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私たちの世界に永遠は存在するか?

天文学によると私たちの住んでいる宇宙は約138億年前に誕生したそうです。 その前には私たちの住んでいるこの宇宙は存在しなかった。 そうすると、どんなに長く存在しているものであっても138億年しか経過していないことになります。138億年は長い時間ですけど永遠ではないですよね。 そうすると、現時点では永遠なものは存在しないことになります。 では、将来に永遠なものが誕生するかというと、それもないでしょう。 どんなに将来になっても、今から何年後というどこまでも有限な時間しか存在しないと思います。 私たちとは別次元の宇宙が存在して、そこには永遠があるということはあるかもしれませんが、私たちが住んでいるこの宇宙には、現在まで永遠は存在しないし、将来にも存在することは無いと言えるのではないでしょうか? 皆様はどのようにお考えになりますか?

みんなの回答

回答No.25

#14,#23,#24です。たびたび失礼します。 >「永遠とはあるともないとも言えないもの」ということですね。 そうなのですが、微妙にニュアンスが異なります。 裁判所では「推定無罪」と言って、有罪であることが立証されない限り無罪です。 これと似たニュアンスで、形而下では「推定有限」であって、物理量が無限の値を取りうる頃が立証されない限り、有限と考えます。 なぜならば、時間を除けば、全ての物理量(=形而下の世界を表す)が有限の値しかとらないから、時間という物理量も有限の値しかとらないとしても自然だからです。 物理量の中で時間だけが例外だ(そうかもしれないけど)と考える人はそれを立証する任務を背負っているわけです。

stmim
質問者

お礼

お礼が遅くなり、すみません。

回答No.24

>ご指摘は過去側が有限の場合は、もう無限になれないということなのですね。 いいえ。 説明不足でした。 空間とか、物質とか、エネルギーなど宇宙(形而下)の構成要素が有限であることだけが判っています。 時間に関しては、将来が未知です。 未知なので、「永遠が存在する」と断言してはいけないというだけのことです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 わかりました。そうすると「永遠とはあるともないとも言えないもの」ということですね。 その存在性についてやはり神様みたいな話になってきますね。 それからちょっと思ったのですが、仮定の話ですがもし無限の過去というのが存在したとします。無限の過去から続いてきた何かがあったとして、それがある時消滅したとします。この場合、その何かを永遠と考えるかと言うと、永遠とは考えないですよね。しかし、過去のある時点から開始して未来永遠に存在するものがあったとしたら、それは永遠という気がします。もし数学的な直線であらわすとしたら、どちらも片側が既知のある時点で、その反対側が無限の直線で表すことができます。無限なのが過去側か、未来側かという違いだけです。でも、無限なのが過去側か未来側かが違うと、それが永遠かどうかの判断が違ってきます。そう考えると時間に関して、過去と未来は対称じゃないのは不思議という気がします。

回答No.23

>しかし、どうして無限や永遠は形而下の世界にないのか?という点を疑問に思いました。 #14です。 形而下に無限が無い理由は、宇宙に始まりがあったと考えるのが妥当だからです。 始まりがあるものは、始まった時点で有限です。 有限のものや空間が時間を経てから無限に変わることができません。 これは数学的に証明されています。 つまり、無限は最初から無限であって、時間を遡ると有限になったり、遠い未来に有限や無に変貌したりすることができないものなのです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに、過去側は有限だと思います。 未来側がどうなのかな?というのが気になります。 数学的に考えると、始点は特定の点だとしても終点側が無限の直線というのはありえますよね。この直線的なものが現実に存在すれば永遠ということになりますけど。 ご指摘は過去側が有限の場合は、もう無限になれないということなのですね。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.22

こんばんは。 >「現在から到達できない地点というのは、本当にあるのかな?という気がしてきます。」 ・・・「あると言えば、ある、ないと言えば、ない、」そんな感じでしょうか? >(私たちとは別次元の宇宙が存在して、そこには永遠があるということはあるかもしれませんが)

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >・・・「あると言えば、ある、ないと言えば、ない、」そんな感じでしょうか? そうした点も永遠は神様と似ていますね。 ただ、現在の時間からどんなに経過しても、その地点には到達しないということは言えると思います。そう考えると永遠はないのかなあ、と私は思うのですが・・・

  • eld3399
  • ベストアンサー率4% (16/345)
回答No.21

現在の宇宙の前にも、宇宙は存在していたかもしれません。なぜなら、宇宙そのものが永遠という時間の中で、発生と消滅を繰り返しているからです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。なるほど、以前の宇宙というものが存在したかもしれませんね。 >宇宙そのものが永遠という時間の中で、発生と消滅を繰り返しているからです。 これがどうして、そういえるのか、わかりませんでした。 そうした可能性がないとは言いませんが・・・。 現在の宇宙の誕生前には、時間も空間も物質も存在しませんでした。仮に前の宇宙というのが存在していたとしても、それは今の宇宙と何の関係もないと思います。前の宇宙との間に何の継続性もない。関係性は断絶している。 また、今考えているのは「私たちの世界」の話なので、前の宇宙は関係ないといえるかもしれません。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.20

stmim様、こんばんは。 「ここから、ここまで」と範囲を区切れば、限界があるのは、当然でしょう。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 過去のほうは宇宙のはじまりがあるので区切れているのはしかたないですよね。 未来に関しては、ここですよ、と示したらそこが区切りになって有限になるということですね。とすると、永遠とは、ここですよ、と指し示すことができない地点なんですね。そして、この現在からは到達できない地点ですよね。もし、到達できるなら、ここですよ、と示すことができるわけですから。 そうすると、現在から到達できない地点というのは、本当にあるのかな?という気がしてきます。

回答No.19

stmimさん こんばんは。 永遠を考えるにあたり視点を変えた回答をします。 永遠というと、はじめも終わりもない無限といったものを考えがちですが、過去の時間の、ある一点というものは永遠と言えるのではないかと考えます。 少なくとも人間は死にゆくこと、世界は移りゆくこと、これはstmimさんも真理として肯定していただけると思います。 すなわち、人間は時間というものに縛られている。 しかし、アルバムを開くと、夢を語り合った、青春時代の友人と笑顔で写った写真が収められている。 この写真は時間に縛られず、過去の一点で止まったままです。 人間はゲームのようにリセットボタンを押して、過去に戻り、人生をやり直すことは出来ない。 しかし、写真は永遠に止まった希望に満ちた時間の真実を教えてくれる。 人はこうした永遠の時間に励まされ、困難があっても前に進めるのではないでしょうか? このように永遠を考えるのはいかがでしょう。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。いい話ですね。 ただ、夢も希望もない話をしてしまうと、もはや過去はどこにも存在しません。 古い写真もインクが経年劣化で色あせてやはり、ここにも時間の経過を感じています。 ただ、頭のなかのその当時の記憶は自分が生きている限りそのまま残るのでしょう。

noname#210533
noname#210533
回答No.18

卒業ではありません。 理解を超えてしまっただけです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私はそうした考え方をしても無益な気がしたのでやめました。 人によっていろいろな考え方がありますよね。

noname#210533
noname#210533
回答No.17

永遠とは「無」を別な言い方で置き換えたもの。 時間も空間も、ここからここまでの「範囲」という、 「モノ」として捉えている。 始まりと終わり、という観念は、視界に「モノ」として 捉えて、その全体像を認識しようとする意識のこと。 それらは全て、「自分と同じように、ここに在る。」という 同じ舞台の上の登場人物として扱おうとすることに他ならぬ。 何もかもが「存在する」という前提でしか物事を考えない限り、 「全く無い」「存在そのものが無い」ということについて 答えも思考方法も持っていないことになる。 それが思考の「因果の地平線」。 永遠を「究極の有」としかとらえられない限り、その思考は 堂々巡りの迷い森から出られない。 「永遠は存在する」は「無は存在する」と変換できる。 それは、よく考えてみれば文脈として、実は成り立っていない。 根本的な矛盾があるから。 「在る」ことそのものを否定したうえで考えないと、答えは出ない。 答えは、あるかないか、ではなくて、それを問うているこちら側も 存在している、と言い切ることが出来ない宇宙観にたどり着いた所に ある。 そもそも、絶対的に「存在」しているものなど、無いのだ、ということに。 何言ってんの?バカじゃないの?、あるじゃん、何でもここに。 そうとしか考えられない限り、迷い森から抜け出せない。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 以前、私もそうゆう思考モードで考えていた時もあったのですけど、今は卒業しました。

noname#206440
noname#206440
回答No.16

じゃあ そう思ってれば!? 無神論者と 有神論者が 問答すれば 答えは「喧嘩」な だけ・・ どーせ 後100年もしない内に 真実が判る・・・

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ff33dkさんは有神論者なんですね。 そうしてみると、永遠と神は関係があるんですね。 不思議です。 ゴトーを待ちながら、ってことですかね。

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