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処女より価値のあることとは
- 将来の一生の伴侶に心の純潔を捧げること
- 処女か童貞かではなく、最高の純潔を捧げることが重要
- 心の純潔の低い女性は関係を軽く考える
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質問者が選んだベストアンサー
貞操観念がどうこうと言うよりも、恋や愛において精神的な充足を第一と考える点はもっともなことだと思いますし、そのことに大きな価値があるでしょう。 ただまあ、「その女性はいずれ僕のところへ帰って来る」と(いう思いが)人生の支えになる… という部分については、共感できもしますが、しかしそれは、相手への気持ちと言うよりも所有欲から来る自分中心の一方通行な思いであるとも思います。 精神的な充足は、一方通行な思いではなく、相互に思いが行き来できることで生まれるのではないでしょうか。 諸説あり、現在は別人という解釈もなされていますが、キリスト教のマグダラのマリアは、アメリカや南米、またヨーロッパなどでも、本来のマリアよりも多くの女性の共感や信仰を呼んでいると言われています。 キリストの母にあたる聖母マリアは処女であるにもかかわらず、神の子としてのキリストを生み、それは特に男性視点からの純潔への憧れ、母性的存在への崇拝となっています。 しかし、マグダラのマリアは、解釈によってはキリストの妻とされ、また娘をもうけているともありますが、その出自は金持ちで美貌を兼ね備えた淫らな娘であったとも言われています。 ですが、マグダラのマリアはキリストに出会い、それを「罪」として懺悔することで、後に信仰の対象となる聖女へと昇格していきます。 ちなみにマグダラのマリアは、キリストの復活を見届ける「証人」という側面も持っています。 さて、日本はキリスト教国ではないですし、私もクリスチャンではありませんが、世の中の多くの男性が、聖母マリア的な純潔を女性の崇高さとして考えていることに対し、多くの女性は、マグダラのマリアのような、快楽や性愛という「罪」におぼれたとしても、いつかそこから救い出してくれるキリストのような運命の男性が現れる、という気持ちでいるのかもしれません。逆に言えば、罪を犯す(=処女を失う)ことは、運命の男性と出会うために行っている、という考えにも行き着くのかもしれませんね。 男性から見れば、女性の純潔と同時に、ひとりの女性をひたむきに思うことは、価値のあることなのは分かります。 しかし、それは女性も同じとは限らず、女性の場合は、多くの男性と関係を持つことも、運命の男性に出会うために、という考えのもとであれば、それもまたひたむきで純真な在り方なのかもしれません。 男性にとっては、身も思いも「純潔」であることが理想であり、価値のあることなのでしょう。 ただ女性は、身は「純潔」ではなくとも、思いが「純真」である、というところに価値を置いているのだと思います。
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- 3m2s6tlple
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何ともロマンチックな理想だこと。 純潔さを求める男って実は自分が一番繊細で純潔で、それを女にも求めててそのくせ疑っていることになかなか気づかないものよね。 もっと考えるとそれって結局は自己保身・自己愛・自分可愛さからくるのよ。 自分の相手こそ、類のない絶対的な至高のものであってほしい 自分こそ選ばれた人と不安の無い幸せを得たい という理想を掲げているだけ。 処女がどうの童貞がどうのってのも関係ないじゃない。 処女ってのは価値で判断するものじゃなくてあくまで精神性の問題。 処女ならだれでも価値があるのでしょうか?おばさんでも? そもそも誰にとって価値があると言うの? 男でしょ? 自分だけのものであってほしい、他の人に心を移したことの無い人にいつまでも自分を第一の男として認めてほしいってことでしょ? 女にとっては「価値」などといわれたらそれこそ女をなんだと思っている! と怒り狂う言葉です。 あと女性だって考えている子は考えているでしょう。 他人にはわからないその子なりの純潔や誠意があるかもしれません。 たとえ口では「そんなことあったっけ」と言っていてもね。 そこをわかってあげられるかどうかは経験がものを言うのではなくて? たぶん純潔を重要視する人は自分を汚されたくないのよね。 負の事象を受け入れられないからでしょ。 自分を傷つける裏切る否定する女性など怖くて付き合えないわよね。 でも一度離れた女性を再び受け入れることが出来るなら 自分の小ささや純粋でいられないことも受け入れたほうがより美しい花が咲くと思いますよ もちろんそれにはかなりの年数と苦しみが伴うとは思いますけどね。 経験と言う肥料も得ないまま咲いた花よりも多くの経験をした上で咲かせた花のほうが本人にとってはよほど価値ある、やりがいのある、満足できるものだと思います。
お礼
皆さんの知らない前段があります。それは僕は処女至高主義者でずっと苦しんできたのですが、今やっと苦しみから解放され探して求めていたものに出会えたのです。 結局僕は、処女であれ非処女であれ愛についてピュアな考え方をする人を重んじているということに気がついたのです。 僕と同じ考えを持つ人はこの地球上に必ずいると。 おなじ価値観の人に必ず出会えると。 いくら若くて綺麗でモテモテでも、ピュアじゃない女性には「価値」は見出せない。 僕が一生を捧げるその子が結果的に処女じゃなくても、それはその子が生きて来た証であるから僕は彼女の過去も含めて愛おしい。 2人に必要なのは、その子なりの純潔や誠意じゃなくて2人にとっての純潔や誠意なのです。 「そんなことあったっけ」と言う必要はありません。自分が生きて来た証を否定する必要はないのですから。 自分を汚されたくないのではなくて彼女には自分を汚す何ものもないのです。 負の事象ではなく、それ自体が愛おしいものなのです。 恋をするとアバタもエクボ。受け入れるも何も、それが彼女の生きて来た証なのです。
- kurokuro_siro
- ベストアンサー率12% (337/2674)
昔、身分の高い家の子どもたちが家を守るために純潔を強いられた。 それ以外の庶民は建前ではそこまで純潔ではなかった。 ということも考えられますがどうでしょうか。
お礼
そうだったのかもしれませんね。
- yoichi001
- ベストアンサー率32% (328/1007)
>今の男女にはそれがない 今仕事の関係で、昭和初期から現在に至るまでの、とある団体の会報誌を再編集した記念号を作ってます。 結構ザックバランな会報誌で、当時の宴会や慰安旅行、レクリエーション等の話題や海外旅行での武勇伝など、色々ですが、今よりの『娯楽』が少なかったという事もあるでしょうが、 男女の関係に関しては、間違いなく昔の方が「お盛ん」だったみたいですよ。 出張の話では、夜の街へお姉ちゃんを求めて彷徨い。 慰安旅行では男女入り乱れての、ちょっと触れ合う宴会ゲームがあり。 アイツとアイツが気付くと居なかった話。 海外旅行では、どの国の女性をどれだけ買ったかの武勇伝。 現在の方が低年齢化してるのは間違いないでしょうけど、18~25歳くらいだと、性が乱れているのは多分昔の方ではないかと。 宴会のゲームで、男女交互に並び、顎の下にみかんを挟んで手を使わずに次の人に渡していくという、ただただ抱き合いたいだけの、今ならセクハラで大問題になりそうなゲームを行った事が楽しい思い出のように書かれてあったり、浴衣がはだけて〇〇さんの太ももが見えてドキドキしたが、それが罠だったという話も実名で書かれています。 慰安旅行の宴会でそんなゲームして、一組二組と消えていき、その人達がどうなったかまでは書いてないけど、2人で星を見たなんてオチはないでしょうから、高度経済成長期の段階の世代の方々の若い時の方が凄かったと思う。昔の方が性に純粋だったなんて事は無いでしょ。 因みに今回発行する記念号には、その辺の話しは全カットの方向です。
お礼
そうですか。オス蛇がいればメス蛇がいるということですね。
- Pochi67
- ベストアンサー率34% (582/1706)
うーん・・・今の風潮としては、男性も女性も同じじゃないですか? どうして女性にばかり、貞淑さを強く求めるのでしょうか? 相手がその気になってくれないと成立しない女性よりも、その手の産業が発達していたり、自分がその気になればレイプという手段も取れる男性の方に、女性の処女性を語られても・・・という感じです。 もちろん、ファッション感覚の人もいるでしょう。 でもそれは本人だけの責任でしょうか? 一部の人間が主張して、そしてそれをマスメディアが面白おかしくそれを多数派のように喧伝した結果、流されてしまった人が大部分のような気がします。 未成年や精神年齢の低い人が無知を自覚する前に、「周りが言っているから」と焦ることは、果たして本人の責任と言えるでしょうか? そもそも日本において、処女性を重視しはじめたのは近代に入ってからです。 昭和時代でも、夜這いという風習もあったし、結婚式の当日に初めて相手の顔を見るというものもよくありました。 そんなよく知らない相手に大事な処女を捧げ、一生ついていくと、心から思えたでしょうか? 当時恋愛結婚もあったでしょうが、ほとんどが本人、特に女性の気持ちを無視した結婚です。 結婚の前に本当に好きな人と・・・とか、男性や男性の親がうるさいので仕方なく処女のままで結婚したとか、当然あったでしょうね。 処女で結婚することが、男性を一途に愛している証明にはならないですよね。 現代の話に戻して、今まで性に奔放だったにも係わらず、近代憲法が出来てから急に厳しくなり、それが若干崩れていることで「けしからん」というのはどうなんでしょう? 歴史上、不貞行為は御法度という時代はそれなりに長いですが、処女性を重視した時代はそう歴史はありません。 つまり、処女性の重視は一時期の流行だったという見方も出来るのではないかと思います。 それを支持する個人の意見を否定することはないですが、私個人の意見としてはそこまで頑なに性に奔放な女性を否定することはないのではないかと。 最初の一歩のハードルを周りの声によって躊躇なく超えてしまい、人間も動物だから欲望に忠実になることもあるでしょう。 今の若者はあなたの言う純愛礼賛の例を目にする機会があまりないから、それを支持するべきか否かを判断出来ないのです。 結果、「その考えは古い」となってしまい、共感を得にくい時代になってしまったのでしょう。 > その女性はいずれ僕のところへ帰って来ると人生の支えになる。 > 実らぬ恋であったとしても秘すれば花となる。 ↑この部分がよくわからなかったんですが、「妻が浮気をしている。でも純潔を捧げてくれたから、きっと私の元に戻ってくるはずだ」というのと、「周りから祝福されないから関係は隠しているが、処女はもらった」という意味でしょうか?
お礼
一生付き付き合いたい大好きな女の子と出会った時に「お帰りなさい」と思える。初めて出会う女の子でも僕に出会うために生きてきた。だから「僕のところに戻って来てくれたんだね」という表現をした。 処女であることを欲するのではなく出会うべき人に出会えることが僕にとっての処女なんです。
膜の1枚破れた 1度股の間に棒をつっこんだ それだけで純潔か不潔かを語れる人っておめでたい 人の歴史なんか、他の人が分かるほど軽くなんかないというのに
お礼
破れた膜まで愛おしい。何故ならその人の生きてきた証だから。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11128/34636)
結婚するまで処女だったからといって、結婚後も死ぬまで旦那さん以外とは絶対にセックスしないって保証と確証をどこから得ているんだろうと思いますね。
お礼
それは物事全てに言える事ですね。
貞淑・純情(心の純潔が低いってなんぞ?)だから処女童貞であるってわけでもない人も 現代社会にはたくさんいますけどね。 モテないとか出会いがないとかそういう理由の。 あと、心まで捧げる価値のある人がどれだけいるかという問題の方が先ですし。 そういう相手に出会えれば乱れた生活送ってた人も会心する可能性もありますよ。 処女で旦那にそれを捧げたからといって、旦那がドクズに変貌したら捨てるしかないですし。 そんな彼女が良き伴侶と巡り会えれば純潔的意識の高い非処女の完成です。 処女童貞って清らかなんだい!若いうちからやりまくってる奴ら地獄に落ちろウワアアアン! 羨ましくなんてないんだからー! って要約で合ってるでしょうか?
お礼
処女だから童貞だから清らか? 非処女だから童貞じゃないから汚い? 遊びまくっている奴らは地獄に堕ちろ? 違います。 生涯唯一無二の相手と結ばれたい。 生涯唯一無二の相手と出会えた。 これが処女以上に価値のあることなのです。 その子が処女じゃなかったら?その子が僕に出会うために生きてきた証だからそれも愛おしいのです。
- atsu007e
- ベストアンサー率9% (1/11)
意味・主張がわかりづらい文章だと感じました。
お礼
分かり安く言うと、 唯一無二の出逢うべき人に出会えることが処女以上に価値のあることなのです。結果的にその子が処女じゃなくても、それはその子の生きてきた証だから破れた膜まで愛おしいということなのです。
- yumi0215
- ベストアンサー率30% (1335/4411)
貞操概念が低い人が増えたのは確かですね。 しかも低年齢化しているのが怖い。自分の体のことを大切にしようという気持ちがないんだなと大人は思うところですが。 ただ、処女と童貞であることがそこまで大切なことだとは思っていません。 本気の恋愛でこの人と生涯を共にしようと思っていても、必ずしもその願いがかなうわけでもありませんよね。恋愛の中でお互いを求めるという行為は二人にとってとても大切なスキンシップである場合もあります。そんな二人が別の伴侶を選ぶことになってしまうことだってありますから。 >その女性はいずれ僕のところへ帰って来ると人生の支えになる。 このフレーズはちょっと引きました。別れた相手のこと女性は過去のこととして終わっていることが多いものです。別れるには原因がある。その原因が解決し求めあう二人が再び付き合うというのならまだしも、性格面が原因であればその可能性は低いと思いますよ。 いつまでも思い続けられるのも負担になることがあります。私は怖いという感情しかありませんでした。早く忘れてほしい、その一心でした。 相手の幸せをただただ願い、お互いが幸せでいられるように、相手が誰よりも自分と一緒にいることに喜びと幸せを感じてくれるように出来る交際であることも純愛というのではないでしょうか。プラトニックであることだけが純愛ではないと思いますよ。 高校生くらいまではプラトニックであってほしいですけどね。 大人になると処女や童貞よりもこれまでの生き方、今現在の生き方、未来への展望なども大切になってきます。価値観は人によって違いますが、過去に色々なことがあってもその過去があったから今人一倍努力をして頑張っている人、そして自分や家族、友人を大切に思い一緒にいることでお互いが向上できる人。そちらのほうが大切になってくるのではないかと思っています。 多くの人と体を重ねたことを自慢する人は論外ですけどね。
お礼
ありがとうございます。 僕は比喩的で飛躍し過ぎた表現をする癖があるので誤解を招くのですね。 「その女性はいずれ僕のところへ帰って来ると人生の支えになる。」→ まだ見ぬ将来出逢える女の子が今どこかで生きている。僕以外の人と素敵な恋に落ちているだろう。でも、必ず僕のところに戻って来てくれる。という一見解りづらい表現でした。
お礼
ありがとうございます。 ピュアな純愛を求める相手と巡り逢える。それが処女以上に価値のあることなのです。結果的にその子が処女じゃなくても、それはその子の生きて来た証。破れた膜まで愛おしいです。