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日本の「戦後」は、いつまで。

昭和30年代だったと思いますが、「もはや戦後は終わった」というのが、もてはやされたように記憶しています。それは「経済」のことだったと思いますが、政治や社会の観点からは、今もって、「戦後70年」といわれています。 この「戦後○○年」というのは、いつまで続くのでしょうか?この表現を使わなくてもよくなる歴史の転換点を教えて下さい。将来のことですから、もちろん推測ですが。 ただし、「新しい戦争」がないことが前提です。……「新しい戦争」があれば、その戦争以降がまた、「戦後」になってしまいますので。

noname#205122
noname#205122
  • 歴史
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  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

"この「戦後○○年」というのは、いつまで続くのでしょうか? この表現を使わなくてもよくなる歴史の転換点を教えて下さい。"  ↑ 以下の条件が満たされた時です。 1,米国製の憲法を止めたとき。 2,軍事的に独立したとき。  核武装すればその時。  日米安保解消したならばその時。 3,国連の「敵国条項」が廃止されたとき。

noname#205122
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。  私の「歴史の転換点を教えて下さい。」という質問にご回答をいただきましてありがとうございます。参考になりました。  ご回答を読ませていただきましたが、どうも「戦後○○年」というのは、終わりそうもないですね。  ふと考えたのですが、「日中、日韓関係の抜本的な改善」というのがないと、「戦後○○年」というのは、終わらないのではないかという気がしました。が、これも改善されることのない「永遠の課題」のようですから、やはり「戦後○○年」はいつまでたってもというか、次の戦争が始まるまで、今の「戦後○○年」というのは続くということですかねぇ。

その他の回答 (4)

回答No.5

戦後はいつまで経っても戦後です まぁ100年までは言い続くでしょう

noname#205122
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。  おっしゃるとおりだと思います。だからこその「無駄な抵抗」的な疑問になったのです。

  • staratras
  • ベストアンサー率40% (1438/3508)
回答No.4

>昭和30年代だったと思いますが、「もはや戦後は終わった」というのが、もてはやされたように記憶しています。 これは昭和31年度の「年次経済報告(経済白書)」に「もはや『戦後』ではない」という有名な表現があったことに由来しますが、原文を読むと「日本は復興した、戦後は終わった」というような単純な文脈で使われたのではないことがわかります。(以下引用) 戦後日本経済の回復の速やかさには誠に万人の意表外にでるものがあった。それは日本国民の勤勉な努力によって培われ、世界情勢の好都合な発展によって育まれた。 しかし敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものが、その谷からはい上がるスピードを速やからしめたという事情も忘れることはできない。経済の浮揚力には事欠かなかった。経済政策としては、ただ浮き揚がる過程で国際収支の悪化やインフレの壁に突き当たるのを避けることに努めれば良かった。消費者は常にもっと多く物を買おうと心掛け、企業者は常にもっと多くを投資しようと待ち構えていた。いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。      (引用終わり) ひとことで言えば、「これからの経済の成長は「戦後復興」で走り続ければよかったこれまでのようには行きませんよ」と「将来へ向けての課題を示した」ということです。今にして思えば、この指摘は優れた見通しであったと思いますが、その後日本経済は高度成長期を迎えたため、この経済白書の「もはや『戦後』ではない」という表現は、もともとの意味を離れて世に広まる(ある意味では「もてはやされる」)ことになったのだと思われます。 政治・社会的な面で言えば「戦後○○年」は「戦後百年」(2045年)が一つの区切りになるだろうと、回答者は考えます。去年(2014年)は第1次世界大戦が始まって100年にあたり、ヨーロッパ各地でこの戦争を振り返る記念の行事が多数行われました。30年後の日本でも同様になるのではないかと思います。戦争ではありませんが1968年に「明治百年」の記念行事が各地で盛んに開催されたことも回答者は覚えています。もちろん「戦後百年」の後も、「150年」、「200年」という節目の時期にはとりあげられるでしょうけれど…。

noname#205122
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。  ご回答にあった「節目」という言葉に思いを巡らせてみました。歴史だけでなく、私たちの普段の生活においても、「節目」というのは、過去を振り返り、反省すべきは反省するためにも、また、新たな気持ちで明日を迎えるためにも必要なことなのだろう、という気がしてきました。季節の移り変わりや誕生日や元旦や、いろいろな「節目」を大切にしていけば良いと思うし、「戦後○○年」もそのような「節目」の一つと考えれば良いのか?という気がしてきました。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.2

>日本の「戦後」は、いつまで。 この「戦後○○年」というのは、いつまで続くのでしょうか?      ↓ 66歳 男性 戦後:第2次世界大戦(太平洋戦争)の事だと思いますが、定義は知りませんが、個人的には戦前や戦時中は過去であり区切りと成る該当期間も決まっていますが、戦後は昭和20年8月15日以降~今現在も継続していると思います。 戦後の終了時期、年齢や環境(戦争体験や生き証人である父母等からの情報や訓えがある)、領土や外交や経済、安保軍事や国際的信頼、年号や憲法、ライフスタイルや個人の感覚等の視野視点によっても異なると思います。 また、戦後~に続く言葉が現代とか近代とかであれば、今も国破れても美しい自然や祖国日本の山河は民族は歴史文化伝統は継続していると思うし、我が家の生活や家族構成等から見れば戦後(戦争体験者・戦前戦中生まれは居ない)は父母・叔父伯母の死去、親類の世代交代が進み、戦争そのものの話題や体験思い出に接する事が無く、戦争がリアルなテーマーとしては語られたり教えられたりする機会も殆どなくなり、まるで死語の様な状態(戦後ではないor戦後は終わった)、いつの間にかシュリンクしながら戦後は終わり消え行く様に去り、現在に至ったシステムや暮らしが形成されたと思います。 つまり、特定日:その日を境(リミッター)に戦後が終わったというよりは、人それぞれ、分野や領域や話題ごとに異なるが→戦争の影響グラデーションが薄れ、ほぼ消滅した時期が、それぞれの戦後のエンド・現在現代との交代期だと思います。 更に前提を付けるならば、22azqq22 様が仰るように 新しい戦争」がないことが前提です。……「新しい戦争」があれば、その戦争以降がまた、「戦後」になってしまいますので。    

noname#205122
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。  ご回答を読ませていただきました。私には、少し難解でしたが、ふと、昔、「戦争を知らない子供達」という歌がはやったのを想い出しました。私も戦争を知りません。今では、70年前に、日本がアメリカと戦争をしたことさえも知らない大学生もいるそうです。  おっしゃるとおり、「父母・叔父伯母の死去、親類の世代交代が進み、戦争そのものの話題や体験思い出に接する事が無く、戦争がリアルなテーマーとしては語られたり教えられたりする機会も殆どなく」なっていると思うのに、「死語」というよりはまるで「呪縛」のように、「戦後○○年」から抜け出せないこの状態に疑問を感じた次第です。

noname#204445
noname#204445
回答No.1

知らないの!? 今が 第三次世界大戦 真っ只中だって事を・・・・

noname#205122
質問者

お礼

知りませんでした。

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