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自己愛性人格障害は必ず賞賛を求める?

自己愛性人格障害(NPD)の最大の特徴は、自己像が「万能感に溢れた理想の自己」(誇大自己)と「脱価値化された最低な自己」に分裂し「等身大の自己」を喪失しており「最低な自己」に陥いる不安から、常に賞賛を求める事って話を聞いたのですが、この「賞賛を求める」のは、NPDの人にとっては必ず起こる事なのでしょうか? 例えば「万能感に溢れた誇大自己」が強い場合など、そこまであからさまに賞賛を求めたりせず、それよりも「尊大で傲慢な態度」や「周囲を利用」する事の方が問題になりそうな気がします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • garateen
  • ベストアンサー率28% (11/39)
回答No.2

起き易いと思いますけどね。 なぜなら、 社会と合わなくて自分と周囲に苦痛をもたらすのが人格障害の定義です。 等身大から思いっきり離れた理想像を周囲に意識的にせよ無意識的にせよ求めれば それは、満たされるにせよしないにせよ、絶対にいずれトラブルの火種になると思います でも、確かに 賞賛をあからさまに求めないからといって、質問文末にあるような特徴を満たしているような 人は、安定していても自己愛が強いといえるでしょう。 それでトラブルになるなら、人格障害認定だろうし、ただそのタイプが承認欲求タイプと違うというだけでしょうね 『男根型』とか、自己愛製人格障害といってもいろいろタイプがあるのです。 そういうエネルギッシュ系の自己愛者になるんじゃないでしょうか?

soramimiclub
質問者

お礼

なるほど「男根型」って聞いた事ありますが、そうしたタイプの自己愛性人格障害になる事もあるのですね。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • noname67
  • ベストアンサー率39% (86/216)
回答No.1

「周囲を利用する」ためには、「尊大で傲慢な態度」により 自己の優位性を周囲にイメージづけておく、必要が常にあるので 「賞賛を求める」のではないでしょうか。 簡単にいうと、教祖さまと盲信する信者たちの関係性を築いて それを維持し続けるためには、周囲からの「尊敬の念」が常に 自身に集まっている必要がある、そのために必要なのが「賞賛」なのでは。 5人しかいない状況で、4人が賞賛する相手に対して 残り1人が異論を唱えづらいですよね。 この法則は、良い事にも悪い事にも使えます。 「賞賛を求める」ことが、なぜ問題なのか?ですが これは【承認欲求が強い】とも言い換えられます。(ネットで検索して下さい) この欲求は誰もがもっているのですが、度を越すと問題アリなんです。 【自分の都合しか考えていない】から、相手の領域にズカズカと侵入するのと同じ。 これが「尊大で傲慢な態度」により、他人に不快感を与えても許され 【自分に都合の良い理由】で「周囲を利用」する、という行為に繋がる 「予兆」みたいなモノと想像してみると、辻褄が合うと思います。

soramimiclub
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

soramimiclub
質問者

補足

>「周囲を利用する」ためには、「尊大で傲慢な態度」により自己の優位性を周囲にイメージづけておく、必要が常にあるので「賞賛を求める」のではないでしょうか。 この文章が少し引っ掛かるのですが、この「尊大で傲慢な態度」により自己の優位性を周囲にイメージづけておく必要があるのなら、わざわざ「賞賛を求める」事なんて、しなくても良い気がします。 >簡単にいうと、教祖さまと盲信する信者たちの関係性を築いてそれを維持し続けるためには、周囲からの「尊敬の念」が常に自身に集まっている必要がある、そのために必要なのが「賞賛」なのでは。 そう言う意味での「賞賛」は、異なると思います。 自己愛性人格障害の最大の特徴は、自己像が「万能感に溢れた理想の自己(誇大自己)」と「脱価値化された最低な自己(卑下な自己)」に分裂し「等身大の自己」を喪失してしまい「最低な自己(卑下な自己)」に陥いる不安から、常に賞賛を求める事であると、実際過去に当事者だった方が仰っています。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13136436063 そう考えると、必ずしも教祖様と盲信する信者達の関係性を築く為に「賞賛」を求める事と自己愛性人格障害の求める「賞賛」とは異なる気がします。

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