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古文と漢文での恋愛の違い
古文と漢文での恋愛の違い 和歌では、恋愛の歌が非常に多いのに 漢文では、恋愛の歌がそこまで多くないと思うのですが、何故なんでしょうか? だいたい和歌で「待ち人」といったらほぼ決まって異性ですし「同性の友人」ってことはあまりない 漢文での「待ち人」は「同性の友人」だったりする 「待ち人」の性別不詳の漢文でも、学校の古文の先生も「まあ、この待ち人は恋人と言うよりは、友人でしょうね」と仰っていました。 なぜこんな違うのでしょうか..教えてください、お願いします。
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その質問に直接回答できる知識はありませんが、推測しますに、大和言葉(を文字にしたもの)と漢文の成り立ちの違いではないでしょうか。 漢字というのは、元来、神と王の交信手段でした(NHK特集などの受け売り)。 それが、王朝交代や領土拡張にともない、治世の道具(命令したり報告させたり)になって行ったものです。 つまり、元来漢文は公式文書。男女の恋だの愛だのとは無関係に成立して発展してきたものなのです。 したがって、詩を書くにしても、恋だ愛だというのは「漢文に残すすべきでない」と考えていたのではなかろうか、と。 それと、中国の話だったかどうかが曖昧ですので、読み捨てにして下さってかまいませんが、どこかに「性行為は秘すもの」という一種のタブー視していた地域が地球のどこかにあったのは間違いありません。 それに対して、日本では、文字が無い時代から、男女の問答歌みたいな風習があったようですから、それを書き表すために漢字を使うようになって男女の秘め事みたいなのを書き表すことに抵抗がなかったのではないでしょうか。 昔から、日本は性に対しておおらかです。文字になってもその傾向が出てくるのは当然でしょう。 余談ですが、源氏物語を読んだ外国人が「壮大なエロ話」と評したのを思い出しました。
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- Nakay702
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>和歌では、恋愛の歌が非常に多いのに >漢文では、恋愛の歌がそこまで多くないと思うのですが、何故なんでしょうか? ⇒よく分かりませんが、 和歌の世界は、「妻問い」・「相聞歌」・「渡し文(ぶみ)」・「連歌」・「みやび」の中から、 漢文の世界は、「悠久の世界」・「雄大な大地」・「過酷な大自然」・「人間の存在と命運」の中から、 それぞれの状況や背景にふさわしいものとして、「生まれるべくして生まれた」ような気がします。 せんか? 感覚的な推測に過ぎませんが、いかがでしょうか。