陸蒸気に乗った女性客は。

新橋・横浜間に鉄道が開通したのは明治5年(1872)です。 その翌年、明治6年の1年間の乗客数は、ざっと143万人だそう...

Kittynote さんからの 回答

  • 2016-08-23 00:08:46
  • 回答No.2
Kittynote

ベストアンサー率 84% (32/38)

>両陛下が乗車されたのですね。
>二人お揃いで視察とは、明治になった実感があります。

因みに、この時の供奉員のうち女官は「典侍高倉壽子以下六名」のようです。

〇『海軍制度沿革.巻1/海軍大臣官房/1937』
・第八章 行幸啓 第一節 明治元年乃至明治十年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886704/96
<96/286>(151頁上段8行目)

また、私が規則で驚いた事は下記の第三條でした。

〇『法令全書.明治5年/内閣官報局』
・明治五壬申年五月 太政官 第百四十六號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/104
<104/768>
(96頁5-9行目)
○第百四十六號(五月四日)(布)
第六十一號布告鐵道略則別紙ノ通改正候條此旨相達候事
但開局日限ノ儀ハ治定ノ上追テ可相達候事
(別紙)
鐵道略則…
(96頁18行目-97頁1行目)
第三條 途中「ステーシヨン」ニテ乘組並手形ノ事
途中「ステーシヨン」ニ於テハ列車中餘地ノ有無ニ應シテ乘リ組ムコトヲ
得ヘシ若シ其手形ヲ買取リシ總人數ヲ容ルヘキ餘地ナキ時ハ其中ニテ
最遠キ地ニ赴ク手形所持ノ人丈ケ先ツ乘込ムコトヲ得ヘシ若シ又同里程ノ
地ニ赴ク客數人アル時ハ其手形ノ番號ノ順序ヲ以テ乘ルコトヲ得ヘシ


脱線気味なので軌道修正。

明治5年又は6年時点の話とすれば内容の一部に明らかな誤りがあるため、
当初はボツにするつもりでしたが、明治6年の太政官日誌以外にめぼしい
記録が見出せないため、可能性の一つとして投稿させていただきます。

実は、著名な日本人女性「税所敦子(48)、矢島楫子(40)、跡見花蹊(33)、
三輪田真佐子(31)、佐々城豊寿(20)、下田歌子(19)、桜井ちか(18)」各氏を
[※()内数値は明治6年当時の概算年齢※]順番に調べる中、
下記論文中の記述に出会しました。

〇「豊田芙雄と草創期の幼稚園教育に関する研究;
補遺1:保育者・古市静子の立ち位置/前村晃」
・『佐賀大学文化教育学部研究論文集/佐賀大学文化教育学部/2012-1』
http://portal.dl.saga-u.ac.jp/handle/123456789/119417

<2/32>(26頁24-27行目)
その後も、静子の向学心は益々盛んになり、明治6年(1873)11月末、
今回は周囲の了解を得て、友人・本田つねと共に上京することになる。
二人はまず「春日丸」に乗船して大阪に行き、そこから小田原までは徒歩の
旅を続け、途中盗難にあったりしている。小田原から品川までは汽車に乗り、
東京に着くと、本田は浅草の親戚の家へ、静子は森邸へと向かう。
静子は森有礼邸に住むことになるのである。

<9/32>(33頁30-行目)
この履歴書には若干不正確な部分もある。古市は回想録に、
明治6年(1873)11月に上京したように書いているが、
これは明治5年(1872)11月の記憶違いだとすれば問題はないだろう。

上記のうち「…小田原から品川までは汽車に乗り、東京に着くと、…」の
「小田原から」は疑問ですが、明治5年11-12月~明治6年1月頃
(又は明治6年11-12月頃)に古市静子が汽車に乗った可能性は有るようです。
ただ、どうも当事者の記憶が曖昧なのが難点です。

以上
お礼コメント
kouki-koureisya

お礼率 94% (1264/1337)

再度のご回答ありがとうございます。

横須賀造船所行幸に関して海軍も詳しい記録を残しているのですね。
両陛下は、同じ車両に乗車されたのでしょうか、多分別々ではないかと、つまらぬ想像をしています。
「典侍高倉壽子以下六名」は、全員、皇后様と同室でしょう。
供奉する高官多数ですから、定員18名の上等車を全て連結したのでしょう。

>第三條 途中「ステーシヨン」ニテ乘組並手形ノ事

品川、川崎、鶴見、金川の各駅で1-2分停車ですから、停車すると車掌(イギリス人らしい)が各ハコに向かって「ここで降りる奴はおるか」と叫んで、「降りま~す」と答えた客がおれば、そのハコのそのブロックの扉を開けてやったのでしょう。
車掌は、乗降を見ているだけで、駅員が扉を開けて、定員を超さぬよう確認しながら客を乗せたのでしょう。
切符を売るだけ売って、乗れるかどうかは、その時々の混み具合によるということですね。
まさに、お役所仕事で、駅員は「お役人だ」と思います。


>明治5年11-12月~明治6年1月頃(又は明治6年11-12月頃)に古市静子が汽車に乗った可能性は有るようです。

そうですね。乗車したことは確かですね。
女二人、大金を持って旅をして、盗難にあってもくじけず、ちょっと汽車にも乗ってみようという活発な様子が窺えます。
明治初期の女性の社会性という面で参考になりました。
投稿日時 - 2016-08-23 19:55:21
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