江戸時代。村の「五人組」の成員。

水呑百姓は、五人組の成員になれたのですか。 「五人組は本百姓だけで構成される」のが一般的であるが、時代や地域(幕領・私領...

Kittynote さんからの 回答

  • 2016-03-26 02:26:04
  • 回答No.2
Kittynote

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>『国史大辞典』(吉川弘文館)では「本百姓または高持百姓」とあります。

なるほど、新版ではそうなっていますか。
旧版では「地方にありては、大小百姓以下水呑百姓寺社門前の者に至るまで、
一人も洩れなく其組合に加入したるものにして」となっていたりもします。

・『大增訂 國史大辭典.第二囘(か-こ)/八代國治等編/吉川弘文館/
昭和3.11(普及版初版)』
○「ゴニングミ 五人組」<293-294/321>(1095頁2段目-1097頁2段目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1172014/294
<294/321>(1096頁3段目25-29行目)
…(前略)…右は江戸の例なれども、他の大なる都市に於ても、恐らくは之と大
差なかりしならん、而して地方にありては、大小百姓以下水呑百姓寺社門前の
者に至るまで、一人も洩れなく其組合に加入したるものにして、江戸のそれと
は大に趣を異にし、…(後略)…

さて、前投稿に引き続き、地借・店借あるいは水呑など本百姓以外を含む可能
性が高いと思われるものをピックアップ(但し、各種用語が登場しますので、
私ド素人の誤読、誤解もありえますが)してお茶を濁したいと思いますが、
その前に古い書籍とは言え、やはり穂積陳重氏を読まずには先に進めません。
と、言いますのもアチコチあたっても、結局、穂積陳重氏に辿り着くことが
重なりましたので、…既にチェック済みかもしれませんが…

・『五人組制度論/穂積陳重著/有斐閣/大正10』
〇「第一節 組織」<54-61/354>(59-73頁)…(中略)…
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952561/60
<60/354>(70頁9行目-71頁6行目)
…百姓町人の五人組は隣次團結を以て通則と爲したるものなること上述の如し
と雖も、稀には例外を觀ることなしとせず。
寶曆五(※1755)年三河國寶飯郡長澤村「五人組前書帳」に、
一、五人組合の義、親類緣者又中能者斗組合不(L)申、大小百姓僉議致し、高
持の方組合、水呑百姓店借等は最寄を以て組合云々。とあるが如き是なり。
其他三河國渥美郡、相模國足柄郡、備後國深津等に於ける五人組は家筋に依り
て隣次に拘らず。相模國に於ては組親も家に依りて定まり、戸主は其職を世襲
せり。蓋し組合員は後に述ぶるが如く、其關係最も親密なるべきものなるを以
て、大百姓と水呑百姓と同一の組合に屬するが如きは、獨り互に之を好まざる
のみならず、實際上種々の不便を觀ることありたるを以て、地方に依り、往々
身分、身代、家格等を斟酌して組合を定めたるものも有りたるが如し。
…(中略)…徳川時代に至りては、各町各村の人民は遺漏なく五人組に編入すべ
きものと爲したるが如し。…(中略)…
…(71頁13-14行目)元祿十一年武藏國多摩郡大藏村「五人組御法度書」に、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952561/61
<61/354>(72頁1行目)
一、御領内之御百姓、並下人以下、男女分、當歳子迄五人組に仕、
毎年改可(L)申候、…(後略)…

実は下記なども上記で取り上げられていますが、目先を変えて別書籍にて。

・『日本財政経濟史料.卷二(財政之部二 經濟之部一/大藏省編/
財政経濟學會/大正11.7』
◎「經濟之部一 第五、農政 一、總規 元祿七年」
<503-507/729>(940-949頁)
◇元祿七(※1694)年甲戊(※戌)正月
御料御代官所名主五人組御定書 差上申一札之事
一 兼日被(=)仰出(-)候通、…(中略)…
…幷脇百姓家抱前地店之者共五人組を極め、判形取置可(L)申候、若五人組に
はづれ申者御座候はゞ、名主組頭曲事可(L)仰付(-)事
…(中略)…元祿七年戌正月 伊奈半十郎様

・『近世地方経済史料.第3巻/小野武夫編/近世地方経済史料刊行会/昭和7.3』
〇「五人組異同辨」<106-139/295>(197-262頁)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1171185/109
<109/295>(203頁下段)
寶曆五(※1755)年三河國寶飯郡長澤村上五人組前書帳
一、五人組合の儀親類緣者又は中能者斗組合不(L)申、大小百姓僉議致し高持
の方組合、水呑百姓店借等は最寄以て組合、惣て當村に住居の者に一人にても
五人組洩候ものに無(=)御座(-)候、且又借地店借等の儀前々より慥成請人相立
させ證文之を取り、猶又年々證文相改め差置、五人組に組合申候事。

あとは、穂積陳重氏を引き継いだ穂積重遠氏の書籍から。

・『五人組法規集.続編上/穂積重遠編/有斐閣/昭和19』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1267742/53
<53-55/488>(46-50頁)
○萬治二(※1659)年信濃國佐久郡海瀨村(※館林藩領)五人組帳(第十一)
差上申五人組帳之事
一 今度被仰付候五人組村中家持面々之儀は不及申に子とも下人幷門屋之者迄
壹人も不殘連判仕差上申候事…(中略)…
…<54/488>(49頁3行目)右之通五人組被仰付候上は村中に壹人なりとも組はつ
れ之者無御座候…(後略)…

と、ここにきて中断、冷静に考えれば、遅いと失笑をかいそうですが^^
『五人組法規集/穂積陳重編』と『五人組法規集.続編上/穂積重遠編』に
『五人組法規集.続編下/穂積重遠編/有斐閣/昭和19』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1267763/3
とを併せても477部の資料とか、これはこれで偉業に相違有りませんが、
闇雲に水呑・地借・店借を含む事例を漁っても、
国立歴史民俗博物館(れきはく)の「旧高旧領取調帳データベース」での
村数85352件の前には太刀打できません(><)

江戸・京・大坂等と幕領については、ある程度の目処が立つかもしれませんが、私領については約300藩としても一部の断片情報を得るのが関の山かもしれません。

>私は、「水呑を含む村もある」とするのが正しいと思いますが

はい、仰るとおりだと思います。
水呑・地借・店借を含む事例ばかりを漁っていますと、少なくとも地方では
水呑・地借・店借を含むのが基本のような錯覚?に陥ります。
論文等では本百姓限定事例も一部見出せますが、
現実には本百姓限定事例を探す方が難しいように思います。

以上 新たなアプローチ方法を見出せないまま 再びお茶を濁してみました^^
お礼コメント
kouki-koureisya

お礼率 94% (1295/1369)

いつも綿密に調べて下さって真にありがとうございます。

「現実には本百姓限定事例を探す方が難しい」ということで、これが結論になりますね。
五人組には水呑を含むものとして今後、教科書等を読むことにします。

全体の文脈からある程度の想像はつきますが、分からない用語が度々出てきます。
片言隻句に拘ってこれらを調べていくと村の生活を思い浮かべることができて、楽しいです。


>元祿七(※1694)年甲戊(※戌)正月  
>御料御代官所名主五人組御定書 差上申一札之事
>…幷脇百姓家抱前地店之者共五人組を極め、(以下略)

“家抱前地店之者”が分からないので、「抱」に注目して調べてみました。

○学習院大学経済論集 第5巻第1号(通巻9号) 1968年6月 
「近世村落の構造」 大石 慎三郎
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/eco/gakkai/pdf_files/keizai_ronsyuu/ 

近世初頭に成立した信州北佐久郡五郎兵衛新田村および隣接の八幡町村を取り上げた事例ですが、抱百姓は五人組の成員ではないようです。
23/36 (137)
この表を見ると本(長)百姓と抱とは五人組を作る場合に全く扱いが別であって、抱は五人組の構成員になっていない。五人組構成員は本(長)百姓にかぎっており、抱は正式の村落構成員とは考えられていない。
13/36
抱百姓とは五郎兵衛新田村に居住しているが、百姓名(本百姓または長百姓とも云っている)を持たないが少なくとも耕作をはじめ再生産活動の上で独立の百姓(以下略)
11/36 第4表
彼等はかなり多くの石高を所有し(以下略)


ここまで書いて来たのですが、(お礼欄にこんなことを書いて申し訳ないですが)折角調べたので、本百姓のみで五人組を構成する事例数件を残しておきます。
その地域だけの特殊な例かもしれませんが、地方史の面白いところだと思います。

○愛媛県生涯学習センター「愛媛の記憶」―「市町村誌(史)」中山町誌
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=3&P_SNO=39&P_FLG1=5&P_FLG2=3&P_FLG3=2&P_FLG4=2 
 (三) 本百姓と水呑
 農民の構成は、郡役人(大庄屋)に任命されるものを除けば、一般的に庄屋・組頭・本百姓・水呑(小百姓)に分けることができよう。本百姓は土地を持ち、五人組の構成員であり、水呑百姓は土地を持っておらず五人組の構成員とはなれないものであるとされている。本百姓は検地帳に登録され、年貢・諸役を負担するものである。


○滋賀県のある小学校のHPですが、甲賀郡石部町.(現湖南市)の「新修石部町史」を郷土学習の参考資料として転載しています。
http://www.edu-konan.jp/ishibeminami-el/kyoudorekishi/402010200.html 
村役人とともに村請制を支える自治組織として、五人組制度がある。これは原則的に本百姓を持って、地縁的つながりで構成され、村民自らの連帯責任を認識させるものであった。(中略)
宗門改めは、宗教を農民統制や掌握の方法として巧みに利用し、従来の五人組制度では把握できなかった下男・下女・水呑百姓といわれる下層民の把握も可能にした。

○慶應義塾大学文学部古文書室 展示会 資料7 五人組合帳(嘉永5年) 上総国望陀郡飯富村
http://kmj.flet.keio.ac.jp/exhibition/2013/07.html
無断転載禁止です。

○「身延町史」
http://www.town.minobu.lg.jp/chosei/choushi/minobu/T03_C04_S03_1.htm
第三節 名主と五人組制
構成人員は町では家持(地主)、村では本百姓によって、近くの5戸ずつで1組をつくり(以下略)

他にもありますが、それでも「水呑を含む」村の方が多いと思います。


穂積陳重氏については全く知りませんでした。
「老生は銅像にて仰がるるより萬人の渡らるる橋になりたし」
明治にはこんな人がいたのですね。

お蔭様で気持ちよく疑問を解消できました。
感謝申し上げます。
ここまで書いてきて、#3、#4に気づきました。
投稿日時 - 2016-03-28 19:48:18
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