- 締切済み
日本のゼロ戦や紫電はP-51に全く歯が立たなかった
日本のゼロ戦や紫電はP-51に全く歯が立たなかったのですか? どのくらい性能の差があったの?
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tak7171
- ベストアンサー率40% (77/192)
P-51と比較した場合、残されている資料上のスペックは他の回答者様が上げたとおり零戦では段違い、紫電改でも劣勢でした。ただし、戦後米軍に接収された日本軍機は米国でのテストで日本での試作時をはるかに上回る性能の発揮したので、零戦はともかく紫電改についてはカタログスペックそのままの性能差があったとは思えません。同じ程度の工作精度・燃料・搭乗員で1対1の模擬空戦をした場合、零戦では低空・低速での格闘戦以外は勝負にならないでしょうが、紫電改は高高度戦闘以外はそこそこ互角の戦いができたのではないかと推測されます。しかし現実においては、工作精度・燃料品質・搭乗員練度全てにおいて劣化した日本軍機であり、その性能的欠陥を突いた戦術(高高度戦闘・一撃離脱を利した集団戦・レーダーや通信によるバックアップ等)を米軍に徹底されたので、戦果はごく限られたものでしたし、全く歯がたたなかったといっても過言ではなかったでしょう。ただし、いかなP-51と言えどはるかサイパン島から日本上空まで飛んでくるのでは戦闘時に全力飛行できる時間は制限されます。それに何らかの理由で5000m以下の上空で戦闘に巻き込まれ、その上乱戦になった場合など、P-51が日本軍機に対して持っている性能的優位は急速に低下します。更に零戦・紫電改には20ミリ機銃という一撃必殺の武装が与えられていました。他の回答者様の回答にある「油断すればゼロにもやられる」というのはここのあたりのことを指摘されたのだろうと思います。
- chiha2525_
- ベストアンサー率13% (119/883)
あまり知らないので見当外れかもしれませんが、とりあえず。 ドイツにハルトマンという非常に優秀なパイロットがいて、彼が優秀だったのは操縦の技術よりも戦法にあったと言えます。つまり先に見つけて奇襲を掛けて一撃離脱、決して追わない。これを参考に米国はやってきたのだと思っています。逆に日本は最後まで格闘戦にこだわり続け、時代遅れになったように思います。 (それができる性能差・資源差があったのだ、などという話にもなっていくのかもしれませんが・・)
- gonveisan
- ベストアンサー率20% (477/2365)
陸軍の黒江保彦少佐が捕獲したP51で 彼くらいの熟練なら相手にならなかった 今で言う模擬空戦アグレッサー役して 手加減して相手していたほど 対戦相手の飛行機が何なのか4式なのか3式なのか その辺は分かりませんけど 性能差は検索してみれば、一目瞭然
- paddrink
- ベストアンサー率50% (236/465)
P51が登場した当時は、日本軍機は何倍もの米軍機を相手にしなけばならなかった。 しかも、相手は無線機で連携を取り、危ない。右に逃げろ。次は自分が攻撃する。とれんけいできた。 P51は、敵味方識別装置や後方監視レーダーまで装備していたので、ビギナーでもレーダーの誘導を受けて良好なボジションを得ることもできたし、不意打ちで落とされる可能性も日本より低い。 今の企業で言えば、クラウドサービスでスマホやタブレットを使いこなせる社員を揃えた会社と、ネットはおろかガラケーさえも持たない会社では営業能力の差が大きいのと同じ、情報技術に不信感を持つ中小企業のようなもの、 零戦がP51よりスペック的に優秀でも勝てない。 あと、速度差が大きいと、一対一でも、空戦の主導権は最高速度の高い方にある。 やばいと思えば、逃げれば良い。 ヨーロッパのMe262ジェット戦闘機とP51のようなもの、 巴戦をしなければ、撃ち落とされる可能性は少ない。 大空のサムライで有名な坂井三郎氏も、戦後複座のP51に乗って、高速ロールの俊敏さに驚愕している。 戦後のP51パイロットのインタビューでは、確かに良い戦闘機だったが、油断するとZERO,Bf109でも勝てなかったと語っています。 全く勝てなかったとまではいえなくとも、条件が悪かった。というところでしょうか? P51より、P47の方が、重武装で、頑丈な防弾、桁外れの急降下、零戦には嫌な相手のように思います。
- ZX4
- ベストアンサー率48% (80/166)
同じ技量のパイロットがそれぞれの機体に乗って、それぞれの機体特性を生かして戦えば日本機の勝ち目は薄いでしょうね。 ざっと表にしてみますと 零戦52型 紫電21型(紫電改) P51Dマスタング 最大速度/高度 565km(6000m) 644km(6000m) 704km(7600m) 発動機出力 1130馬力(離昇) 1990馬力(離昇) 1695馬力(離昇) 航続距離 1920km 1715km 1529km 増槽使用時 3000km 2400km 3700km 実用上昇限度 11740m 11250m 12700m また特に零戦に顕著なのですが、日本機はロール速度が遅い傾向があります。(ロールは空戦機動の基本となる物で、これが遅いとそれに続く機動が悉く遅れる事になります) 零戦は機体構造が脆弱で、弾道特性が悪いとされた20ミリ機銃も射撃の衝撃で翼がたわんで命中率が落ちたとする説があります。事実、同機銃を4門装備した紫電11型/21型では命中率に関して特に悪いとする報告は上がっていません。 またエンジンの全開高度が欧米機に対して低く、実用的な加給機の装備が最後まで出来なかった日本の戦闘機が高高度で侵入するB29やP51に対して有利に戦える要素は無かったのです。 アメリカにはP51以上の機動性があると言われたF4Uや、旋回性が零戦に多少劣る程度のF6F、日本の爆撃機以上の搭載能力を誇るP-47なども他にありましたし、戦闘機の性能と言う一点に限っても日本が勝てる見込みなど無かったでしょう。(ただし無駄な戦争だった訳ではありませんが) 俗にアメリカには物量で負けたと言いますが、兵器の質や性能、開発能力や速度、量産能力や工業の裾野の広さなど、ありとあらゆる面で負けた戦争だったのです。 P51の原型機、A-36は話を持ち込まれてから7ヶ月あまりで試作機を飛ばせているのですよ。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1619/6638)
当時の日本の航空機の製造技術も操縦技術も世界一でした。それは戦闘機にも旅客機にも言えます。車、鉄道などを先に発明開発し、実用もしていたのに、後発の有色人種である日本人に追いつかれ、追い越されてしまいました。飛行機だけは死んでも日本に追いつかれるわけにはいかなかったのに…。というのが、彼らの本音です。 ですので、欧米が日本の発展を妨害するには、経済封鎖をして、飛行機を飛ばせないようにするしかありませんでした。特攻隊が片道分の燃料で飛び立ったのは、石油の輸入が経たれたからであり、技術的に劣ったからではありません。 民間機も日本の飛行機の航路や目的地の空港を、欧米の軍隊が妨害したので、近づくことができなかったのです。終戦後にGHQが日本に対して、飛行機をすべて破壊し、学術書を焚書させた理由は、軍国主義を防ぐためではなく、日本が優秀な民間機を製造し、世界中の利益を独占する恐れが大きかったからです。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1962/11743)
日本のゼロ戦は航続距離重視 アメリカの航空機は防御力重視です 日本の攻撃機や戦闘機に搭載されてた機銃は昭和20年ごろのアメリカの戦闘機にはほぼ無力だったそうですから 相当な性能の差があったんでしょう
- hhasegawa
- ベストアンサー率14% (56/385)
ゼロ戦は、旋回性能と航続距離、そして武装を重視していました。 敵との戦いにおいて、後ろからつけられてもすぐに反転し 後ろにつけたり、敵がエンジン切れになるとことでも 飛び立って行けたりと中国や太平洋の戦いにおいてその性能は 優位性を保ちました。 しかしながら装甲はあまり備えておらず被弾すると、 撃ち落されてしまうという有様で、 アメリカはそれに気づき、 ゼロ戦とは一撃離脱の戦法をとるようになります。 日本の戦闘機よりスピードも出て装甲のある戦闘機を 大量に太平洋に繰り出し、ゼロ戦とは1対1で戦わず 複数機の戦闘機で一撃離脱を行いました。 結果、アメリカの戦法が功を奏し、ゼロは歯が立たなくなりました。 大戦末期のP-51は、スピードも時速700キロとゼロ戦より200キロ近く スピードも出て、上昇力、防御力、装甲すべてが上回っておりました。 そんな中、日本も戦闘機開発が進められており 開発されたのが紫電、そしてのちの紫電改だったのです。 装甲、エンジン能力、武装をすべてあげ 少なくとも技量のあるパイロットであれば互角に戦うことができたのです。 それが証左されたのが「第343海軍航空隊」の活躍です。 1945年3月、大戦末期の四国松山沖での航空戦で 紫電改を始めとする戦闘機が、互角程度の戦いをアメリカのP-51 などの部隊と繰り広げることができたのです。
- WhatisLOVE
- ベストアンサー率34% (391/1147)
よく言われているのが、ゼロ戦は優秀なパイロットには最高のパフォーマンスをするけど、未熟なパイロットには扱いづらく、米国の戦闘機は誰でもある程度一定のパフォーマンスを保てるらしいです。 ゼロ戦が開戦当初に優れた戦果を挙げ、後継機の開発をないがしろにしたり、優秀なパイロットが戦死していなくなった為、本来の実力を出せなかったと言われています。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1504/3660)
零戦とP-51では、性能もさることながら、設計思想が大きく異なります。 零戦は軽量の機体に千馬力クラスの空冷エンジンを搭載し、優れた旋回能力を生かした巴戦を得意とする戦闘機です。そのかわりP-51ほど高速ではなく高空での性能や防御能力も劣りました。 一方P-51は零戦よりはずっと大きく重い機体に1720馬力の(P-51Dの場合)液冷エンジン(ロールスロイスのマーリンエンジンという優れた発動機を搭載するようになって性能が向上した)を搭載し、極めて高速(最大速度は時速700キロ以上、最終量産型では800キロ近くでプロペラ機の限界に近い)で高空性能にも優れていました。しかもP-51は当時のアメリカの戦闘機の中では航続距離に優れ、日本本土を空襲するB29爆撃機を護衛することができました。 自動車で例えれば、小回りが利く軽自動車のスポーツカーと、優秀なエンジンを搭載した普通車のスポーツカーくらいの差があります。しかもP-51が日本本土上空に現れた戦争末期には、日本側にはベテランの操縦者が少なくなっており、迎撃可能な機体の数も乏しくなっていたうえ、燃料も不足しその品質もよくありませんでした。また米軍ではP-51などのパイロットに対し低空での格闘戦に巻き込まれないようにという指示を徹底していたということです。 実戦では操縦者の技量も大きな要素なので、熟練者を集めて松山に置かれた第343航空隊(後述の紫電改が配備された)などの戦果もあり、「全く」といえば言い過ぎだと思いますが、大局を見れば「多くの場合」「歯が立たなかった」と言っても過言ではなかろうと思います。 なお紫電は零戦よりは重い機体に大馬力のエンジンを搭載した局地戦闘機ですが、その代わり零戦ほど軽快な戦闘機ではありませんでした。またもともとフロートが付いた水上戦闘機である「強風」をベースに急遽陸上戦闘機化したもので、種々の問題点があり、結局さらに設計を改めた「紫電改」が作られました。
- 1
- 2