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母の死

母が3年前、大腸癌と診断され手術を受けましたが、すでに肝臓に転移があり、大腸の癌は取り除けたものの、肝臓は手術が出来ない場所に無数の癌が散らばっていると診断されました。 この時すでに余命半年と宣告され、母には秘密にしていました。そこから抗がん剤の治療がはじまり、辛い抗がん剤の副作用にも1度もめげず、まだ死ぬわけにはいかないという母を自分なりにサポートしてきました。 料理上手は母でしたが、徐々に家事が出来なくなり、私は仕事をしながら家事全般と母の介護を全てこなして来ました。 何度か仕事をやめようと思ったこともありましたが、母は「絶対に仕事をやめてはいけない」とかたくなに反対しました。 余命半年と宣告されてから3年が経過した今年の9月上旬、母に内緒で医師に呼ばれた私は、後もって1,2か月と宣告を受けました。その頃から急激に体力は失われ、ひとりで布団から起き上がる事も出来なくなり、10月上旬に入院しました。 入院から6日後に容態が急変し、こん睡状態となりました。 こん睡状態になる前日、出勤前に母の病室に行き、母と会話をしていた時に急に吐き看護師を呼びました。ちょうど仕事に行かなければいけない時間で、姉に連絡した所、姉も母の所へ向かっている途中であるとわかったため、看護師さんにお願いをし、病室をでようとした所、吐き気に襲われている中、母は私に「気を付けて頑張っていくんだよ」と言われました。 その日、私は遅番勤務で帰宅したのが深夜1時頃で、仕事中、姉に状況を聞きましたが、医師からも問題ないと言われ夕方に病院を出たとの事でした。 翌日は、仕事が休みだったので母の携帯に何度か電話をしましたが出ず、いつもなら〇〇食べたいから買ってきてと言われるのですが、連絡が取れず寝てるのかなと思いつつ、嫌な予感がして、すぐに病院に向かいました。 向かっている途中で、病院から電話があり、意識が低下してきている、すぐに来るようにとの事でした。 そのままこん睡状態になり、1日半続き、1度も目が覚める事なく眠ったままこの世を去りました。辛い癌の痛みに解放され、苦しまず眠ったまま亡くなれる事に最後は最高の死に方が出来たと自分に暗示をかけてきました。 母と会えなくなって3か月が過ぎ、母が私に残した最後の言葉は、「がんばっていくんだよ」だったので、あの時の選択は間違いじゃなかったと思う反面、母が意識のある最後の日に仕事に行った自分を責め眠れなくなる日々が続いています。 母が自分の全てで、失った悲しみから抜け出せないでいます。 ただ、自分の苦しみを吐き出す場所がなくてここに投稿させて頂きましたが、皆さんが乗り越えたお話を教えて頂ければと思います。

みんなの回答

  • yosi717
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.7

50代の主婦です。 つらい時をお過ごしですね。 お母さんへの気持が痛いほどよくわかります。 あの日「気を付けて頑張っていくんだよ」と最後に言われた言葉 お母さんがどんな気持ちで言ったかわかりますか? きっとお母さんは自分のことはわかっていた もうすぐだって。 だから 仕事に行く娘に贈る言葉を言ったのよ。 「気を付けて頑張っていくんだよ」 いつまでも泣いてないでがんばっていかなきゃ、 おかあさんのせっかくの気持ちが泣いてしまう。 後悔するよりも前を向いて お母さんに「行ってきます!」って言ってあげてください。 将来あなたがお母さんの年齢になって  「気を付けて頑張っていくんだよ」と自分の子供を送り出すとき、 きっとお母さんの気持ちがわかります。ああこういうことだったんだなぁって。 お母さんはいつでもあなたのそばにいますよ だから「気を付けて頑張っていくんだよ」。

noname#214485
noname#214485
回答No.6

あなたと全く同じ境遇で 思わず回答しました。 私の母親も癌で3年前に亡くなりました。私は当時働いていましたが 妊娠をして、妊娠4ヶ月で会社を 退職する事が決まってました。 仕事の休みに会いに行ったりの 生活でした。実家からは、バイクで 20分くらいの距離だったので、1週間に2日など、行ってました。 私は「来月で仕事退職するから ゆっくり過ごそうね。」と母親に話してました。母も教師を30年勤務していて、末期癌と知り仕事を辞め治療に専念しました。仕事に行きなさい!生活スタンスは変えないでね! よく、そう言われてました。 でも、妊娠もしたので、退職すると 言う事は、納得してくれてました。 あと、3日で私は9年勤めた仕事を退職する事になっていて、ゆっくり過ごすはずだったのに、退職3日前に亡くなりまさた。今のあなたと、同じように もう少し退職早くすればと何度も 自分を責め悔やみました。 でも、フト母が生きていたら どーゆうかな?と考えた時 やっぱり皆いつもと変わらない生活をしてほしいと、何度も言ってた事を思いだします。 私も、あなたのお母さんも 私達が一生懸命働いてる姿が 生きがいなんではないでしょうか 今、あの妊娠していた時の子供が3才になります。二人目も産まれ1歳と3歳の2児の母親になった、今子供に自分のせいで、仕事を辞めり、休んだりされたくない!頑張りなさい!と 思う気持ちが母親になり、解るような気がします。 私の母親も、あなたの母親も きっと、そんな事で悩まず 真っ直ぐ前を向き、バリバリ働いて 元気に暮らすんだよ!と 私達の近くで、そうささやいて いると思いますよ!

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20049/39731)
回答No.5

全然間違っていない。 お母さんの望みは、 貴方の(人生の)ペースを崩したくない。 それに尽きるんだよ。 それを最後まで貫かれた。 とても立派だよね? 仮に私(お母さん)が旅立つとしても・・・ それが貴方の日々の変更を強いるものであって欲しくない。 貴方には貴方の日々がある。 その「中」で貴方は、 既に十分私(お母さん)に対して出来る事をしてくれている。 それに対する感謝は、 お母さんの方こそしてもし切れない位。 だからこそ、 お母さんは貴方の訪問を嬉しく思いつつ、 でも貴方のペース、貴方の時間を奪いたくない。 そんな思いから貴方を気丈に送り出した。 強引に貴方に居て貰おうとすれば出来たんだよ。 もしそんな風に貴方にお願いしたら・・・ 優しい貴方は、 何の迷いも無くお母さんの傍にいた筈。 だって貴方にとってお母さんは「全て」だから。 お母さんはおそらく、 貴方にとって私(お母さん)が全てである事。 それを感じていた人なんだと思う。 そこまで思われている事は本当に嬉しい事。 貴方の母親になれて本当に良かった。 そう思っている。 同時に、 私がもし彼女(貴方)の全てなら・・・ もし私がいなくなったら、一体どうなるんだろう・・・? いつお迎えが来るか分からない。 でもハッキリと分かるのは、 少なくとも貴方よりは先に旅立つ事になる事。 残された貴方は大丈夫か? お姉さんも含めて身内はいるよ? それでも、 貴方の中にある「お母さん」というスペース。 そこは当たり前だけれど私しか埋めれらない。 そんな私が旅立ったら・・・ 娘は一体どうなるんだろう? 実はお母さんはお母さんで考えていた。 だからこそ、 お母さんは貴方にしきりに「頑張れ」と言っていた。 仕事を辞めるな。 その意味は、 仕事を辞めて私に合わせた後にお迎えが来たら・・・ 母親が全てである貴方にとっては。 大袈裟でも何でも無く、 生きる意味や生き甲斐さえ見失ってしまう。 立ち直れなくなる。立ち上がれなくなる。 だから彼女(貴方のお母さん)は、 自分という軸は崩すな。 自分というペース、 自分の人生ステージは大切にし続けて欲しい。 それを語り「続けて」きたんだよ。 それは本当に貴方への愛であり、 私が天国に旅立った「後」の貴方を考えているから。 軸があれば、 たとえ私がいなくなっても・・・ その軸を中心に私の死(旅立ち)にも向き合っていける。 貴方というバランスを大きく崩さずに。 勿論心の雪解けには少し時間が掛かるよ? それでも、 貴方は貴方なりに自分の日々に戻っていける。 私の死さえ大切に抱きながら、 前に進みながら現実に向き合っていける。 お母さんは、 そこまで考えていた人なんだよ、実は。 貴方が暗示として言い聞かせるまでもなく、 本当にお母さんは最高の旅立ちが出来たと思っている。 最後まで貴方のマイペースを尊重出来たから。 気を付けて頑張っていくんだよ。 今後貴方が、 ずっと大切に出来る言葉も伝える事が出来たから。 貴方はどう思う? 自分の選択を責める必要は全く無いんだよ。 実は、 自分の選択の是非問題よりも、 結果としてこういう事になるのであれば・・・ それが今の私のように分かっているなら・・・ 私はお母さんの傍にずっといたのにな(いたかったな)。 その後悔がどうしても消えないんだよ。 貴方にとってはお母さんが全てだったからこそね? 意識がある最後の日。 それが分かっていたら・・・ 私にももっともっと伝えたい事もあった。 今の貴方にはそれがどうしてももどかしい。 あの時間に戻りたいとさえ思ってしまう。 貴方の「中」に今も大切に生きている、 貴方の「中」のお母さんにはいつでも語れるよ? それでも、 ちゃんと生身のお母さんに伝えたかった。 意識のある最後の瞬間まで伝えたかった(感じたかった)。 今の貴方は、 その気持ちの整理整頓(&咀嚼)、 それに少し時間が掛かっている。 でもね、 貴方にとってお母さんは、 苦しむ対象どころか貴方そのものであったんだよ。 そこまで思えるお母さんの血を貴方は引き継いでいる。 既に貴方は、 お母さんからのメッセージを潤沢に受け止めている。 心も身体も。 何となく3年前からの、 大病後のお母さんから凝縮的に語られやすいけれど。 それこそ貴方が生まれてからずっとお母さんとの縁がある。 実は、 思い出せば限りなくお母さんの思い出もある。 何でも無い日々が、 大切な日々として貴方の中に残っている。 それは凄く凄く幸せな事。 お母さんは、 それを現実の辛さ(苦しさ)から解かれて、 痛みから解放された状態で思い出していくはず。 これから時間を区切る事無くね? 貴方は、 今を生きながら、 これからの自分自身と向き合いながら、 お母さんの思い出や残したものと「共に」、 有限の生を悔いなく生きていく。 お母さんは、 そんな貴方を見守っている。 貴方を守護していく。 貴方はそう整理してみる。 ゆっくりと深呼吸を。 失った悲しみは直ぐには癒えない。 でも、 失ったという感覚自体が、 貴方の中で段々変わっていく。 生から死へ。 その過渡はとてもきつくて、厳しい。 本当に失ったような感覚なんだよ。 でも、 失ったという感覚後にやってくるのは、 そこまでの時間の中で貴方が「得て」きたもの。 そこまでの歴史の中で貴方が「与えられて」きたもの。 それらの復活であり、再考発見だったりする。 貴方は信じてみる。 それが絆だよ? 改めて、 これからの貴方自身を大切にね☆

  • yo46to
  • ベストアンサー率29% (8/27)
回答No.4

ここであなたのお母さんが天国であなたをみて、本当に客観的に考えて欲しいのです。 天国であなたをみて責めているのでしょうか? 母がそんな時にあなたには仕事に行きなさいと言った気持ち。 いて欲しいけれど前をみて今を精一杯やって来てって思ってその後もいるんじゃないでしょうか? そして仕事に行ったあなたを誇りに思ったのではないでしょうか? 大事なのは命を落とす瞬間ではなくあなたが母を亡くしても責めないで、前をみているのが一番孝行なんですよね。 わたしは死に目に会えませんでした。けれど元気に過ごしたり、写真やお墓参りで今年も来たよって報告しています。 今亡くなられたばかりで受け止められない時期だと察します。どうか受け止められるまでご自分を責めないで。 誰もあなたの事は責められません。今まで全てをお母さんに、これからはあなたがお母さんの分まで思いきり生きてみていいと思います。 これからはあなたがあなたを全てにの様にで構わないと思うんですよ

noname#204042
noname#204042
回答No.3
  • yuripino
  • ベストアンサー率33% (61/182)
回答No.2

大切な誰かを失った時、残されたものはみんな一様に、自分を責めてしまいます。 人のいのちが持つ時間はそれぞれが最初から決められていて、その時間を全うしたのです。 お母様も自分の時間を使い切って、逝かれたんだと思います。 誰も悪くありません。あなたもあなたのこと責める必要はありません。 私も数年前、父を亡くしています。 悲しさも寂しさも消えることはありません。 悲しみも苦しみも、「時間が解決する」というのは大きな嘘だな、と思います。 ただ、その人がいないことに少しずつ、慣れていくことなんですね。 私は最近、鏡に映る自分の顔を見て気付きました。 そこには若いころの父が映っているんです。(歳とともに良く似てきました。) 父のカラダは燃えてしまいましたが、父の面影と、父が残した「思い」は、確かに私の中に存在しているんです。 いのちはリレーです。 人間はどんなに頑張っても90年程度しか生きられません。 なので、人は自分の「思い」を誰かに託して行きます。 親は子に、子はまたその子にと。 あなたはお母様から、大切な「いのちのバトン」を託されました。 あなたの中に、お母様は生き続けています。 死んでなんかいません。あなたが生きてる限り・・ お母様が教えてくれたもの、それは「最後の言葉」に、託されていたのではないでしょうか? 親って、どんな時も子供のしわあせを一番に思ってます。 きっと今も、苦しんでるあなたのこと、心配して見守ってますよ。 私も親なので、お母さんの気持ちが少し、判ります。 たぶん、あなたにこう言いたいだろうと思います。 「お母さんは精一杯生きたの。あなたがいてとても幸せだった。 だから、もうお母さんのことで苦しむのはやめて・・私は、あなたが笑顔でいてくれたら、それだけでいいの」 悲しい時は思い切り泣きましょう。 涙が枯れたら、ココロのなかのお母様とともに、 「バトン」を誰かに託すため、自分の人生、しっかり生きましょう。

  • ponyo7
  • ベストアンサー率18% (130/711)
回答No.1

心中お察し申し上げます。 しかしながら母親とはそんなものなのではないでしょうか? 私(男性)の母も何年も前に亡くなりましたが、痴呆も入っていましたが、リュウマチで何年もの間、激痛で起き上がることも困難なのに、すでに結婚して離れた場所に住んでいる私を、誰もいない二階に向かって階段下まで這ってきて「遅刻するからもう起きなさい」と毎朝起こしていたと父親から聞きました。 痴呆になるならもっと別の形でなってくれと思いました。自分の体に鞭打って這いまわりながら空っぽの部屋のわが子を起こしに行く・・・、子としてこんなつらいことはありませんでした。 しかしこの話を父親から聞いて「されど母は強し・・・」の意味がやっと実感を伴って理解できるようになりました。この先どんなに私が頑張っても、どんなに立派な人間になっても私は母親を超えることはできないでしょう…。身をもって愛とは何かを示した母親に私は三歩下がってひれ伏すしかありません。

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