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アルハンブラ宮殿7つの疑問の6

ナスル朝宮殿には採光用の透かし彫りが多くありましたが、燭台が全く見当たらないのが不思議です。この頃はロウソクは存在していますね。ナスル朝では不使用だったのでしょうか。 明かり取りの透かし彫り窓からは冬季の寒気もドンドン室内に入るはずですが、暖炉が見当たらないのはなぜでしょう。室内暖房の工夫はどうしていたのでしょうか。カーテン、カーペットはこの当時使われていたのでしょうか。食堂、厨房も見ませんでした。 照明、暖房、食事、洗濯など日々の暮らしの不便/工夫について、当時のスペインの様子を教えて下さい。出来ればパリやウィーンの様子と比較回答願えると嬉しいです。よろしくお願い致します。

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回答No.1

最初の回答にも書きましたが、私は専門家ではありませんので参考程度にお読みいただければと。 あかりはランプを使ってたんじゃないでしょうか?モロッコでよく見かけるような吊り型、置き型のもの。(モロッコはアンダルシアから建築・美術様式を逆輸入して引き継いでおり、当時は同じ文化圏です) 参考:ナスル朝最後の主ムハンマド12世(ボアブディル)一家がアルハンブラから旅立つ様子を描いた絵画 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Salida_de_la_familia_de_Boabdil_de_la_Alhambra.jpg アラブ人は貴賤を問わず床で過ごす習慣があるので、絨毯を敷いてその上で執事や食事、寝っ転がって天井を眺めたりしたのだと思われます。建物は目線の高さに合わせて設計され、タイルの腰壁は背もたれの役割もありました。 透かしや天井の一部はステンドグラスがはめ込まれていました。ちなみに居住スペースの一部はカルロス5世宮殿建設のため取り壊されました。 グラナダは山間の寒い地域ですが、絨毯やクッションの類で済ませていたのかも。遊牧の民ですし。ちゃんとした調べが無くすみません。 アルハンブラはキリスト国王の手に渡ったのち手が加えられ、その後は長い間放置され廃墟同然となり、事件事故天災などによる喪失や、19世紀の大々的な修復等の経緯がありますので、今見ている姿をそっくりそのまま当時のものと思われない方がいいです。 アーヴィングの「アルハンブラ物語」と、「現代アルハンブラ物語―ワシント​ン・アービングの夢と現実(大塚 勝弘 著)」をセットで読まれるといいかと思います。

areisama
質問者

お礼

外出でお礼が遅れてすみません。ムハンマド12世一家がアルハンブラから旅立つ様子を描いた絵画を興味深く見つめました。照明はランプですか。カーテンも絨毯ありますね。テーブルと椅子でなく、床に座ったり寝て諸作業をしてたのが、現在のタイ人のタイル床生活と同じなのが面白いです。現代のエジプト人はテーブルと椅子の生活でした。「今見ている姿をそっくりそのまま当時のものと思われない方がいい」→王宮でも囲炉裏暖房だったのでしょうかね。現代生活の便利さを再認識です。2つの本、読みたくなりました。ありがとうございました。

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