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アスペルガーの純度の高い方

アスペルガーのかなり純度の高いと思しき後輩社員のことです。 先日、彼が不正な会計をしていることを私が追及すると、 突然、「わーかーったよ!」と怒鳴りながら、 自分のパソコンの液晶ディスプレイを拳で殴り、床に落とし 破壊した後、自分の机の上のものを床になぎ払いました。 キレて暴れた、といった表現が一番近いと思います。 その後、彼は上司に「ちょっとパソコン落としちゃって」と 軽い言い訳をして、私に責められたからこうなった という趣旨の説明をしたようで、私は上司から、 彼を許してやってくれ。かわいそうじゃないかと言われました。 彼の自分本位はいつものことで慣れているつもりでしたが、 暴力行為は初めてだったので、びっくりしました。 その後、上司の立ち会いの元、彼が謝り、私は許すという 場面がセットされました。ところが、 彼は、「今回がまんしようとしたんですけど、自分を コントロールできなくて、すいませんでした。」と言った後、 自分はこういう状況で、こう思って、云々、自分の説明を 長々とした挙句、 「でも、○○さんも、言い方気をつけて下さい」と言いました。 あきらかに、全然悪いことしたとは思ってなくて、しぶしぶ 謝ってる感じでした。 私は、何というか、疲れて、絶望的な気持ちになりました。 それから2日たった今日、 しおらしい顔をして彼が近づいてきて、 「なんか、考えてみたんですけど、色々、教えてくれてたのに なんか、すいませんでした」と突然、謝ってきました。 これは、何なのでしょうか? 不正な会計(記録もせずにお金を持ち出し、その後忘れる) をとがめられた挙句の暴力行為って 彼にとっては、大したことじゃなかったということでしょうか。 それとも、とんでもないことをしたと自覚してるのでしょうか。

みんなの回答

  • HeyXey
  • ベストアンサー率26% (135/501)
回答No.1

 こんばんは。  人間の行動の“なぜ”に答える方法として、原因で答える方法と目的で答える方法があります。現状を変えようとする場合、原因をいくら追究しても変わらないでしょう。この場合、彼の目的を想像するのがいいと思います。  <しおらしい顔をして謝る> ⇒ <相手が許してくれて問題が解決する>  <キレてパソコンを破壊する> ⇒ <少し注意されるが上司がとりなしてくれる>  <過不足なくふつうに仕事をこなす> ⇒ <誰もほめてくれない>  何か行動をしたあとに好子〔こうし〕が出現するか、嫌子〔けんし〕が出現するかによって、人って行動を変えるじゃないですか、誰だって。人間の行動がすべて飴とムチで決定されるんだということを否定したいかもしれませんが、極言すればそうなんです。好子には「自己実現が達成されつつある悦び」も含まれるので、そう低俗で単純でもないのですよ。  行動分析学と言いますが、奥田健次氏の本がわかりやすいかも知れません。  発想を柔軟にして考えると、先輩社員のあなたから怒られることが好子になる場合もありえます。「自分が職場でよく受け入れられない、なぜだろう。先輩が意地悪だからというのが原因だと考えてもよい証拠があれば、辻褄の合った世界で生きられるのになぁ」という場合、「ほら、考えていた仮説が正しいという証拠が出た」と彼が解釈すれば、あなたに怒られる(叱られる)ことは好子〔こうし〕になるとも考えられます。  他人の立場に自分を置き換えて考えることが困難ということは、客観的に自分を見れないということでもあります。ということは、「反省できない」ことを意味します。世間で言われるように「暗黙の了解を理解できない」と言うだけの生易しいものではないと僕は思っています。  ABC分析(心理学)というのもあります。ノン・バーバルに何が伝わったかを彼は自覚していないでしょうけど、彼にも伝わります。彼がふつうに仕事ができた時に何か好子を与えていますか?。暗黙の了解の部分を少しでも含ませると誤解されるので、ハッキリさせておく必要があります。同じ会社という場でお互いに自分の利益を追求するドライな関係と思っておいた方がいいでしょう。信賞必罰はもちろんのこと、そのことを丁寧に説明して彼に納得させ、共通した辻褄の合った世界を築く努力が求められます。ムチが変に誤解されて、誤った世界観を持たれないような注意が必要です。自分の感覚を押し付けたり、彼のことを自分の延長線上で理解するのではなく、アスペルガーの特性を考慮しないといけません。  とてつもなく難しいことですが、あなたの人間理解には役立つでしょう。ご健闘を祈ります。

noname#220876
質問者

お礼

なるほど。参考になりました・・・。考えていたより、とても難しい相手だとわかりました。理解ができない、ということが、ここまでになるのか・・・。同じ日本語を使っているのに、彼の「わかりました」が、こちらの「わかりました」とは全然違うんだと。 アスぺについては詳しいつもりでしたが、誠実そうな顔をしてわかりましたと言われて、そのまま「ああわかってくれたんだな」と安易に信じていた認識の甘さをあらためて痛感しました。

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