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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「勝って兜の緒を締めよ」の初出?)
「勝って兜の緒を締めよ」の初出は?
このQ&Aのポイント
- 源平の戦いを記した軍記物や日記に「勝って兜の緒を締めよ」という諺が書かれている可能性があります。
- 例えば、「平家物語」や「義経記」、「源平盛衰記」などの文献を調査したが、見つかりませんでした。
- 一方、小学館の『日本国語大辞典』には、「三河物語」と「蔭涼軒日録」を例に挙げて、「勝って兜の緒を締めよ」という諺の使用例があることが記載されています。
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質問者が選んだベストアンサー
再度失礼します。 質問にある「蔭涼軒日録」より後でしたね。 ただ「諺云」というのは日本の諺を示すものではないと思います。 あくまでも「蔭涼軒日録」のは甲であって日本の兜ではありません。 となると完全日本語の「勝って兜の緒を締めよ」は小牧御陣記が最初なのかも知れません。
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- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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回答No.1
源平ものではなさそうです。 中国の故事から来ています。 日本では小牧・長久手の戦いの小牧御陣記が最初のようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 これは大変。 甲と兜の違いにまで考えを巡らせていませんでした。 甲と兜の違いは知りませんが、「J―TEXTS 日本文学電子図書館」の『平家物語』では“甲”です。 『義経記』では、“兜”も“甲冑”もあります。 また『太平記』では、“甲”も“甲冑”もあります。 小学館『日本国語大辞典』では、『三河物語』の「勝て鋹(カブト)之をしめよと云事有」を例文として挙げています。 『三河物語』は、1626年ごろの成立です。 『小牧御陣記』についてはネットで調べただけですが、よく分かりません。 「小牧・長久手の戦い」であれば天正12年(1584)ですから、天文10年(1541)「北条氏綱公御書置」より後年になります。 1628年ごろ成立したとされる『醒酔笑』(巻二 貴人之行跡、話)では、 太田道潅常にいへるやう、「勝て兜の緒をしめて候よ」 (近代デジタルライブラリーによる)とあります。