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江戸時代は歩くときの靴は何だったのですか?
草履ですか?
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 ★江戸の街では一般的には、 男性・・・雪駄 https://www.google.co.jp/search?q=%E9%9B%AA%E9%A7%84&hl=ja&rlz=1T4SNJB_jaJP692JP692&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwinn9XwxYfPAhVGoZQKHee3BKgQsAQIVQ&biw=1904&bih=892 女性・・・下駄 ★しかし、現在の道路のように舗装はされていませんでしたので、 雨が降れば道路は泥んこ状態。 日照りが続けばカチッカチッの状態。 そこへもってきて、風が吹けば砂埃。 従って、雨が降ったりすれば、 男性も・・下駄でした。 ★田舎の農作業では、主に、 男性・・・草鞋(わらじ) https://www.google.co.jp/search?q=%E8%8D%89%E9%9E%8B&hl=ja&rlz=1T4SNJB_jaJP692JP692&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwj496-0xofPAhVBOpQKHTxwBSEQsAQIKA&biw=1904&bih=892 女性・・・草履(ぞうり) ★旅人 男性も女性も草鞋 ある程度裕福な旅人は宿場に着くたびに新しい草鞋を購入。 古い草鞋は店が下取りしてくれました。 下取りした草鞋は農家などに売って、農家では堆肥(たいひ=肥料)としてリサイクル。 ★TVドラマや映画などでは道路が綺麗に整備されていますが、とんでもないデタラメ! 雨が降れば泥んこ状態。 風が吹けば砂埃。 そこへもってきて、荷車や馬も通りましたので道路はシッチャカメッチャカな状態でした。 (よもやま話) ★江戸の町奉行所の判決で「江戸10里四方追放」などという判決がありますが、 罪人を四谷大木戸、あるいは、品川宿などから町奉行所の同心などが付き添って追放を見届けますが、罪人は同心が見えなくなると、チャッカリと自宅(長屋など)に帰りました。 ★そして、出歩く用事がある時は草鞋(わらじ)を履いて出掛けました。 ★もし、同心などに見つかった場合でも、 「旅の途中です」 の一言で見逃してくれました。 ★つまり、追放刑を受けた罪人でも、江戸の街を横切ってはいけない、という決まりはなかったので、罪人は、 「今、江戸の街を横切っているだけです」 という意味だったのです。
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- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1962/11743)
一般男子はほぼ草履 一般女子はほぼ下駄 武士階級は高級な草履 遊女は高下駄
お礼
ありがとうございました。
- oska2
- ベストアンサー率44% (2309/5140)
>江戸時代は歩くときの靴は何だったのですか? 下駄と草履と草鞋ですね。 下駄・草履・草鞋と一声で言っても、雪が降る地域と降らない地域では「形に違い」があります。 旅人は、宿場町で「草鞋を購入して、古い草鞋と交換」していました。 ※「草鞋」で検索すると、TPOに応じた色んな草鞋を見る事が出来ます。
お礼
ありがとうございました。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9602)
jdorfbonh さん、こんばんは。 わらを編んだわらじですかね。草履はもう少し高いはき物でしょうね。幕末に入って外国から革靴が入ってきました。坂本龍馬画のトレードマークですね。 わらじ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%9E%8B
お礼
ありがとうございました。
- akauntook
- ベストアンサー率19% (295/1481)
確か江戸時代ならエアマックスですね。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。