法螺吹きの効用は?

このQ&Aのポイント
  • 人は自然本性を持ち、全ての悩みを背負い得る存在として生まれてくる。
  • 他人の悩みも自分の悩みとして引き受け、過去や現在の人々の悩みを内面に反映させる。
  • 悩みは残留放射能のようであり、癒されることもある。
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法螺吹きの効用は?

 1. ひとは 人の自然本性を見よ。  ひとは 《全ての悩みからの解放が成った存在》として しかも同時に 《全ての悩みを背負い得る存在》として 生まれて来るのだ。  2. あなたの悩みは すべて 過去の人びとのや現在における周囲の人びとの悩みを――なぜなら そのような人びとは うそをつくという精神のゆがみによって 悩みをたくわえるようになった そのような他人の悩みを―― 内面に引き受けて 成り立っているものです。  3. 自分もウソをついたなら 自分の悩みをも負っています。  4. 世界中のあらゆる悩みを引き受けて生きた人たちも いたのではないでしょうか。  5. この悩みは 残留放射能のようであり すぐ直ちには 消えません。消えませんが 時として 何ものかによって 包まれ覆われ癒されてくるようにもなります。  6. いわば人びとの悩みを そのような人たちは 《アース(接地)役》となってのように 引き受けたのではないか。すでに癒されていたからでしょう。  7. ひどい言い方をすれば ごみ処理場です。色をつけて言っても ごみ清浄化再活性化工場なので この世の屑だとも言われています。  8. この現状 この動態としての過程 これで すでに 完全な解放は成ります。  9. じつにすでにすべての解放と自由とは成っています。心配は要りません。  10. たしかになお悩み癖が消えないかのごとく思い思いの心配をすることはあります。たとえば シミ・ソバカス・ホクロなどの母斑が残っているのではないかというたぐいです。  11. ですが やがて この悩みにかんしても しかるべきものはしかるべく消えて行くでしょう。  12. 社会の三分の一の人たちが 連帯して ゴミ処理工場を引き受ける情況がやって来たときです。つぎの三分の一がそれに 加わらないけれど 共感し のこりの三分の一が ゴミの――人間の恨みや蔑みといった心のゴミの――排泄専門の・一般におえらい方がたです。三つ目のは アース役に対するに ガミガミ役です。    13. そうなったときには いまの昔をなつかしく感じることでしょう。  ――という法螺を吹きたくなりますね。どうでしょう?

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  • Tefu_Tefu
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回答No.2

お礼ありがとうございます。 >マグダラのマリアであろうと誰であろうと 勝手にふるまってもらっては 困ります。 マグダラノマリアがイエスの霊を観たことで、誰もが共同主観を持てたのですから、イエスの復活は立証されています。 共同体に於いて、霊による共同主観を利用して、誰もが自らの良心で他人のために尽くすことで、自分もイエスと共に幸せになると説くことは効果があります。 霊を観た人がいなければ、人は自らの自然本性には気づくことなく死んでいくのかもしれませんよ。 >もうアース役のこちらは何もせずに・しかもその人はたとえば おそらく踊り出すであろうと思われます。 より幸せに成りたいと云う願望が、自分より不幸な人を求めます。そして、助けたつもりになり自己満足するのです。 >私は自由意志であり続けます。我がままだから。(^-^) 私は人を助けるとは、考えさせることだと思います。生きる糧を得るために。自分のためにも。

bragelonne
質問者

お礼

 てふ_てふさん お早うございます。  ご回答をありがとうございます。  そうですね。  《信じる》というのは 無根拠なんですよ。  《無条件に心に受け容れること》です。  ですから 書かれたもの・つまりは人間の考えたこと これを《信じる》ということはありません。  それは 《考える》べきものです。  物語は したがって《考えること》としての思想内容を述べつつ その背後に・その根底に 信じるべきものを指し示すというかたちになっています。  それにイエスの指し示した神は 普遍神です。オシへにはまったく関係しません。  いやしくも神というならば そういうものでしょう。誰にとっても神であるはずです。  旧約の時代には まだユダヤ人という民族〔だけ〕のための神でした。  これを イエスが外へも開きました。  あるいは 前回触れました旧約のエレミヤ書31:31以降に伝えられたように そのユダヤの神が みづからを外へと開いてあたらしく普遍神の場へおのれを揚げて ふるい自身を棄てました。  神が 自分で自分を揚棄しました。イエスが これを――十字架上に磔のかたちで去って行ったことによって――成就したと受け留められています。  マグダラのマリアも弟子たちもあるいは そもそもイエスの馬小屋における誕生のときには 近くの羊飼いの少年たちがその場に招かれてもいるように しかるべき人たちみんなにおいて イエスの指し示した神のことが 伝えられました。それでじゅうぶんです。  まぼろしは まぼろしのままにしておいたほうが 信憑性があるのでは?  ★ 共同体に於いて、霊による共同主観を利用して、誰もが自らの良心で他人のために尽くすことで、自分もイエスと共に幸せになると説くことは効果があります。  ☆ オキテ(律法)を守ることによってすくわれるというのは ふるい神を戴くオシへです。  義人は 信仰によって生きるのです。(ハバクク書2章)。人間の良心やその考えやあるいは信念によって――生きても自由ですが―― 神の友となるのではないわけです。  それに オシへを説くことは これは シュウキョウです。勝手にやっていればと言ってやります。  《あたらしい契約によれば もう神を知れと言って人びとが教えることも要らなくなる》と何度も触れるエレミヤ書に書いてあります。  シュウキョウは 信仰という蝉の抜け殻です。  もっと言うならば 支配欲に支配された人間の群れたがり症候群の為せるわざです。過去の遺物です。  《他人のために尽くす》なんて言わないで みながそれぞれ自分自身のために 自己経営するようになれば そこに連帯が生まれます。結びつき合う土台が しっかりしているからです。  自分がしあわせになることから始めればよいはずです。  ★ 霊を観た人がいなければ、人は自らの自然本性には気づくことなく死んでいくのかもしれませんよ。  ☆ その自然本性には 神の霊がやどっていますから だいじょうぶです。元気にしてくれ 助けてもくれます。何しろ普遍神のチカラなのですから。  モーセについてかれは 顔と顔を合わせて神を見て話をしたと書いてあります。(出エジプト記)。  それによって分かることは さらになお《霊を見る》余地がわれわれ人間にはあるということです。たとえ見なくても 霊ははたらいてくれています。  ★ 私は人を助けるとは、考えさせることだと思います。生きる糧を得るために。自分のためにも。  ☆ そうでしょうね。つまり そういった人間の次元のおこないをとおして 人は霊に打たれるようになる。のでしょう。  みんな我がままですよね。

その他の回答 (1)

  • Tefu_Tefu
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回答No.1

こんばんは bragelonneさん マグダラノマリアは、磔にされたイエスのまぼろしを3日後に観た、そして、神を信じ隣人を愛したイエスの意志を受け継ぐことを決意した。 彼女は、イエスのまぼろし=霊をイエスを信じる人々と共有すること、すなわち、人は誰でも良心から共同主観として霊を観る、これにより、イエスの復活を実証した。 イエスの使徒もキリスト教の布教活動の課程で、同じような非業な死を遂げたがイエスの霊は誰にでも観えたのです。 そして、世界中の人々がキリスト教を信じるならば、まぼろしは、イエスとなり再降臨する。 アース役のマグダラノマリアは、世界中の人々を思うように動かせる。 人間の良心を震わせる事ができる者は、共同体の要となる。 宗教なのでしょう。 >そうなったときには いまの昔をなつかしく感じることでしょう。 いえいえ、考えるのが人間です。 私は自由意志であり続けます。我がままだから。(^-^)

bragelonne
質問者

お礼

 やっと第一回答が来ました。  てふ_てふさんかぁ。久しぶりですよねぇ。こんばんは。  まづは ご回答をありがとうございます。    遠慮なく切って切って切りまくります。よ。  ★ そして、神を信じ隣人を愛したイエスの意志を受け継ぐことを決意した。  ☆ ダメ。《イエスの意志を受け継いで イエスよりももっと大きなわざをも成すに到る》ことがあり得ますが・あるのですが それもこれも イエスがキリストとして父なる神といっしょに聖霊なる神を 人びとのもとへ送ってくれるからです。これを承けて そのわざ・このわざをわれわれ人間が成して行きます。  つまり 人間が《決意した》からと言って どうなる・こうなるといった問題ではないわけです。  むろん 人間の自由意志によって 互いに助け合いをおこなうことは出来ます。人間の知性が考えた範囲でのおこないです。自由に出来ます。ですが 聖霊なる神を受けてそのチカラに裏打ちされて わざを成すことは 人間が人間のチカラだけで成せるものではない。こう考えますので マグダラのマリアであろうと誰であろうと 勝手にふるまってもらっては 困ります。  ★ すなわち、人は誰でも良心から共同主観として霊を観る、これにより、イエスの復活を実証した。  ☆ 良心や知性からは その人間の能力に応じたチカラと考えしか出て来ません。それ相応の仕事が出来るだけです。  《復活》は 物語には書かれていますが これほどむつかしい問題もありません。  無理です。将来成されるであろう つまりそれをわれわれも受け取るであろうと思っていまは 臨むことになると思います。  この将来性が 共同主観になっているとは思います。  霊は 見る見ないよりも すでにわが身と心とにやどっていて 実際にすでにはたらいてくれている。つまりは 汲めども尽きない泉の水のごとく元気が湧き出て来るという《イエスの友のひとりとしての生活》。  ★ キリスト教  ☆ というのは・つまりオシへは モーセの律法とともに イエスの登場によって 要らなくなりました。エレミヤ書31:31以降を へブル書の8章が引いていますが そこに書かれています。  ★ イエスの霊は誰にでも観えたのです。  ☆ そうだとしても これも 物語であり《まぼろし》であると言って説明したほうが よいでしょう。  《異言》よりは《預言(=解釈)》のほうが 人びとに語っているからです。(⇒パウロ)。  ★ そして、世界中の人々がキリスト教を信じるならば  ☆ まづは 三分の一の人びとでよろしい。現実的な話をしたほうがよいと思う。  ★ まぼろしは、イエスとなり再降臨する。  ☆ わたしは《再臨》の話は からっきしピンと来ていません。つまり 分からないという状態です。  ★ アース役のマグダラノマリアは、世界中の人々を思うように動かせる。  ☆ そうぢゃないんですよ てふ_てふさん。  アース役になると まづガミガミ役やそのガミガミ・デンパをうまくアースできずに自分の中に受け取ってくすぶっている人たちが その心のモヤモヤが消えて行くようにうまく受け留めてやります。  そのあとは したがって心が多少はすがすがしくなったところで それぞれが自由に考え自由に行動するようになる。  そのとき なおもガミガミ役となるクセが直らなかったりまたそのガミガミ・デンパを相変わらず躱(かわ)せずに受けてしまったりするときに もう一度 あのアース役がいたぢゃないかと思い出させるように 余韻をもすでに与えている。  そうしてたとえばガミガミ役であった人が もう《足を洗おうとした》とき そのときには もうアース役のこちらは何もせずに・しかもその人はたとえば おそらく踊り出すであろうと思われます。  つまりガミガミ役を辞めようとしたとき かんたんにやめられない。それまでのクセが身に着いていて それとの葛藤が出て来る。その結果が 踊り出すという事態になるかと考えられます。  すなわち   ★ 人々を思うように動かせる  ☆ というのは 決してあやつったりすることではないわけです。本人たちがみづから その自由意志で振る舞うようになる。あたかも脱ガミガミ踊りを踊り出すように《動かした》かに見える場合もあるかも知れませんが それは違います。すべては 自分自身で踊り出すのだと思います。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  人間の良心を震わせる事ができる者は、共同体の要となる。  宗教なのでしょう。   >そうなったときには いまの昔をなつかしく感じることでしょう。  いえいえ、考えるのが人間です。  私は自由意志であり続けます。我がままだから。(^-^)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この締めくくりの部分は あえて保留しておきましょうか。どうでしょう。

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     1. 人びとは おのおのその自然本性を見よ。    2. 《全ての悩みからの解放が成った存在》として 同時に 《全ての悩みを背負い得る存在》として 生まれて来る。自然本性だ。  3. きみの悩みは すべて過去の人びとや現在における周囲の人びとの悩みを――なぜなら そのような人びとは うそをつくという精神のゆがみによって悩みをたくわえるようになった そのような他人の悩みを―― 内面に引き受けて 成り立っているものだから。  4. 自分もウソをついたなら 自分の悩みをも負っている。  5. 世界中のあらゆる悩みを引き受けて生きた人たちも いたのではないか。  6. この悩みは 残留放射能のようであり すぐ直ちには 消えない。消えているが 余韻がある。何ものかによって 覆われ包まれすでに癒されているが あらたな悩みが次々と生まれて来ている。あたかも鎖のようにつながっている。  7. そこに《アース(接地)役》がいる。すすんでにせよ・いやいやながらにせよ ごみを引き受けた。すでに癒されていたから。  8. ひどい言い方をすれば ごみ処理場だ。色をつけて言っても ごみ清浄化再活性化工場。なので この世の屑だとも言われる。  9. この情況。この現実。この動態であり過程である姿で すでに 完全な解放は成っているのだ。  11. じつにすでにすべての解放と自由は成っている。心配は要らないよと呼びかける心配があるのみ。  12. なお心配があるとすればそれは 心にシミ・ソバカス・ホクロなどの母斑が残っているという状態だ。  13. けれどもそれも 気の所為だ。  14. 社会の三分の一の人たちが 連帯して ゴミ処理工場を引き受ける情況がやって来る。つぎの三分の一がそれに加わらないけれど(つまり浮動層なのだが) 共感し のこりの三分の一が ゴミの――人間の恨みつらみや見下し蔑みといった心のゴミの――排泄専門の人間だ。アース役に対するガミガミ役だ。    15. そのときには いまの昔をなつかしく感じるはずだ。  ――という法螺を吹きたくなるよね?

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  • 日本人はなぜあほとばかとが多いのか?

     ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。  昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:  1. きわめて話し下手である。  2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。  3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。  4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。  5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。  6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。  7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。  いまは  8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。  9. 相手の粗さがしを考えている。  10. 道は相手がゆづるものと思っている。  11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。  12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。  13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・  原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。  14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。  15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。  16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。  17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。  このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。  18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。  19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。  20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。  21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。  22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。  23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。  おまけ:  24. ところが ここまで来ても誰も――愚痴のほかは――何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか?  25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?  26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのだろうか?  27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのか? だとしても ただそれだけではないのか?  とことん自由で建設的なご批判をどうぞお寄せください。

  • 日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?

     ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。  これを あらためて問います。  昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:  1. きわめて話し下手である。  2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。  3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。  4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。  5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。  6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。  7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。  いまは  8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。  9. 相手の粗さがしを考えている。  10. 道は相手がゆづるものと思っている。  11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。  12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。  13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・  原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。  14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。  15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。  16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。  17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。  このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。  18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。  19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。  20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。  21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。  22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。  23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。  おまけ:  24. ところが ここまで来ても誰も――愚痴のほかは――何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか?  25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?  26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのだろうか?  27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのか? だとしても ただそれだけではないのか? この認識の瞬間に 悪夢は消えたのではないか。  とことん自由で建設的なご批判をお寄せください。賛成票をもどうぞ。

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    ペットボトルなどのプラゴミ分別って あれ分けて意味あるのですか? 燃えるゴミでいいんじゃないんでしょうか? ペットボトルの蓋も取る必要あるのでしょうか? あれ工場で分離できるみたいです ならキャップの蓋外して一緒に捨てればいいのでは? recycleの純度がさがるとかなんとか 「回収業者も大変だし、消費者も大変だし、結局高品質なプラスチックにするのが難しいなら最初からやらなければ良い」 そう考える人もおりリサイクルには多数の機械や車両を使いますし、燃料も必要です。資源を有効活用するために、燃料を消費してCO2を出していたのでは本末転倒だと言う意見もあります。 ペットボトルのリサイクル以外にも、エコキャップ運動などが「消費燃料や排出二酸化炭素の方が節約できる分より多い」としてエコではないとされることもあり、そう考えると、果たして「プラスチックのリサイクルは本当に必要なのか」疑問に思えてきます 金属や缶瓶は分けなきゃいけないのはわかりますけど ちなみに 調味料の容器やシャンプーとかなどの容器はゴミ処理場で 可燃ごみに回されているそうです それと燃えるごみの中にクリップゴミとか金属とか瓶を捨てる人が多くいるので そっちを徹底したほうがいいと思います これは僕が実際どうなんだろうと区のゴミ処理場を見てゴミ処理の人が困っているのをみて思った感想です

  •  アース役のごみ処理方法について

     アース役のごみ処理方法について  は 次の記事があらすじをしるしていると思うのです。それを解読してみてくださいませんか。  ◆ 悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす ~~~~~~~  ――ルカによる福音書8:26-39 ――  26 一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。  27 イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。  28 イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。    ――「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」  29 イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。  30 イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。  31 そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。  32 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。  33 悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。  34 この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。  35 そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。  36 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。  37 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。  38 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。  39 ――「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」  その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ガミガミ役からの意識の排泄としてのゴミを みづからの内的に棄てるということ。こうだと思っているのですが ご見解を寄せてください。

  • 運輸業の範囲について

    業者の登録をしていない個人が、 1 人の家のゴミを処理場まで運び料金をもらう場合 2 人の家を掃除しそのごみを処理場まで運び料金をもらう場合 3 引っ越し業者の届け出をしていない場合、荷造り・運送(運転)・掃除(ゴミを処理場へ運ぶ)3つの作業の内してもよいもの(料金をもらっても問題のないもの) 法律に触れるのはどの範囲までになるのでしょうか?