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戦争中毒について
ハートロッカーという映画を見ました そこでは戦争中毒になってまた戦場にもどってしまう主人公の姿が描かれていました 本当にこのようなことはあるのでしょうか PTSDを発症し、アメリカンスナイパーのように日常に戻っても苦しむのは分かります ただだからといって家庭を捨ててもう一度戦場に戻ろうとした人は実在するのでしょうか 仮にハートロッカーの主人公がPTSDを発症していたとして、それでも地獄のような戦場に戻るという選択を実際に下す人がいるのか気になって質問させていただきました よろしくお願いします
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長いこと戦場にいた兵士はいきなり平和な環境に戻されても適応できず、仕事や対人関係など社会的な居場所がなく社会から浮いてしまい「戦場の方が自分の居場所がある (役に立てる、需要がある、批難されることがない)」と考えるに至って戻る人は少なくないと聞いたことがあります。
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歴史的には、戦争中毒症状というのは珍しくない 戦場以外での居場所を持ちえない傭兵はその典型例とも言える。(もっとも現代傭兵の本質は、警備活動であって交戦行為はメインではないが) 古代の大遠征の事例を臨床的に考慮すれば、実は大遠征に従軍した兵士は、戦争中毒症状に犯されていたと考えるのが自然かもしれない 交戦状態という究極的な環境における各人(戦友)との対人関係にこそ人間としての安寧を感じる人が居ても不思議ではないし、緊張感・緊迫感に身を置くことで自己啓発し続ける偉人も多々いる。 その典型例が、コシューシコだろう 人は生きてゆくためには人間的な感覚を麻痺させることができ得るものと考えれば、長い戦乱時代を戦場で生きた人々は、戦争中毒と言えるだろう。 もっとも望んで戦場に赴く戦争中毒と、結果的に戦場にしか居場所のない戦争中毒とは別物だと思うが ちなみに、戦争中毒が主因で家庭を捨てた事例は知らない。戦争中毒の定義次第の話でもあるが、そもそも、戦争中毒の人間が家庭生活という日常に重きを置く必然性がないと推測されるので、擬態で家庭を形成する必然性すらないと考えられる ちなみに、「革命熱」という社会性病理の研究があり、それが戦争中毒と類似性があるかもしれないが、専門家でもないのでなんとも言えない なお、革命熱の典型例が、チェ・ゲバラ
- HAL2(@HALTWO)
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「The Hurt Locker」は 2008 年に作られた映画ですが、日本では 1980 年には新谷かおる氏の「エリア88」という漫画でこのことが描写されていましたので、漫画通にはよく知られている事象ですよ(^_^;)。 日本で 1980 年には知られていたということは Vietnam 戦争での米軍兵士の事が知られていたということなのでしょうね。 2000 年頃には日本人の元傭兵の方がそうした症例の事を Media で紹介していた記憶があります。 ……柘植 (久慶) 氏だったか高部 (正樹) 氏だったかは忘れました(^_^;)。
- sparkle719
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サバゲー好きとあまり変わらないような気がします。 ゲーム感覚なのでは。
- eroero4649
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第二次大戦後、フランス軍はベトナムのディエンビエンフーの戦いに敗れて植民地としてのベトナムを失うわけですが、このときディエンビエンフーで戦ったフランス軍のあの外人部隊には多くのドイツ人兵士がいたそうです。もちろん当時のドイツは敗戦後で失業率も高く外人部隊くらいしか仕事がないという事情の人も多かったでしょう。しかしそうはいっても自ら大きな戦争が終わっても戦場にいることを選んだ人たちがいたのも事実です。 同じように、インドネシアでも日本に帰国することを選ばずにインドネシア独立運動に参加した元日本兵もいました。仮に国へ帰っても仕事がなかったとしても、人間の本能として故郷に帰りたいというのはあったはずですから、そう考えるとそれもそれですごい選択ですよね。 また、昔見たBBCの番組でアフガニスタンのムジャヒディン兵士にインタビューしたものがあって、そこに出ていた青年は「俺は戦争が好きだね。なあ、あんたはイギリスから来たんだろ?どうしてアメリカやイギリスは戦争をしない(註:1980年代の番組です)んだい?こんなに楽しいのに」とコメントしていました。もっともアフガンの場合は、彼が物心ついたときからずっと戦争をしていたので、彼にとっては平和な世界を知らないわけですからちょっと事情が特殊だとはいえますね。 あとね、欧米人はちょっと我々日本人には理解しがたいところがあります。あいつら、「俺は危険なところにいることに生きがいを感じるんだ」と公言してはばからないのがちょいちょいいるんです。ある種の冒険心みたいなのですが、ほら、あいつら命綱もつけずに崖によじ登ったりとにかく危ないことをしたがりますよね。狩猟民族の血なのか、とにかく「狩り」のような場面が血が騒ぐっていう気質はあるみたいです。 狩猟民族といえば、昔BBCとNHKが共同制作した動物番組を見ましてね。狼が鹿を狩る様子を空撮していたのです。撮影していたのはBBCのスタッフでした。鹿が狼に追われて、先回りした他の狼が待ち伏せていたんですね。私は「うわ、危ない!」と思い、そこをすんでのところで鹿が逃げたのでちょっとホッとしたんです。つまり、目線が「狩られる側」なんですね。 ところがそれを撮影していたBBCのスタッフは映像を見ながら「いいぞ、よし、行け!アッ、惜しかったなー!」と完全に「狩る側」視点だったんです。これが狩猟民族と農耕民族の違いかと思いましたね。