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日本史 銀本位金本位

銀本位、金本位、金銀複本位制の簡単な説明をお願いします。辞書はちょっと難しくて理解できませんでした…。 1871新貨条例で金本位制となり、1886松方財政で銀本位制となり、1897貨幣法で金本位制となった。 みたいなことはうっっすらとわかりましたがこんな感じでいいですか? 途中の細かいことや詳しいことは今回はいいです。 テスト勉強中に少しつまずいたので質問しました。回答お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.3

>みたいなことはうっっすらとわかりましたがこんな感じでいいですか? こんな理解で、大丈夫です。 補足的に言うと、江戸時代までは「関西は、銀通貨。関東では、金通貨が主流」でした。 金銀両通貨が併用さtれていたので、明治政府としても迷ったのでしようね。 が、世界標準として「金」を基本としました。

その他の回答 (3)

  • kia1and2
  • ベストアンサー率20% (482/2321)
回答No.4

昔は、金も銀も同じ値段で、紙幣に「この紙幣持参者に同額の金(または銀)と交換する」と記載ありの兌換紙幣。これが金なら金、銀なら銀本位制です。紙幣発行者は、手持ちの金(銀)以上の紙幣の発行は出来ません。

  • FEX2053
  • ベストアンサー率37% (7991/21373)
回答No.2

金本位制では、その国が発行する紙幣は、「金」と一定比率で交換できる ことを保証します。これを兌換紙幣と言うのですが、兌換紙幣を発行する 以上は、その国に十分な「金」の準備が必要です。 逆に言えば「その国が持っている金」以上の紙幣が発行できいなわけで、 経済が発展して外国と取引が増えると、国内の「兌換紙幣」がどんどん 「金」に替えられて国外に出てしまい、「金」が不足してしまい、紙幣が 発行できなくなるんです。特に日本は国内で金の産出が少なかったので、 いきなり「金本位」は無理だったんですね。 ですが、歴史的に日本には山ほどの「銀」がありました。「銀本位」なら 余裕で紙幣の発行に耐えられたので、一旦「銀本位」にしたんです。 ところが、金と銀は相場が違うために、外国と貿易するときに自国通貨の 価値が安定しません。やっぱり外国と同じ「金本位」じゃないと不便、と 言うことになって、日清戦争で得た多額の賠償金を元手に、金本位に戻った んです。 ただ、金本位制というのは「その国が持っている金以上の紙幣が発行でき ない」という問題が常に付きまとうので、貿易が発展するといつかは破綻 します。現在の「管理通貨制度」は、そういう「破綻」を経て成立した ものだという視点は忘れないようにして下さい。

noname#224207
noname#224207
回答No.1

今お使いの1万円札は1億円分作って費用は20万円程度のただの印刷物です。 なぜ1万円の価値がある、とお考えでしょうか。 意識されてはいないと思いますが日本銀行を信頼しているからです。 日本銀行が信用ならん、ということになると大混乱が起きます。 19世紀にはまだ国も中央銀行も余り信用されていませんでした。 金銀は歴史的にもその重さで取引をされ通貨としての役割を果たしていました。 この為に、日本銀行が予め金を用意していて、持ってくれば金と交換しますとお札に書いてありました。 兌換紙幣と呼びます。 アメリカのドルなども同じでした。 この状態ですと、保有する金の量を越えるお札を発行できません。 このように金銀の量に基づいてお札を流通させることを本位制と言います。 金本位は金の保有量を基にしています。 銀本位は銀の保有量を基にしています。 現在はドルと円は直接交換されますが、本位制の場合には、ドルなら金何g円なら何gと金の量を基にして交換されていました。 ご指摘の事項は、これを明治時代に金を基にしたり銀を基にしたりしていたということです。 金銀複本位は金と銀を合わせた総量を基にしているということです。 実際は経済が発達するのにつれて名目上のこととはなりました。 銀行へ行って金に換えてくれという人がいなかったということです。 そうは言っても国内の金の量は管理されていました、 歴史では金の輸出制限とか金の解禁とか言われる事項がありますが、これも元はと言えば国内の金の量が無制限に増減することを抑えていたためです。 現在は国や日本銀行を信頼していて、金銀の量に関わらずにお札が発行されています。 管理通貨制度と呼びます。

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