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死の何が悲しい?
肉体と言う束縛からの解放。 生と言う苦行からの開放。 死って実に喜ばしい事だと思いますが、なぜみんな死に恐怖し死を悲しむんですか? 人生で最も喜ばしい事は「死」ではないのですか?
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質問者さんが何らかの宗教信者かどうか知りませんが、そういう事はそういう事に共感できる人ととだけ語るべき事であり、言論の自由を盾に公の場で堂々と語っても良い内容のものではありません。 宗教的に考えても死後が喜ばしい事であり、死が喜ばしい事ではありません。 宗教以外で考えればこの世への生を失う事が一番の恐怖なのです。 質問者さんが言うように思わない人が多いのは、大昔から日本は無宗教だからであり、誰もそうは思えないし考えたくもないからです。 死が喜ばしい事であるならば殺人も無罪になってしまいます。 自分が何をどう思おうが勝手な事であり、同様に自分以外の他人が何をどう思うが勝手な事。 いかなる宗教も人の手による創作であり、その中身も解釈も人が考えたものである。 本当に神が存在するならいかなる束縛も拘束も制約もあるはずがなく、全世界共通で人々は思うがままに自由に生きる権利が尊重されるはず。 この地球上に大昔から続く争いの種は宗教上の争いがほとんどである。 いかなる神の教えであろうが、何であれ制約は圧力でしかなく単なる暴力でしかない。 それにすがるしかなく信じたい人は信じればいい。 信じれば報われると思うならそうすればいい。 信じない人や否定する人はほおっておけばいい。 人は死ねば土に返る。 これが無宗教国日本に昔から伝わる言葉。 何も喜ばしい事はない。 これがまともな日本人の解釈。
- SPROCKETER
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人間は臨死状態になると脳が鬱(うつ)状態になり、悲しくなるわけで、死んで行く人は悲しい思いをして死ぬのであって、喜びを感じる人はいません。 鬱病にかかった人が自殺しようとするのは、鬱状態が死と同じく苦しいからです。音楽でも、鬱状態になる音楽を聴いていると苦しくなることがあります。逆に、躁状態にある人は死のうとは考えません。 実際に死に掛けたり、臨死体験を経験した人は、そういう脳天気な話は書かないだろうと思います。あなたは幸せな人なんでしょうね。
残した子供、妻などの将来を知ることができない。 手を差し伸べることが、できない。 もう自分には、なにもできることが無くなった。 死の恐怖こそなかれ、死を悲しく感じます。 上のような理由です。 がしかし、一番の問題は こんなことを考えてるのは、私自分だけで 家族は、落ちる飛行機に乗れ!正面衝突する新幹線に乗れ! と言います。 保険か?とも思いましが、それが悲しい。 私の死ぬ理由が、悲しい。 ですから、納得いく死などありませんが 後悔・悔いが残る自分の人生、自分自身が悲しい。
- Sakura2568
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人の一番喜ばしいことって「分かり合う事」なんですって 死んだら会話できないでしょ 死んだらお互いを見られないでしょ 死んだら相手とのコミュニケーションはもうできないのよ。 だから嫌なのよ怖いのよ。 誰か、誰でもいいから誰かと繋がりたいの。 それが叶わないから死にたいってのはまぎれもない「繋がりたい証拠」でしょ。
- あずき なな(@azuki-7)
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この世から居なくなる 話とか出来なくなるから悲しいんじゃない? 死と言うのは別の世界に行ってそこで生きる事だと思う 現世とは次元が違うからこの世の人には見えないだけ そうか 死後の世界での苦行を 残った人は哀れんで悲しむんじゃない?
- yaasan
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「死」が喜ばしいなら、全ての人間がその喜ばしい行為を率先してすべきですよね。 そして全ての人間が死んでしまったら、どうなりますか?単純に率先してやるような喜ばしい行為ではないんですよ。他にも色々と理由はくっつけられますが、単純にそういうことです。