きが一定の運動ということになるでしょう。 次に、等速直線運動について考察していきます。 等速直線運動とは、速さが一定である直線上の運動のことだと思います。 直線上の運動は、方向が一定の運動と言い換えられることができるでしょう。 つまり、等速直線運動とは、速さが一定かつ運動の方向が一定の運動ということになるでしょう。 さて、改めて等速度運動と等速直線運動とを比較してみることとします。 等速度運動は向きが一定の運動ですが、 等速直線運動は方向が一定の運動です。 「向き」という概念と、「方向」という概念は、数学や物理学においては異なる概念であるはずです。 例をあげるのならば、東西は方向ですが、東や西は向きです。東西方向、東向き、西向きは正しい言い回しで、東西向き、東方向、西方向という言い回しは間違っています。 ということは、方向が一定であっても向きは2つ考えられるので一定でないはずです。 つまり、等速直線運動は厳密にいえば速さが一定の往復運動などの場合も考えられるのではないでしょうか? このように考えていくと、等速度運動と等速直線運動を同じ意味で用いるのは間違っているように思えてなりません。皆さんはどのように思われますか? (通じればいいという方ももちろんいらっしゃるでしょうが、個人的にはあまり共感できません) ※「速さを一定に保って向きを反対側に変えるためには、無限小の時間に無限大のエネルギーを要するので、現実的にはありえない。だから等速直線運動であっているんだ!」といわれる方もいるかもしれませんが、そう言ってしまうと、現実の世界には完全な直線運動は存在しないので直線運動は考えられない!と言っているのと同じであると思うので、やはり等速度運動と等速直線運動は異なる運動を示している考えるのが妥当であると思います。 ※等速円運動も、右に一回転、左に一回転を交互に繰り返し、速さが一定の運動などの運動も考えられるはずなので、私たちが普段、等速円運動と呼んでいる運動は、上記のように考えると、厳密にいえば等角速度運動と呼ぶべきなのではと思います。

  • 等速直線運動、加速度について

    等速直線運動、加速度について みなさんにとって当たり前な事ですが、 調べようとしても分からなかったので教えてもらえたらとてもうれしいです(+.+) 等速直線運動をしている物体の加速度の値はどうなるのですか?(*_*) 物理はまだ身体になじんでいないというか。。 学校の勉強で困っています。 どうか、よろしくお願いします。

  • 運動の第1法則は必要なのか

    古典力学の学習をしており、運動の3法則について疑問を持ったため、質問させていただきます。 【質問】運動の第1法則(慣性の法則)は、なぜ必要なのでしょうか? 以下、運動の第1法則(慣性の法則)が必要ないと思える理由を記載します。 まず、慣性の法則は運動の第2法則(運動の法則)から導くことができます。 ma=Fという式に対し、F=0を代入すれば、a=0となるので、物体は等速直線運動をするという考えです。 しかし、同じ考えを皆持つようで、「それを踏まえた上でも、やはり第1法則は必要だ」と、ネットや本で調べると書いてあります。 その理由は、「第1法則は、第2法則と第3法則が成り立つための前提条件を提示したものである」とのことでした。 ところが、この主張もおかしい気がします。なぜなら、慣性の法則が成り立つからと言って、運動方程式が成り立つとは言い切れないと思うからです。 慣性の法則の内容は、 「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」とのことです。(Wikipediaから引用) しかしこれは、外部から力を加えられない場合について述べたものにすぎず、これを前提条件としたからと言って運動方程式が成り立つ保証はできないと思うのです。 次のような反例を考えてみました。 「1次元座標系Xと、同じく1次元座標系Qとがある。Xは慣性系(慣性の法則が成り立つ系)である。X内に物体Aがあり、それに対して力F(t)を加える。Qは時間に応じてXに対して変移する座標系であり、X上の点をx、Q上の点をqとすると、 q=x+F(t) の関係にあるとする。(つまり、QはAにかかっている力の分だけ変異する座標系です。) Aに力を加えないとき、F(t)=0なので、q=x+F(t)よりQはXと一致している。したがってQ上で見てもAは静止または等速直線運動をしている。(Q上に他の物体があればそれも静止または等速直線運動をしている) 「外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」という慣性系の定義に従えば、Qは慣性系である。 しかし、AにもしもF(t)=t^2という力を加えると、q=x+F(t)より、QはXに対して加速度運動をする。したがって、Q上で運動方程式は成り立たない。この場合、Qは慣性系なのに、運動方程式が成り立たない系である。」 このような特殊なケースを考えているのが屁理屈なのでしょうか? しかし、仮に第1法則が第2法則の成り立つ前提として必要十分であったとしても、それだとますます第1法則が必要な理由が分かりません。 同値な2つの法則が書かれていることになると思うのですが意味があるのでしょうか? 以上、長くて申し訳ありません。よろしくお願いいたします。 読んでくださりありがとうございます。