江戸時代後期から幕末。日中の生糸の品質。

江戸時代後期における西陣、桐生、足利などの機業地の高級絹織物の生糸は、国産ですか。 国産であれば、開国当時(安政5年ごろ...

Why-J-people さんからの 回答

質問者が選んだベストアンサー

  • 2016-03-16 13:03:48
  • 回答No.4
Why-J-people

ベストアンサー率 85% (12/14)

>「表1 リヨン蚕糸検査所で検査を受けた蚕糸の内訳(単位:俵)」を見ても、
>この表から日中の生糸の品質の差を導き出せるのか、
>知識がないのでよく分かりません。

独り善がりですみません。何も難しくとらえていただく必要はありません。
この箇所は、一定範囲・期間内に限られるとは言え、当時(1862-63)フランス
(リヨン)側=同じ土俵において、日・中の生糸素材がどのように取り扱われ、
そしてそこでは日・中が比肩すなわち同等か否かの目安として取り上げました。
オルガンジンとトラムのどちらが品質が上かは考慮するまでもなく、
日・中ともにトラムが圧倒的に多くオルガンジンは僅かなので、大枠としては
同等に扱われていることから「中国と比肩(=同等)と言えなくもありません」
と書きました。

やや表現が弱いのは、一定範囲・期間内に限られることと、

『日本蚕糸業史分析/石井寛治/東京大学出版会/1972』
◇主要生糸供給国の動向 (単位:千kg)
 年 次 /フランス/イタリア/ 中国 / 日本 /
/(生産量)/(生産量)/(輸出量)/(輸出量)/
1850   / 3,180 / 5,000 / 1,241 /    /
1857   / 1,106 / 5,000 / 3,599 /    /
1863   /  650 / 3,508 / 2,736 /  777 /
1870   / 1,019 / 3,101 / 2,331 /  410 /

斯くの如く当時(1862-63)の輸出量では、中国が優勢なので弱気発言。

フランス(リヨン)で同等扱いでも(仮に日本がそれ以上だとしても)、
各々の沿革・経緯、政策などもあったにせよ、御存知のとおり、幕末当時も
その後も輸出量は依然として中国が優勢、輸出量での日・中の逆転は日清戦争
よりあとの「1906-1910年」頃まで待たなければなりません。

>そこで、リヨンの検査をキーワードに論文を探してみますと、
>ある論文で次のような一節を見つけました。

◇前近代日中における蚕糸絹織物業の社会経済的分析/烏蘭其其格
https://u-hyogo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=141&item_no=1&page_id=13&block_id=46

これのことですね。前回書き込んだ後、西陣・対馬藩等の情報を求める中で
遭遇しましたが、179コマもありますので序章と第四章を軽く読み流し、
あとの章は何回かに分けて摘み食い程度です。
オンラインユーザー1人の時もありましたが、
やがて2人、3人から6人などと増加傾向、
現在、発信直前にも2人がオンライン
昨夜からは明らかに質問者様の書き込みの影響に違い有りません(笑)

なお、西陣・対馬藩間の白糸輸入情報は得られませんでしたが、
私のここでの収穫は下記でした。

[129-130/179](124-125)
1865年以降、もはやヨーロッパや近東における蚕種の獲得が不可能になった製
種家=商人は、政府の援助を受けて、さらに東方へ向かい、中国と日本にそれ
を求めた。
まず中国からの蚕種の導入が試みられたが、それは傷みやすい上に病気への抵
抗力も弱く、失敗に終わった[269]。
日本からは、1864年にドローム県の養蚕家のベルランディエが数カートン(蚕
卵紙)の蚕種を持ち帰ったが、孵化した蚕卵の健全性は完璧なものであった。
翌65年には「パリ順化協会」が、率先して日本産蚕種の試験を行い、その結果
は極めて良好であった。日本産蚕種の健全性が証明されたのに伴い、
1866-68年には、フランスおよびイタリアの商人達がヨーロッパへの輸入に専
念し、その輸入量は表32に見られるように膨大な量に上った。
この日本産蚕種によって、前掲表31に見られるように、産繭高は1865年の最低
量550万kgから翌66年には一気に1,640万kgあまりへと回復したのである。

>次の論文「蚕品種に基づいて蚕糸業の間に成立したすみ分けについて」は、
>ある程度は分かりましたが、1890年代以降の話が主なので、私が知りたい
>幕末の時代のことは少ししか出てきません。

「◇蚕品種に基づいて蚕糸業の間に成立したすみ分けについて
─1850年代から1920年代まで─/大野彰」の各項目などから、
単純に中国産の方が扱い易い印象を受けたため、
「未だ中国に軍配と言わざるえないように思います。」と書き込みましたが、
こちらも独り善がりですみません。

今回「◇前近代日中における蚕糸絹織物業の社会経済的分析/烏蘭其其格」を
手土産に包みかけていたところ、質問者様から先に御土産をいただいたことで、
小生、後手に回りましたのでお礼コメントに対する応答にとどめました(笑)
お礼コメント
kouki-koureisya

お礼率 94% (1378/1454)

丁寧に再度調べて下さって真にありがとうございます。

当然の話ですが、輸出は買い手がなければ成立しませんから、安政6年(1859)の貿易開始直後から日本の輸出の主力品が「生糸・蚕卵紙」であったということは、価格・品質面で中国産と太刀打ちできた結果だと断定できます。
ただし数量では「幕末当時もその後も輸出量は依然として中国が優勢」であったのは、品質格差によるものよりも、絶対的な生産能力の差だと思います。

「前近代日中における蚕糸絹織物業の社会経済的分析」は、個人の論文ですから勝手に拾い読みするのは憚りますが、生糸の知識のない私でもよく理解できました。

お蔭様で疑問は解消しました。
助かりました。感謝申し上げます。
投稿日時 - 2016-03-16 19:50:49
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