『愛国心』とはなにか?

このQ&Aのポイント
  • 「愛国心」という言葉には、「愛(する)」という語がつかわれていますが、英語では愛国心は、パトリオティズム【Patriotism】、「愛国者」をパトリオット 【Patriot】(ラテン語のpatria(祖国)より)といい、Love=愛 とは違っています。
  • 愛の起源は、親と子の間に芽生えるものと考えられます。嬰児は全くの無力ゆえに、「親」に無条件に、本能的に「愛を求め」「甘え」ます。一方で親(主として母親)も「我が子」に対して、「無条件の愛を」与えます。
  • 「親」や「ともだち」というのは、目に見える実態のあるものとして彼の前にあるもので、それに人は、時に愛し、時に反発しながら共に生きてゆきます。一方で、「国」を愛するという時、その「実態」とは何でしょう?「国を愛する」こころ、というのは、「親」や「ともだち」との関係における「愛情」や「友情」のような「本能的」なものとは異なるようです。国を愛するイコール「郷土愛」という言い方もありますが、東京に生まれ育った者の、個人的な実感としては、愛の対象とし得る「場」が無いように思えます。『兎追いしかの山』も『小鮒釣りしかの河』など、どこにも見当たらない。では、「国を愛するこころ」とはどのように生れるもので、また何を対象としているのでしょうか?何かこれは親子の愛情や友達や恋人との「友情」「恋愛感情」という「愛する」とは別の、寧ろ「信仰」に、より近いもののように思えるのです。
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『愛国心』とはなにか?

「愛国心」という言葉には、「愛(する)」という語がつかわれていますが、英語では愛国心は、パトリオティズム【Patriotism】、「愛国者」をパトリオット 【Patriot】(ラテン語のpatria(祖国)より)といい、Love=愛 とは違っています。 さて、愛の起源は、親と子の間に芽生えるものと考えられます。嬰児は全くの無力ゆえに、「親」に無条件に、本能的に「愛を求め」「甘え」ます。一方で親(主として母親)も「我が子」に対して、「無条件の愛を」与えます。 子供が成長して、「自我」が芽生えてくると、子供の内面では「親は常に正しいわけではない」「時に親は自分たちの価値観を押しつけてくる」という反発、相対化が始まり、また、親に対して「秘密」を持つことで、徐々に「個」、「自己・自我」を確立してゆきます。けれども、時に親に批判的になり、親に隠れて何かをすることがあるにしても、多くの場合、親と子の間には、土台としての「愛情」が流れているように思えます。 また学校などで、新たに「ともだち」という関係が生まれると、そこには親とは別種の「友情」のようなものが生まれます。無論「友情」といい「恋愛」といっても、それは時に脆く、一瞬にもとの「他者」に戻ることもしばしばです。 さて、「親」や「ともだち」というのは、目に見える実態のあるものとして彼の前にあるもので、それに人は、時に愛し、時に反発しながら共に生きてゆきます。 一方で、「国」を愛するという時、その「実態」とは何でしょう? 子は自我が芽生える前に「親」に「愛を求め」「甘え」る。そして自我の確立とともに親との距離が生じるのですが、「国」という概念を子供が自覚するのは、少なくとも自我が芽生える以前のものではないはずです。だとすれば、「国を愛する」こころ、というのは、少なくとも「親」や「ともだち」との関係における「愛情」や「友情」のような「本能的」なものとは異なるようです。 国を愛するイコール「郷土愛」という言い方もありますが、東京に生まれ育った者の、個人的な実感としては、少なくとも、東京のように目まぐるしく街の姿が変わるような場所に生きていると、愛の対象とし得る「場」が無いように思えます。『兎追いしかの山』も『小鮒釣りしかの河』など、どこにも見当たらない。 では、「国を愛するこころ」とはどのように生れるもので、また何を対象としているのでしょうか? 何かこれは親子の愛情や友達や恋人との「友情」「恋愛感情」という「愛する」とは別の、寧ろ 「信仰」に、より近いもののように思えるのです。 みなさんのご意見をお聞かせください。

noname#226970
noname#226970

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  • eroero4649
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回答No.4

おっしゃるとおり、LOVEは本来「神の愛」を示す言葉で、人間特に男女の性愛については使わないのが本来だったそうです。それが中世頃に「ロマンティック・ラブ」という言葉が登場したそうで、それは「若い騎士と人妻との愛」つまり不倫の関係で使われるものだったそうです。この若い騎士と人妻との不倫は中世ヨーロッパ人のツボに入ったようで、ブームだったそうですよ。最も有名なのがあのアーサー王物語の美青年騎士ランスロットとアーサー王の妻グィネヴィアとの間の恋ですね。 いつの頃からか、そのロマンティック・ラブは男女の愛全般に使われるようになり、そしていつからか、LOVEそのものが男女の性愛にも使われるようになったのです。LOVEが神の愛で語られていた頃に男女の性愛をどういう言葉で表現していたかはわたしゃ知らんです。 んで、一方の「愛国心」ですが、人々にそのような心が芽生えてきたのは13世紀辺りにスイスが独立してきた頃ではないかなと思います。スイスという国は王様が支配するのではなく、共和国でしたからね。ただこの頃は「原初愛国心」というものだったのではないかなと思います。オラが村の独立を守るという意識でしょうね。 思想的にはっきり出てきたのは、アメリカの独立戦争とフランス革命だと思います。アメリカ合衆国と共和制フランスというのは「人々が、自ら戦って作った国」なんですよ。だから「俺たちが作った国だ」という意識が人々に生まれたんですね。ちょっとうろ覚えですが、「国民」という意識が人々の間に生まれたのもこの頃ではなかったかと思います。 そこらへんがよく分かるのが、メル・ギブソン主演の映画そのものずばりの「パトリオット」です。ここに出てくるアメリカ独立市民軍は、まさに烏合の衆の農民の集まりで、プロフェッショナル軍隊であるイギリス軍に文字通りに一蹴されるんです。史実もその通りで、とにかくもう戦えば必ず負けた。ベイスターズ並みの弱さで、途中まで話を聞くと「ここからどうやって独立までいけるんだ?」って思うほどなんです。ただ、彼らはとにかく「自分たちの国を作るために戦おう」という士気だけは異常に高かった。靴を履いている人さえもいなくてボロボロの服を着ていたけれど、いくら負けても戦う意識だけは失わずにいたのです。この辺、「パトリオット」でよく描かれています。ご覧あれ。 こうやってアメリカやフランスが「我々が作った、自分たちの国」を作って人々に「国民」という意識が出てきて、それにより「愛国心」というのが生まれたのです。ですからそういう意味で愛国心というのは「自分たちが作った国家体制(政府)に対する支持」といっていいでしょうね。それが世界中に広まったのです。 日本では「国民」という意識を植え付けようとしたのは明治になってからで、これはいうまでもなく近代軍を作るためです。近代軍が忠誠を誓うのは、「政府」です。政府の命令とあればお殿様も逮捕しなければならない。明治政府はそれにものすごく苦労したのです。というのは、江戸時代の人々の意識は「お殿様に対する忠誠」でしたから。でもその「個人への忠誠」が悪い方にいくと西南戦争(西郷隆盛への個人忠誠がああいう形になりました)になってしまうのです。それで尋常小学校つまり学校で「愛国心」というのを教えるようになったのです。ただ困ったことに、日本人には明治政府が「俺たちが作った国」という意識がありません。一部の藩を除けば「なんか世間で騒いでいるうちに公方様(徳川将軍)の世の中ではなくなった」という意識です。それで結局代わりにそのカリスマでありアイドル(偶像)として担ぎ上げられたのが天皇だったのです。 ですから特にアジア諸国における「愛国心」とは、学校で教育されるものであると考えていいと思います。教育を洗脳と言い換えてもいいですけれど。アジア諸国はインドネシアなどでは独立戦争もありましたが、一般的にアメリカや共和制フランスのような「国民革命によって樹立した政府」ではないですから、そこは日本式の「学校教育で愛国心を植え付ける」というものになるのです。今の南北朝鮮(韓国)、中国、全部そうでしょ?最も忠実な教え子は北朝鮮ですよ。なんか尤もらしいことをああだこうだいう自称愛国者は、私からすれば歴史を知らないだけ、となります。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは、エロエロさん。 ご説明、よくわかります。アメリカの独立戦争やフランス革命は民衆=国民が「彼ら自身の手で作り上げた作品」のようなものですから、愛情があって当然でしょう。フランス人なんかと話していると彼ら・彼女らの祖国愛というものが強く感じられていささか鼻白む思いがします。 本来「民主主義」は、国民一人ひとりが自分の国に責任を持つということですから、「お上」任せとは正反対の国の在り方ですね。 ですから、フランスに限らず、欧米諸国では、政府が市民=国民に従わないときには、当たり前のようにゼネストもするし、百万単位の抗議デモもしますね。 アジア諸国に於ける「愛国心」が「国民の作り上げた作品としての国家」ではない以上、それはある種の「オシエ」として人々の中に注入することになるのでしょう。 国を愛する心を「オシエる」=「オシエ」というのが市民社会を持った国との大きな違いでしょう。 しかし、いつまでも「親」のいいなりになって、「親はいつでも間違えない」と考えることがおかしいように、国に対しては「国は過つ」という批判的なスタンスを維持することが民主主義の姿だと思うのです。 概して「オシエ」に忠実という点で、東アジア諸国は似たり寄ったりという感じです。 ご意見をありがとうございました。

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  • LOLIPON35
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回答No.11

こんばんは。 まず、愛について。 愛は、自己愛が基本にあるのだと思います。 自分、あるいはその分身だからこそ、 無償の愛を注ぐことができるのだと思います。 次に、所属欲について。 自分が生まれ育った環境や、自ら望んで所属した組織。 そういうところに所属していることに安心したい。 その気持ちが、愛となって表れるのではないでしょうか。 それは、むしろ期待で、信仰となることもあると思います。 そして、愛国心について。 この「国」というのが曲者で、人によってイメージする 対象が違っているのではないでしょうか。 「国家」であったり「政府」であったり、「国土」や「郷土」、 「民族」や「政党」であったりするようです。 他国を貶めて優越感に浸る卑屈な愛国心もあれば、自分に 都合のいい主張を無批判に支持する無知な愛国心もありますね。 個人的には、些事はともかく、世界を一つの国家と考えて、 人類として、生命として、この星を誇りに思う程度の 愛国心なら持ち合わせがあるのですが…。今現在の国家のには、 愛国心の対象としての魅力はあまり感じられない状態です。 相対的なものではなく、無条件に、自分と世界の存在そのものを 肯定する、したくなる感情、それが愛国心だと考えています。 まあ、それくらい曖昧でぼんやりしたイメージだからこそ、 適当に都合のいい理想を投影できるのかもしれませんが…(汗)。

noname#226970
質問者

お礼

こんばんは。 >愛は、自己愛が基本にあるのだと思います。 自分、あるいはその分身だからこそ、無償の愛を注ぐことができるのだと思います。 ああ、そうかもしれません。 >次に、所属欲について。 自分が生まれ育った環境や、自ら望んで所属した組織。 そういうところに所属していることに安心したい。 その気持ちが、愛となって表れるのではないでしょうか。 それは、むしろ期待で、信仰となることもあると思います。 昔は「愛社精神」なんて言葉をよく聞きましたが、いまでもそういうのってあるのかな。でも所属している「会社」を愛するのは、当然見返りが前提になっていますよね。当たり前のことですが「無条件の愛」ではあり得ない。 帰属意識についてはやはり「期待」の方が強いように感じます。 >相対的なものではなく、無条件に、自分と世界の存在そのものを 肯定する、したくなる感情、それが愛国心だと考えています。 それは同感です。 とはいえ、 非白人が大統領になったり、パキスタン系移民の息子で、イスラム教徒がイギリスの首都であるロンドン市長になるような政治のダイナミズムを経験したことのないわたし(たち?)には、なかなか愛国心を理解するのは難しいことかもしれません。 愛国心は必ずしも「無知」や「他者を排斥」することの上に成り立っているのではなく、またそれがイコール、ナショナリズムでもない愛国心というのも、欧米では存在しているように思えます。「無知」による「無批判な」愛国心との大きな違いは、愛するがゆえに批判し、時にそれを覆すという意識を国民が持っているかどうかのように感じています。 ご意見をありがとうございました。

回答No.10

「愛国心」は、日本人の意識をまとめるために、軍国主義が使った 言葉です。 捕虜となるよりも自決することが最高の「愛国心」の実践だったと 教えられていた時代がありました。(サイパン島suicide cliff・・他) 日本人ならば、そこを素通りすることはできません。 今の平和な日本には、ただただ感謝するのみです。 だから、「愛国心」という言葉を離れて、単なる ≫「国を愛するこころ」とはどのように生れるもので、また何を対象とし ≫ているのでしょうか? という質問であれば、自分の生まれた国だから好きですよ。 ただ、熱狂的に狂おしく感じるかというと、どうかなと思いますが。 四季おりおりの景色・景観を楽しみ、感動をおぼえた時、つまり 自然を対象に、いいなぁ日本って~と思うことはあります。 「郷土愛」ですか? 街の姿は変わっても、記憶の中、思い出の中の映像で十分です。 ふるさとは遠きにありて想うもの。 愛国心も郷土愛も、そういうものなのではないでしょうか。

回答No.9

日本はもともとは仏教国なので「愛」という言葉がピンときません。 「愛」はカトリックから発祥した言葉なのではありませんか。 「我が祖国(モルダウ)」は、ボヘミア出身のスメタナが、ボヘミア(現チェコ)の 国民音楽の記念碑になるべくスェーデンで作曲した交響詩。 美しい旋律のこの曲には、古の王国の栄枯盛衰が語られる形がとられています。 ~ボヘミア国王の居城だったお城が壊滅~ヴォルタ川流域の農民や妖精たちの 暮らし~民族の舞踊、連帯、チェコ国家の最終勝利~ 今でも、祖国愛が強いなぁと思うのは、東欧・・ポーランド・・や韓国、北朝鮮・・ の方々です。やはり国境線を越える戦いを経験した国です。 解釈は自由ですが、「愛国心」に余情性(センチメンタル)を求めるのは違う ような気がします。

noname#236410
noname#236410
回答No.8

難しいことはよくわからないんですけど、 私に関して言えば、おらが村自慢ですかね・・・。 自分に近いものを応援する、ひいきし倒す!という感じ・・・。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >私に関して言えば、おらが村自慢ですかね・・・。 おらが村、というのは、具体的な自分のお住まいの界隈、ということですか。あるいは日本という国の比喩なのかな。 >自分に近いものを応援する、ひいきし倒す!という感じ・・・。 なるほど。 ご意見をありがとうございました。

回答No.7

>では、「国を愛するこころ」とはどのように生れるもので、また何を対象としているのでしょうか? 私が無知でボキャ貧なため、ここの一文について書きます どのように国を愛する心が生まれるのか? それは自然の成り行きです ニュースで伝え聞いたり、学校や親から習ったり、はたまた自分から日本の根っこ探しの旅に出かけたり… 興味のない人はここで終わってます それに戦後70年、未だに日本政府は「謝罪」を要求されます ナンデ?って思うのが普通の感情ではないでしょうか? でも、こればかりは隣国に恵まれない日本の不自由なところです 何を対象にするのかはこれまた個人の自由 世界遺産になった日本食を挙げる人もいますし、二十四節気を挙げる人もいます 麻生さんが言っていたときは「マンガ外交?アホか?」って思ったけど、マンガも日本が誇れる「文化」と言っていいでしょう 東大阪のちっちゃな町工場から生まれる数々のヒット商品しかり 我々が「消しピタ」と呼んでいる修正テープはいらちな関西人ならではの発想です 「修正液が乾く時間を待てない」と いろんな物や事がクロスしたり重なりあったりしての集大成が「愛国心」ではないでしょうか? 安いからと言って安易に100均ショップに行っては行けません!! made in Japanを買いましょう!!

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは、michiyoさん。 確かにアニメーションにしても、工業製品にしても、日本の優秀さは認めますが、それは東大阪の小さな町工場の功績であって、それはわたしの中では「国」を愛する心には結びつきません。 例えば東京でいえば、わたしが若いころにコンサートに行ったホール、会場、(中野サンプラザ、渋谷公会堂、新宿厚生年金会館、五反田ユーポート、日本青年館など軒並みなぎ倒されました) それにここ東京の知事は、東京よりもニューヨークが勝っていると思っているようで、「東京にブロードウェイを作らなければNYに勝てない!」といったとか言わないとか(新聞の記事ですので、どこまで信憑性があるかはわかりませんけれど) その前の知事もやはり「歌舞伎座をオペラ座のように」と云っていましたね。 少なくともわたしの住む東京都のトップは、日本の伝統文化よりも「欧米文化」が優れていると思っているようです。 わたしは文化的には昔から「保守」ですよ(笑) だから日本が嫌いなだけです。 いつもご意見をありがとうございます。

noname#226970
質問者

補足

>だから日本が嫌いなだけです。 つまりわたしの目から見れば日本人及び日本の政治家ほど自国の文化を軽んじている民族も少ない、と思えるのです。フランス人は口が裂けても「オペラ座をKABUKI-ZAのように!」等とは云わないし、自分たちが、そんなこと言う知事を頂いていることを恥だと思うでしょう。

回答No.6

純粋に「私が好き」→「私に自我を教えてくれた親や兄弟が好き」→「私や親や兄弟が居られるココが好き」→「ココは日本、日本人みな兄弟」 私はこんな感じで宗教も何も感じずにみんなが大好きだし日本が大好きです。 愛国心ってそんな感じじゃないですか?

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >純粋に「私が好き」→「私に自我を教えてくれた親や兄弟が好き」→「私や親や兄弟が居られるココが好き」→「ココは日本、日本人みな兄弟」 つまり、「愛の最外周は国家(国)」であるということでしょうか? そこからさらに進めて、日本があるのは東アジア、アジアがあるのは地球、とは、いかないのでしょうか? また例えばアメリカは多民族国家であって、移民たちの国です。 イギリスも連合王国で、同じグレートブリテン島に異なる民族が暮らしています。 このような場合、わたしはイングランド人、でもここはグレートブリテン島だからそこに住むスコットランド人も好き。アイルランド人(ケルト民族)も好き。でいいですね。 ご意見をありがとうございました。

回答No.5

社会的な思想には、大きく分けて個人主義と全体主義が あります。 生きる目的が個人優先で、その二次的選択として社会性が あると考えるのが個人主義、所属する組織全体の繁栄が目的 で、その手段として個人の存在があるとするのが全体主義。 その「所属する組織」が、かつてはファミリーであり、集落 であったものが、分業化や貨幣制、軍事力の近代化によって 地方(都市国家、藩)、国家へと拡大した結果、国家主義= 愛国心が取りざたされているのです。 しかし、もはや我々の身の回りの衣食住、あらゆる物が世界 中からやって来ており、世界の人々の順調な営為なしに、 個人の安定した生存はあり得ません。(生きる意志=人類愛) もはや国家主義や愛国心は有害なだけです。 ただ、国家の枠組みに利権を持つ政治家や軍需産業、機関投 資家だけが時代遅れの国家主義を残そうと、国家間の対立を 誘発しているだけで。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは、psytexさん。 >生きる目的が個人優先で、その二次的選択として社会性が あると考えるのが個人主義、所属する組織全体の繁栄が目的で、その手段として個人の存在があるとするのが全体主義。 そうですね。「個」と「公」との関係とも言えますね。 >その「所属する組織」が、かつてはファミリーであり、集落 であったものが、分業化や貨幣制、軍事力の近代化によって地方(都市国家、藩)、国家へと拡大した結果、国家主義=愛国心が取りざたされているのです。 自分の家族(親類)や我が町というと、存在として身近ですが、「国」とか「国家」ってわたしにとっては結局「観念」であり「思想」であって、「実体」のないものなんですよね。 >もはや国家主義や愛国心は有害なだけです。 ただ、国家の枠組みに利権を持つ政治家や軍需産業、機関投資家だけが時代遅れの国家主義を残そうと、国家間の対立を誘発しているだけで。 ただ、国を愛する心って、やはり必要にも思うんです。つまり自分たちの国を守る、という時に、真っ先に守らなければならないのは、「外国」ではなく「自国の政治(政府)」からではないかと思います。 だって戦争をやって得をするのは、自分の国の政治家や企業や投資家ですからね。 いつもご意見をありがとうございます。

noname#218364
noname#218364
回答No.3

「ゴミを拾うこと」イコール「国を愛する」ことの間にどのような関係がありますか?」←右翼団体が街宣車で「愛国心」を唱ってますよね・・ あれが「愛国心」から来てるのなら 騒音等しない・・ そして ポイ捨てゴミを拾う事すら出来ない人に「愛国心」が あるとは思えない・・ それだけです・・

noname#226970
質問者

お礼

>右翼団体が街宣車で「愛国心」を唱ってますよね・・ >あれが「愛国心」から来てるのなら 騒音等しない・・ それはそうですが、でも騒音をまき散らさない、外でゴミを捨てない、というのはマナーの問題ではないでしょうか? 「愛国心」とはつまるところ、マナーを守るか守らないか?ということでしょうか? ちょっと皮肉っぽく聞こえるかもしれませんが、道のごみを拾うことは愛国的行為なら、彼らは愛国者ということになるのでしょうか。 再度のご意見をありがとうございました。

noname#226970
質問者

補足

仰る通り、わたしには「国を愛する気持ち」がないようです。 「自分の生まれた国を愛することが出来ない」というのは、おそらくは寂しいことでもあろのでしょう。 ですから「国を愛している」人たちに、「それ」の実態と、「愛するに至った」経緯をお聞きしたいという質問です。

回答No.2

日本は、過去の歴史に、侵略の歴史や民族紛争がなく、また、地続きに 隣接する国がない島国なので「愛国心」という概念は、ないわけでは ありませんが認識しにくいと思います。 海外旅行に行って、日本が恋しくなるというか、海苔巻きが恋しくなる 感情はありますが、それは望郷に近いものらしく、愛国心とは違うかも しれませんが、自分の出身地・国籍の自覚は離れることはないですね。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >海外旅行に行って、日本が恋しくなるというか、海苔巻きが恋しくなる 感情はありますが、それは望郷に近いものらしく、愛国心とは違うかも しれませんが、自分の出身地・国籍の自覚は離れることはないですね。 嘗て三島由紀夫は東大全共闘との対話の中で、「自分には日本人としての自覚がある。それは外国に行ってみればすぐにわかる。」というようなことを言っています。 仰るように「対比」することで、或いは「外側へ出る」ことで、逆に自分の帰属している「場」を自覚することはあると思います。 でもそれは「日本人であるという自覚」ですが、それがイコール「愛国心」であるかは別のようです。三島が言うように「例えばパリを歩いていて、店のウィンドウに胴長で短足の男が映っている。誰だろうと思うと自分なんだね(笑)」というような場合、やっぱり日本人は嫌だなという気持ちになるかもしれません。(笑) >日本は、過去の歴史に、侵略の歴史や民族紛争がなく、また、地続きに 隣接する国がない島国なので「愛国心」という概念は、ないわけでは ありませんが認識しにくいと思います。 ということは、「国を愛するこころ」というのは、親への、友への、恋人への愛情のように、「その存在自体によってもたらされた」ものではなく、「敵」あるいは「攻撃」という外的な存在あるいはそれらによる刺激によって発生するものでしょうか? ご意見をありがとうございました。

noname#218356
noname#218356
回答No.1

『愛国心』とはなにか・・←簡単に言えば あなたが持って無いもの・・ 質問だけなら誰でも出来る・・ 行動しないと「愛国心」とは言えない・・ こんな下らない質問するよりも ポイ捨て空き缶の一つでも拾って道を綺麗にしなさい・・ それが 本当の「愛国心」です・・

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >『愛国心』とはなにか・・←簡単に言えば あなたが持って無いもの・・ ということは、普通は「持っていて当たり前のもの」ということでしょうか? >質問だけなら誰でも出来る・・ 持っていない(対象が見当たらない)ようなので質問をしています。 あなたの「愛国心」はどこで生まれ、どのようにしてこれまで育ってきたものでしょうか? 「ゴミを拾うこと」イコール「国を愛する」ことの間にどのような関係がありますか? ご意見をありがとうございました。

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    私は20代の沖縄出身の女性です。 「愛国心」という言葉にいまひとつピンときません。 個人的には日本というのは、好きでもなく、嫌いでもない感じです。 まぁ、昔は日本兵によって、沖縄は戦争で苦しんだという風に聞いたため、 私は、昔の日本は嫌いですが…。 私の周りの20代の友達は、皆「日本は好きではないが、嫌いでもない」 といった風な感じですが、 皆さんはどうでしょうか?日本のどのような所が好きですか? 余談ですが、 以前私は、福岡の小学校に一時的に通っていたとき、 卒業式の時、生徒会長の子が「私は国家は歌いたくありません。このような行為をする校長を許したくないです」 などと(うろ覚えなのですが)言っていて、 卒業生が皆、国歌斉唱の時に着席していて、歌わない状況を目の当たりにしたことがあります。 こういう行為は、親の教えなのかなぁ?と疑問に思ってしまいました。

  • 日本人はなぜ愛国心(郷土愛)を否定するのか?

    京都の僧侶志望の者ですm(__)m。 私は頭が悪いのでわかりません、 日本人はなぜ愛国心(郷土愛)を否定するのかが、 私にはどうしてもわからない。 愛国心(郷土愛)がない戦後の日本人は、お金にだけ頼って生きています。 現代のような右肩下がり(不景気・デフレ)の時代はお金儲けできません。 お金儲けできないので、自分自身でやる気をどんどんなくしています。 お金(魔物)に頼る不安定な生き方をするから、日本が衰退するのです。 愛国心(郷土愛)さえあれば、日本が好きであれば、 好きな日本の為に努力して、日本をいくらでも良くしていけるのに。 日本の将来に強い危機感を感じています。 政治や経済や教育、東北大震災への危機感ではありません。 日本人がお金に頼って生きているからです。 現代日本は精神性がほとんど失われており、 思想や哲学がない幼稚園・動物園のような国です。 東京電力の原発を見ればわかりますが、 現代の日本人は何かがおきてはじめて気づくのです。 日本人が愛国心(郷土愛)を持つ事に気づくのは 国家破産して中国に占領されてからだと思います。 これだけ愛国心(郷土愛)を否定し続ける国も珍しいです。 正直、日本は終わっていると思いますし、 国家破産して気づくのだとあきらめています。 それでも、日本が手遅れになる前に言いたい。 なぜ日本や郷土の文化を評価せず、 何でもかんでも海外文化(西洋)ばかり評価するのですか? 現代の日本人を見ていると「???」ばかりですし、 自分で自分の首を絞め続けていると思う事が多い。 日本人はなぜ愛国心(郷土愛)を否定するのでしょうか? (今後質問をしないつもりでしたが、 東北大震災以降の日本が心配でしかたないので、 もう一度質問させていただいたのですm(__)m。) 合掌

  • 道徳心と愛国心の教育は自衛隊で

    戦後GHQにより、道徳心や歴史・地理の教えを禁止されました。 理由は、軍国主義の復活につながる恐れがあるため。 現在も、道徳心・歴史・地理を除く学校の教育になっており、 道徳心や愛国心は家庭で親が教えるようになっています。 しかし、 今の親は、道徳心や愛国心を教える能力が低下し、働く事 に時間をさかれ子供と接触すらできません。 よって、 国としては、家庭では道徳心や愛国心の教育は無理なので、 学校で教えるよう考えているようです。今でも忙しいのに教師 に負担がかかります。ならばどうすればよいのか、 義務教育を終えて18歳から、高校から、大学から全国の 男女が、自衛隊に6ヶ月間だけ入隊し、道徳心や愛国心・ 歴史・地理を含め、団体生活を教えてはどうですか。 終了後、就職活動をすれば良いと思います。 自衛隊に就職すれば衣・食・住無料で、給料もでます。 公務員や教職員の不祥事を聞く度に、殺人が起きる度に、 短気になりやすい若者が多くなつているような気がします。 又、中国・韓国・ロシアの領土問題に関しても無関心な国民 がほとんどのような気がします。道徳心や愛国心・歴史・地理 は大切だと思います。 自衛隊員の人材確保を兼ね、若者の精神教育をする。 良いと思いませんか。50年後の話ですけど私はこの世に居 ません。優しい御意見をお願いいたします。

  • 女性の愛国心について

    現在、日本と韓国の間で領土問題を始めとする主張争いが起こっています。 ニュースでも連日のように韓国側の国際的信頼を全く無視した言動が報道されています。 韓国人選手が平和の祭典であるオリンピックで竹島の領有権を主張するプラカードを掲げたり、韓国大統領が日本国の象徴である天皇に謝罪を求めたりと、私は最初にこれらのニュースを見たとき目を疑いました。韓国側のこのような常軌を逸した言動をにわかには信じられませんでした。 最近では韓国ドラマやKPOPなど日本にも韓国文化が浸透しており、韓国に良い感情を抱いている日本人も大勢いると思います。 私は本来であれば文化と国際関係は切り離して考えるべきだと思っています。 例をあげるなら韓国が国際的にどんなに醜く汚い国だとしても韓国産のドラマが面白ければ、それはそれとして認める、ということです。 なぜなら、その文化を認めないという意識は今回のロンドンオリンピックで韓国側のサッカー選手が竹島についてのプラカードを掲げた愚行と同じような気がするからです。 しかし一方で、韓国側にこれほどコケにされておきながら「韓国」と聞いただけで拒絶反応が起こらない日本人も何かが変だと思うのです。 最近は特に女性に疑問を抱きます。韓国ドラマや韓国アイドルのファンは大半が女性だと思います。 この現状を見ていると女性は正直で民族は関係なく遺伝子的に優れている男性を好む傾向にあることが分かります。しかし、そこには愛国心さえつけいる隙がないのでしょうか。愛国心はしょせん本能には勝てないロジックでしょうか。 親韓の方は韓国の実態を知らないだけなのか、知っていながら本能に逆らえないのかどちらでしょうか。 まとまりのない文章になりましたが、少しでも思うところのある方は意見を聞かせてください。

  • 愛国心が強すぎる人の性格をどう考えるか?

    昔読んだ「易しい哲学」とか言ったタイトルの書で、考えの違いは性格の違いによる、という確かアメリカの哲学者の説が解説されていました。この哲学者の名を思い出せないし、今調べてみても出て来ないのですが、これだけで推測できるでしょうか?分かる方教えて頂けませんか? で、私の体験では正に「考えの違いは性格の違いによる」と感じています。 私は政治的にはリベラルに属すると思いますが、右翼系の人たちの考えが理解に苦しみます。それで昨日、集中的に数時間右翼系の識者政治家たちの主張をYouTubeで聞いてみました。何が彼らをそう考えさせるのだろうと探りました。 気が付いたのは彼らには「国」という概念が非常に強いということです。それに反し、「個」の概念が殆んどないということです。従って「人権」という概念も余りないように見えました。 リベラル派に愛国心がないとは言いませんが、右翼系の人には強烈にあるのを感じます。中国、韓国、米国とヤタラ、国を意識した発言が多いように感じました。 人間誰しも、生まれ育った国に愛情を感じるのは自然だと思うのですが、その意識が強烈な人というのはその意識の下に何があるのでしょう?性格の違いから来るとしたら、どういう性格なんでしょう?詳しく解説してくれる心理学者・哲学者がいないのでここで質問させて頂きました。 宜しくお願いします。