狼と香辛料の序章の要約

このQ&Aのポイント
  • 小説「狼と香辛料」の序章についての要約文です。序章では麦畑の風景や狼との関係が描かれており、昔と現在の状況の変化も示されています。
  • 序章の中で、話し手は麦畑の風に揺れる麦穂と狼の関係について言及しています。また、狼に関連する言葉の使い方が変化していることについても触れています。
  • 序章では、話し手が麦畑の風景と狼の姿に思いを馳せながら、自分自身の立場や価値について考える場面も描かれています。
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「た」「ていた」と小説の視点、よく分かりません

「  この村では、見事に実った麦穂が風に揺られることを狼が走るという。  風に揺られる様子が、麦畑の中を狼が走っているように見えるからだ。  また、風が強すぎて麦穂が倒れることを狼に踏まれたといい、不作の時は狼に食われたという。  上手い表現だが、迷惑なものもあるのが玉に瑕だな、と思った。  しかし、今となってはちょっとした洒落た言い方になっているだけで、昔のように親しみと恐れをこめてその言葉を使う者はほとんどいない。  ゆらゆらと揺れる麦穂の間から見える秋の空は何百年も変わらないのに、その下の様子は実に様変わりをしていた。  来る年も来る年も麦を育ててきたこの村の者達も、せいぜい長生きして七十年なのだ。  むしろ何百年も変わらないほうが悪いのかもしれない。  ただ、だからもう昔の約束を律儀に守る必要はないのかもしれないとも思った。  何よりも、自分はもうここでは必要とされていないと思った。  東にそびえる山のせいで、村の空を流れる雲はたいてい北へと向かっていく。  その雲の流れる先、北の故郷のことを思い出してため息をつく。  視線を空から麦畑に戻せば、鼻先で揺れる自慢の尻尾が目に入った。  することもないので尻尾の毛づくろいに取り掛かる。  秋の空は高く、とても澄んでいた。  今年もまた収穫の時期がくる。  麦畑を、たくさんの狼が走っていた。 」 こんにちは 日本語を勉強している中国人です。 ご覧のとおり、それは小説「狼と香辛料」の序章です。 よく分からない点は三つあります。 一つは序章の視点です。 「上手い表現だが、迷惑なものもあるのが玉に瑕だな、と思った。」 「ただ、だからもう昔の約束を律儀に守る必要はないのかもしれないとも思った。」 「何よりも、自分はもうここでは必要とされていないと思った。」 そう思ったのは誰なのか分かりません。話し手なのですか、あるいは小説のある人物なのですか。 一つは 例の「思った」を「思っている」に変えればいいんですか。「思った」と「思っている」とは意味・ニュアンスはどう違いますか。 もう一つは 「秋の空は高く、とても澄んでいた。 今年もまた収穫の時期がくる。 麦畑を、たくさんの狼が走っていた。」 その「ていた」はまるで過去のことを描写しているようですね。なぜ目の前の景色をわざわざ過去のことのように描写するのですか。 教えてください、よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • fujic-1990
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回答No.3

 あらかじめ申しますが、私は小説「狼と香辛料」を読んだことがありません。したがって、引用された部分だけを見て回答させてもらいます。  引用分を読んだ結果、主人公は人間ではなく、「麦の豊作を保証する(オオカミの姿をした)神様」として、その土地の住人かた崇敬されてきた存在であるように理解しましたので、主人公=オオカミの姿をした神様として説明します。  ちなみに、日本では稲の豊作を保証する神様は狐の姿をしている(あるいは狐を使徒として使役している)と考えられています。名を「稲荷大明神」といいます。  神は、人々から祈られてこそ神でいることができます。日本人は稲荷大明神に「正一位」という最高の位を与えて大切にし、力を発揮してくれるよう祈っています。  さて > そう思ったのは誰なのか分かりません。話し手なのですか、あるいは小説のある人物なのですか。  思ったのは、主人公で、それを誰か(ナレーターか作者)が紹介しています。  だから、例えば「上手い表現だが、迷惑なものもあるのが玉に瑕だな、と思った。」の部分は、本当なら、  「上手い表現だが、迷惑なものもあるのが玉に瑕だな」と(オオカミ神)は思った。 と書かれるべきです。  また例えば、「ただ、だからもう昔の約束を律儀に守る必要はないのかもしれないとも思った。」は、  「ただ、だからもう昔の約束を律儀に守る必要はないのかもしれない」とも(オオカミ神は)思った。 と書かれるべきです。 > 例の「思った」を「思っている」に変えればいいんですか。  「思った」を「思っている」に書き換えると、ニュアンスが変わります。だから、書き換えないほうがいいと思います。 > 「思った」と「思っている」とは意味・ニュアンスはどう違いますか。  「思った」と過去形にすると、主人公(オオカミ神)の気持ちの上で、決着がついた(過去のことになった)ことを意味します。「思った。そのことは終わり」です。  日本の読者は、「ああ、そう思ったのですね、なるほど」で気持ちを切り替えられるのです。  「思っている」という現在進行形にすると、主人公の気持ちの上で、まだ決着がついていない「感じ」を示します。「続いている」感じ。  続いていてまだ終わっていないので、日本人としては、「・・・ と思っている」と書かれると、「だから何」と続きを期待する気持ちになったり、欲求が満たされない不安定な気持ちになったりします。  過去形にするか現在進行形にするかは、読者にどっちの気持ちになってほしいか、という作者の考えで決まります。 > その「ていた」はまるで過去のことを描写しているようですね。 > なぜ目の前の景色をわざわざ過去のことのように描写するのですか。  目の前の景色でも、遠くから、他人事のように、あるいは過ぎ去った過去のことのように眺めているという感じを出すために、過去形にしたんだと思われます。  主人公(オオカミ神)は、もう自分が麦の豊作を保証する役目からはずされた、もう期待されていないと感じています。自分は傍観者になったのです。  自分にとってはどうでもいいことになったので、過ぎ去った過去のように感じ、過去形にした、と説明したら理解していただけるでしょうか。

honskii
質問者

お礼

詳しく説明してくれてありがとうございました 「目の前の景色でも、遠くから、他人事のように、あるいは過ぎ去った過去のことのように眺めているという感じを出すために、過去形にした」ですね いい参考になりました。

honskii
質問者

補足

詳しく説明してくれて本当にありがとうございます。 すみませんが、もう二つ聞きたいことがあるんです。 1、 「ゆらゆらと揺れる麦穂の間から見える秋の空は何百年も変わらないのに、その下の様子は実に様変わりをしていた」 そういう「ていた」は「様変わりという動作が過去のある時点の前に完了した」という意味ですか 2、 「東にそびえる山のせいで、村の空を流れる雲はたいてい北へと向かっていく。  その雲の流れる先、北の故郷のことを思い出してため息をつく。  視線を空から麦畑に戻せば、鼻先で揺れる自慢の尻尾が目に入った。  することもないので尻尾の毛づくろいに取り掛かる。」 ご覧のとおり、文末の「~た」と「~る」は交互に使っています。 ここで、作者はどんな効果を狙っているんですか。 よろしくお願いします

その他の回答 (11)

  • g27xxxxx
  • ベストアンサー率28% (124/441)
回答No.12

日本語は主語を省く場合が多々あります。 日本人なら全体の状況設定から概ね判断できるのですが、母国語で必ず主語が挿入される国の人には理解が難しいかと思います。 一、人物は誰か? …登場人物の設定がない場合は、大抵は主人公です。読解力が有れば、前後の文脈から主語が想定できます。 動詞の前に主語として「主人公は」と挿入して読んでみて下さい。 一、「思った」と「思っている」 …「~た」と「~ている」の違いは、 英語で「did」と「doing」の違いと同じです。 一、「秋の空は~狼が走っていた。」 …作者の目線で情景描写、又は主人公の目に写った印象を表してます。 読者に時限設定を要求してません。 このような場合、作者自身の感覚で「~た」になったり「~ていた」になったりします。 捉え方はどちらでも構いません。 読者が作品の中に入り込める感覚的余裕を残しています。

honskii
質問者

お礼

ありがとうございました

noname#260418
noname#260418
回答No.11

どうもありがとうございます。 >中国語のカテゴリーで母語で再質問しています。教えていただけると助かります。 http://okwave.jp/qa/q9251097.html 回答させていただきました。 日本語の問題ではありません。

honskii
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • bgm38489
  • ベストアンサー率29% (633/2168)
回答No.10

1、 「ゆらゆらと揺れる麦穂の間から見える秋の空は何百年も変わらないのに、その下の様子は実に様変わりをしていた」 「ていた」を「ているに」置き換えるとわかりやすいのですが、まずこの文章は秋の空の様子とその下の様子を比べています。「ていた」と過去形にしているのは、「その時の描写」であるからです。周りの現在形は、過去のことであるにもかかわらず、読者を物語の中に取り込む手法。「その時の描写」には、時制を変えて際立たせる。ある意味これは日本語特有の技法かもしれませんね。 私は子供のころから、原作が英語の本の日本語訳のものを読むのが嫌いでした。下手な翻訳家は、英文が過去形で書いてあると、過去の文章にそのまま訳すからです。日本語だったら、ここは現在形を使うべき、過去形を使うべき、ということがよくあります。 例えば、実際に私が、高校の時、和訳で×をもらった例。 when文で、When 雷が鳴る,人々は~と噂をする、という意味の英文があり、私は「雷が鳴った時、人々は~と噂をする」と訳しました。ところが、「雷が鳴る」は現在形で書かれているため、「雷が鳴る時、人々は~と噂をする」と訳さなければならない、と言われました。ところが、実際の日本語では、ここは過去形、あるいは現在完了形のようにいうのが普通なのです。詳しく考えると、人にとは雷が鳴っている音を聞いてから、噂をするわけですから、雷が鳴ることは過去のことなのですがね。 2、 「東にそびえる山のせいで、村の空を流れる雲はたいてい北へと向かっていく。  その雲の流れる先、北の故郷のことを思い出してため息をつく。  視線を空から麦畑に戻せば、鼻先で揺れる自慢の尻尾が目に入った。  することもないので尻尾の毛づくろいに取り掛かる。」 過去のこと(!)ながら、一つめの文章は、情景描写に現在形を使っている、と言えますね。二つ目の文章は、一つ目の文章に続くように、現在形で流す。三つ目は、自分が見たことは、まさに「その時の描写」ですから、ここだけ時制を変えている。時制を変えることで、その文章を目立たせる。また四つ目は、一つ目二つ目の文章につなげるように現在形を使い、自分の毎日の代わり映えのない生活をつらつらと述べていく。こういう効果を狙っています。 先にも書きました通り、僕が翻訳本が嫌いなのは、翻訳家に、現在形と過去形を駆使する、こういった日本語特有の技法を用いることのできる人が少ないからです。

honskii
質問者

お礼

詳しく説明してくれてありがとうございました その物語の序章はものもと過去のことですね

noname#260418
noname#260418
回答No.9

>例の「思った」を「思っている」に変えればいいんですか。「思った」と「思っている」とは意味・ニュアンスはどう違いますか。 なぜこれだけが理解できないのでしょうか? あなたの母語で補足していただけますか? 日本語で回答させていただきます。 アラビアのロレンス、中国では 検索はできてもちょっと危うい感じです。 アラブ関係だからかな? 日本語の問題ではないと思います。

honskii
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

noname#260418
noname#260418
回答No.8

>もう一つは 「秋の空は高く、とても澄んでいた。 今年もまた収穫の時期がくる。 麦畑を、たくさんの狼が走っていた。」 その「ていた」はまるで過去のことを描写しているようですね。なぜ目の前の景色をわざわざ過去のことのように描写するのですか。 こちらぜんぶ中国語に訳します。 中国語のカテゴリーで再質問していただけますか? あなたがどのように日本語を勉強してきたか 過程が分からないと教えようがないんです。 強制しませんが、 他の部分が解読できてなぜここだけが 理解できないのでしょうか? 日本語を勉強するプロセスに 問題があるかも知れません。 中国語のカテゴリーで母語で 教えていただけますか?

honskii
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

honskii
質問者

補足

はい。ありがとうございます。 他の回答者さんのおかげで、「秋の空は高く、とても澄んでいた」の中の「ていた」の意味は大体分かっています。しかし、「ゆらゆらと揺れる麦穂の間から見える秋の空は何百年も変わらないのに、その下の様子は実に様変わりをしていた」の「ていた」などの意味はよく分かりません。中国語のカテゴリーで母語で再質問しています。教えていただけると助かります。 http://okwave.jp/qa/q9251097.html

noname#260418
noname#260418
回答No.7

中国語のカテゴリーで再質問して いただけますか。 これきりがないので。 ニュアンスと意味はちがいます。 外国語の習得は母語の影響を受けます。 中国語のカテゴリーで再質問してください。 他の回答者の方が丁寧に 分かりやすく回答されてますが、 それでもよく分からないようなら あなたの母語の問題です。 能力の指摘ではありません。 日本語を知らない人が外国語の 抽象的な表現を理解できないのと 同じように日本語のニュアンスの 問題ではありません。 主人公の心情を描写した作品を理解するのは 意図を理解する感性です。

honskii
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • bgm38489
  • ベストアンサー率29% (633/2168)
回答No.6

この小説は、物語の主人公が話し手となっています。一人称の形態。英訳すれば、主語にIがたくさん入るでしょう。日本語では、主語の省略が頻繁に行われます。言葉の使い方、助詞の使い方などで、記録的な文章なのか、話し手が存在するのかわかるのです。あなたの質問文、私の回答文も、語り口調になっているでしょ?思ったのは、話し手。 思った、と言っても、単なる過去のことではなく、何かが原因で、その時の感情としてこう考えたということ。そのときとは、今であってもかまわない。英語で言えば、過去形、過去完了形、現在完了形のどれも指すことがある。まあ、英語を日本語にする問題で、どの形も「思った」にすると駄目だけれどね。 思っている、とは何かが原因とで、今の感情としてもそう考えているということ。現在進行形に近い。思っていた、だと、その時の感情としてはそう考えていた、つまり過去進行形。 「走っていた」「澄んでいた」これは、その時の描写です。走っていく、澄んでいるとしてもいいのですが、動詞を現在形、あるいは過去形に統一することを、日本語では嫌います。時制(ここでは現在・過去)をわざと変えることが、読者の目を引き付ける、一つのテクニックのなのです。特に、「その時の描写」というものには、逆の時制を使うことが多い。 「花が一輪咲いている。それを見て、彼女は心が温かくなった。」 これを過去形に統一すると、 「花が一輪咲いていた。それを見たとき、彼女は心が温かくなった。」 となります。日本人にとっては、くどくどしていて、嫌われる文章だ。 花が一輪咲いているのは、「その時」の描写ですから、逆の時制を用いることが多いのです。 もっとも、この文章は、厳密に言えば、過去のことを述べていますがね。。現在形の方がおかしいのですが、過去のことであっても、まるでその時点にいるように思わせたいときには、現在形を用います。その中で、「その時」の描写に過去形を用いているわけです。 語り口調の文章は、ある意味読みなれないと、現在・過去形・未来に惑わされるかもしれませんね。日本の子供は、まずは語り口調の文章を読むことから始めるのですがね。

honskii
質問者

お礼

詳しく説明してくれてありがとうございました 「この文章は、厳密に言えば、過去のことを述べています」ということですか。ずっと現在のことと思っていました・・・

honskii
質問者

補足

詳しく説明してくれて本当にありがとうございます。 すみませんが、もう二つ聞きたいことがあるんです。教えていただけると幸いです。 1、 「ゆらゆらと揺れる麦穂の間から見える秋の空は何百年も変わらないのに、その下の様子は実に様変わりをしていた」 そのなかの「ていた」は「様変わりという動作が過去のある時点の前に完了した」という意味ですか、あるいは「過去のある時点まで様変わりという動作がずっと持続していた」という意味ですか。よく分かりません。 2、 「東にそびえる山のせいで、村の空を流れる雲はたいてい北へと向かっていく。  その雲の流れる先、北の故郷のことを思い出してため息をつく。  視線を空から麦畑に戻せば、鼻先で揺れる自慢の尻尾が目に入った。  することもないので尻尾の毛づくろいに取り掛かる。」 ご覧のとおり、文末の「~た」と「~る」は交互に使っています。 ここで、作者はどんな効果を狙っているんですか。 もし 「東にそびえる山のせいで、村の空を流れる雲はたいてい北へと向かっていった。  その雲の流れる先、北の故郷のことを思い出してため息をついた。  視線を空から麦畑に戻せば、鼻先で揺れる自慢の尻尾が目に入る。  することもないので尻尾の毛づくろいに取り掛かる。」などの形に変えればいいんですか。文体効果がどう違いますか。 よろしくお願いします

noname#260418
noname#260418
回答No.5

方向補語 | 中国語文法辞典 http://www.chinesemaster.net/grammar/%E6%96%B9%E5%90%91%E8%A3%9C%E8%AA%9E 動作の行為結果を補足説明する  結果補語  http://china.younosuke.com/03_043.html 動作の結果の補語。 ニュアンスは意味だけでは理解できません。 外国語は中枢となる母語が影響します。 会話と定型文は違うでしょう。 心情を描写するような文章は意味ではなく あなたの感性や感覚です。

honskii
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

noname#260418
noname#260418
回答No.4

中国語文法 アスペクト(進行・持続) | http://www.idesgrrtuvd.net/bunnpou/sinnkou.html 持続です。 思った、思っている。 「思った」、 完了ではありません。 あなたは日本語をどのように勉強されましたか? それが分からないと教え方が分かりません。 「あいうえお」から? 会話から勉強されましたか? 分からなかったら中国語のカテゴリーで 再質問してください。 ここは日本語のカテゴリーなので 中国で使われてる漢字は使えません。 直訳しない。 主人公がそのとき感じたことを 描写しているので「思った」(その後も思っている)。 「思っている」(進行形とは限りません) そのときの気持ちです。 ニュアンスというのは人から聞いて わかることではありません。 中国語の四文字熟語を 日本語にどうやって訳しますか? その言語特有の言い方があるでしょう、 それを理解すること。感覚です。

honskii
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.2

>そう思ったのは誰なのか分かりません。話し手なのですか、あるいは小説のある人物なのですか。  この場合は両方です。  その場面においては、その作品のヒロインであり、その場面での舞台であるパスロエの村において、麦の農耕を司どる神として祀られていて、畑に実った麦に宿っている状態になっている「ホロ」という巨大で不老不死に近い狼が、その場面限り、語り部として語っています。 >その「ていた」はまるで過去のことを描写しているようですね。なぜ目の前の景色をわざわざ過去のことのように描写するのですか。  過去の場面だからです。 >むしろ何百年も変わらないほうが悪いのかもしれない。 >だからもう昔の約束を律儀に守る必要はないのかもしれないとも思った。 >何よりも、自分はもうここでは必要とされていないと思った。 と書かれていますね?  この場面ではまだ明らかにされてはいませんが、ホロは何百年も昔にその場面での舞台であるパスロエの村の村人の1人に対し、その村の麦がいつまでも実り続ける様にする事を約束しました。  それ以降、「御質問文で引用されているその作品の冒頭部分の時期」までの数百年に亘って、ホロは精霊の様な状態となってその村の麦に宿り続けながら、村の麦がなるべく良く実り続ける様に大地の力などの自然の力を調整し続けて来ました。  ところが農業技術が発展し、大地の力を無理やり引き出す様な方法で、麦の守り神としてのホロの力に頼らずとも多くの収穫が得られる様になって来たためもあり、村の若い世代には「麦の守り神であるホロ」を深く信仰しようとする人間が新たに現れなくなって来た事と、ホロに対する信仰心が厚かった古い世代の人間はホロとの寿命の差から死んでいなくなって行った事により、村人達の間からホロに対する信仰心(というよりも親愛の情)が失われてホロの存在自体が忘れ去られかけていたため、ホロは 「自分(ホロ)はもうここでは必要とされていない(のではないか)」 と思う様になり、世代が変わって昔の約束事を覚えている村人がいなくなってしまっていて、(ホロが実在していると思っている人間もいなくなったため)最早、ホロに対して親愛の情を向ける人間もいなくなっている事から、 「もう昔の(友人であった村人に対して友情・親愛の証として交わした)約束を律儀に守る必要はないのかもしれない」 とも思ったため、その場面の後になってからホロは村の麦の守り神である事を辞めて、偶々村を訪れていたその作品の主人公である「クラフト・ロレンス」いう行商人が村で購入した麦に宿る事で、村から出て行ってしまいました。  その後の時点からが作中における現在であり、御質問文に引用されている部分は作中の時間の流れの中では過去の場面なのです。  そのため、「思った」という過去の事を描写している事を表す表現となっているのです。 >例の「思った」を「思っている」に変えればいいんですか。「思った」と「思っている」とは意味・ニュアンスはどう違いますか。  「例の」と仰られても私はその「例」とやらが挙げられた時と場所に居合わせていたわけでないため、どこでどの様な意味で挙げられた例であるのか解りません。  兎に角、質問者様が御質問文で引用しておられる場面は完全に過去の場面で、その場面における語り部であった「ホロ」がその様に「思った」事は過去の出来事です。 >上手い表現だが、迷惑なものもあるのが玉に瑕だな、と思った。 というのは、その場限りでふと心に浮かんだ「思い」に過ぎず、継続してその様に思い続けているわけではありませんから、 >上手い表現だが、迷惑なものもあるのが玉に瑕だな、と思った。 という箇所の「思った」は「思っている」に変える事は出来ません。  一方、 >もう昔の約束を律儀に守る必要はないのかもしれないとも思った。 >何よりも、自分はもうここでは必要とされていないと思った。 の方の「思った」に関しては「現在も継続してその様に『思っている』」事は間違いありませんが、この場合の「思った」とは、あくまで過去の場面における出来事の一部として「語り手(ホロ)がその様に『思った』」という過去に起こった"事実"を述べているだけのものなのですから、現在において「思っている」のかどうかとは関係のない話ですので、こちらの方の「思った」(過去の出来事)もまた「思っている」(現在も継続中の出来事)と置き換える事は出来ません。

honskii
質問者

お礼

「思った」と「思っている」との違いはよく分かりました 詳しく説明してくれて本当にありがとうございました

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    こんばんは。質問です。 昔小学校のときにこのような歌を歌いました。 しかし題名などを忘れてしまいました。フレーズで検索してもネット上ででてきません。 「春はどこからとんでくる~ つくしの芽からとんでくる~  ・・・  夏はどこからとんでくる~ 雷さんがもってくる~ ゴロゴロピカピカはじまると~ おへそをとられちゃ大変と 子供は慌てて着物きる  秋はどこからとんでくる~ ・・・    冬はどこからとんでくる~ ・・・  子供はみんな駆け出した~ 春を迎えにかけだしたー たんぼーの中のー いっぽーんみち~ 風に向かってかけていく 風に向かってかけていく~ かけてーいーくー 村の冬の~ 終わりです~ 」 とてもよかった曲です。四季を歌っていくのです。 どなたかご存知のかた教えてください。

  • 日本語文章の内容理解に関する質問です

    日本語の教師をしている外国人です。 授業で村上春樹の『ノルウェイの森』を取り上げているんですが、どう理解すればいいか迷っている箇所がありますので、どなたか教えていただけないでしょうか。 十八年という歳月が過ぎ去ってしまった今でも、僕はあの草原の風景をはっきりと思い出すことができる。何日かつづいたやわらかな雨に夏のあいだのほこりをすっかり洗い流された山肌は深く鮮やかな青みをたたえ、十月の風はすすきの穂をあちこちで揺らせ、細長い雲が凍りつくような青い天頂にぴったりとはりついていた。空は高く、じっと見ていると目が痛くなるほどだった。風は草原をわたり、彼女の髪をかすかに揺らせて雑木林に抜けて行った。梢の葉がさらさらと音を立て、遠くの方で犬の鳴く声が聞こえた。…… 質問1.上の段落の中には「十月の風はすすきの穂をあちこちで揺らせ、細長い雲が凍りつくような青い天頂にぴったりとはりついていた」の一文がありますが、「青い天頂にぴったり張り付いていた」のは何なのでしょうか。「十月の風」でしょうかか、それとも「細長い雲」でしょうか。 質問2.「凍りつくような」「青い天頂」なのでしょうか、それとも「長い雲が」「凍りつく」のでしょうか。文法的な関係を教えていただければ助かります。 質問3.文章には、「は」になったり、「が」になったりなのですが、直感的にどう違うのか、教えてくださいませんか。 とてもややこしい質問だと思いますが、ネイティブの方でないと理解が届かないところなので、是非お願いします。

  • ミョウガの移動について

    一昨年の秋に植えて、昨年夏に初収穫しました。今年も元気に葉が出てきているのですが、今ミョウガを植えてある場所にフェンスを設置する事になり、一時的に移動しなくてはいけないのですが、今の時期に掘り起こしても大丈夫でしょうか?  (1)今年の収穫は諦めた方がいい?  (2)苗自体が死んでしまう可能性は?  (3)時期として一番最適なのはいつ? 風が強く、小さなベジタブルガーデンの野菜たちが被害を受けるので、出来れば早くフェンスを設置したいのですが、ミョウガも生かしたいので悩んでます。よろしくお願いします。

  • 【夏の日の贈り物】合唱などでよく歌う「夏の日の贈り物」。歌詞の意味を小学生の子どもにわかりやすく教えるには?

    どのように皆さんでしたら教えますか?大人の頭の中ではわかることなのですが、小学生にとなると、意訳するのが難しいです。 ぜひ皆さんのお力をお貸しください・・・。 (1)人は街に戻り 山は秋の色よ 肩に 赤いとんぼとまれば 思い出は風の中 夏の~~ 言葉たどり~~ 歩く~~ 今日の道 よ~~ 閉じた小屋の ベンチ探せば 消えかけた 頭文字~~ ※山は~~高くそびえ~~~ 太陽が僕らを呼んだ 山の~贈りもの~~ 山のおくりもの 美しい~ 夏の日よ~~ (2)遠い空の果てに 響く友の歌よ 草の上に 地図を広げた 思い出は風の中 雲は~~ 白く光り~~ 尾根を~~ 越えて行くよ~~ 明日に込めた 願いをのせて 流れるよ どこまでも~~ ※ .

  • ドンテルミーノウプリーズプリーズミスタースカイ♪と聞こえる歌詞

    ドンテルミーノウプリーズプリーズミスタースカイ♪モダンヲーーーーク。 さびの部分がこの様に聞こえる曲を歌っているアーチストが誰なのか、かれこれ5年以上の謎です。 日本の男性歌手で高い声です。 近頃ではこの人の声で新しい曲は聴きません。 その他の歌詞には 空に鳥が居なくなった日に鳥は歌ってた 背中を押した風さえ吹き止んで雲に隠した言葉はこれだけ 等です。 よろしくお願いします。もう切に切に。