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アイルワースのモナ・リザ

顔の素人研究していてモナリザに行き着いたのですが 最近レオナルドの作とされるアイルワースのモナ・リザなるものがあるのはテレビで知っていて、 見比べてみたのですが、 素人の私の意見ですがこれはレオナルドの物ではないですね。 顔にパースが無いのです。 他のレオナルドの肖像画をみても大抵パースがかかってる。 全身の物も、大きく顔が描かれた腰から上のものは特にパースが分かる。 アイルワースのモナ・リザは両目のラインと口のラインが平行になってる。 レオナルドは線遠近法と自身が発明した空気遠近法を二つきっちり使って描かれてる。 肩や腕のラインもパースが意識されてる。 オリジナルは目と口の間にアイライン(水平線)があり背景もそれに合わせてるが、 アイルワースのモナ・リザはそれが全く意識されてない。 ラファエロの模写も顔にパースが無い。 レオナルドは解剖までやってるのに肩や腕が描けてない(三角筋を理解してない)・デッサンが出来てないのですが、 アイルワースのモナ・リザの方が肩、腕が上手くかけてる印象もある。 皆さんの意見はどうでしょうか?

みんなの回答

回答No.3

1と2です。 <レオナルドは出来てません。> レオナルドのデッサン集などごらんになったことはありませんね。機会がありましたら是非見て下さい。 <あなたは解剖学の知識がありますか? 解剖学を勉強した経験がありますか?> 私は、実は美術解剖学を修得しています。 <コローはデッサンができています。> あなたと論争しても何も実りはないのですが、レオナルドのデッサン集など熟視していない結論です。絵画はただ写実的に描けば良いというのは、第一義的ではありません。 <美術はデッサン力だけではないですから。> デッサンの意味がお分かりでありませんね。美術はデッサン力なのです。デッサンは描写とは違いますよ。 <「人体の奥行きは、お相撲さんでさえたいした寸法ではありません。この人体のデッサンに遠近法も無いのです」これには驚きました。おそらく美術を愛して長く関わっておられると思われる方が人体に遠近法が無いと断言された点に。私は短い文章の中に線遠近法を度々とりあげました。> あなたは、絵描きではないですね。 仮に百歩譲って、全てが遠近法のなかにあると云うあなたの意見を尊重したとしても、人体デッサンをしていただけばわかりますが、製図的なものを意識しながら描くということはありません。風景画などの場合は、たとえば一点集中法にのっとって、建物の線についてチェックを入れる等のことはありますが、それとて観察によって処理出来るものです。人体の描写に、〝遠近法がこうだからこうだね〟等と云って描くことはありません。理論ではたとえそうであったとしても逐一法の下になどと云うことは無いのです。 <両目を結んだ線、両肩を結んだ線、両膝を結んだ線など高さの同じものが斜めを向くと線遠近法に支配されます。つまり平行に引かれた線は全ての線がアイラインのある一点に集中するのです。 これは人体だろうと建築物だろうと違いはありません。> 理屈は通っています。絵画は理屈で描きません。一応理屈も考えますが、そこには徹底的な観察があります。この観察が、デッサンの出発点なのです。 <画面にある全て人も背景もパース(perspective)に支配されているのです。 あなたはおそらくレオナルドのモナリザの顔にパース(線遠近法)がかかってるのを気付いていない。> 全てその理論ですか。それだけで美術を楽しんではおられないでしょうけれど、この判断だけですと、デッサンの何たるかを知らずに終わってしまうでしょう。あなたの理論付けからすると、「アイルワースのモナ・リザ」は、遠近法がわかってないし、レオナルドの作品で無いだけでなく、遠近法がわかってないから駄作であると結論づけられます。  <私はけっこうシビアに書いてるつもりなんです、はっきり違いをつけてます。モナリザの製作時期、モデルがほぼ特定されてるので、 習作がオリジナルより甚だしく前に描かれたとは考えられないという点を指摘しておきます。> あなたの理論では、「アイルワースのモナ・リザ」はレオナルドのものでは無いと結論づけられています。私の感覚からいえば、「アイルワースのモナ・リザ」は遠近法がわかってないとは思えません。あなたの言い方からすると、あなたの理論に合致してないから、この絵には、遠近感が無いと云うことになってしまいます。 ま、「アイルワースのモナ・リザ」については、諸説があり、私個人としては、レオナルドのものであるかどうか解らないし、あなたの解釈も認められません。あなたの解釈は、これがレオナルドのものかどうかという点に言及するあまり、この絵のデッサンの良さかを否定してしまっています。この絵は駄作ではありません。もう少し、肩の力を抜かれて、理屈だけでは無しに、絵全体を支配しているデッサンの良さを享受されることを願ってやみません。 。

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質問者

お礼

ひさびさにアイルワースのモナ・リザを見ると顔にパースが無いのはもとより 唇が正面向いているのに気付きました。 他のパーツが斜め向いてるのに唇だけ正面向いてる。 上顎と下顎が向きが違う。 パースに異様に拘るレオナルドの意図に気付いていない模写である可能性がより高い。 ありがとうございました。

回答No.2

1です。 パースペクティブを識っているので、回答に記述したわけで、透視図法は、作図的遠近法を差し示しているのであって、主に全体の構図に大きく関わりを持っていることだけなのです。 レオナルドの空気遠近法は、遠近法と言っても、作図的意味合いは全くなく、色調を弱めたり、薄めたりしていく手法であって、これをもってして遠近感を助長させたものであるのです。これはレオナルドが始めたといっても、特にそれほどのことで無く、盛期ルネサンス美術の大家達全てが自然にこの表現の仕方を取り入れてるだけでなく、謂わば人間の本来持っている感性であるのです。 アウトラインと云う言葉は当然ご存じのはずですが、アウトラインと称する線は、物体の何処にも存在し無いことは誰でも知っていることです。しかし、このアウトラインは、絵画にある意味魅力的味付けをする方法として、全ての作家たちが使用しています。 レオナルドの「モナ・リザ」は、このアウトラインを殆どと云って良いほど使用しておりません。この方法は面と面の接合部をグラデーションを掛けて柔らかい表現にしているのです。「モナ・リザ」の表情が独特の雰囲気を持っているのもこれ故なのでしょう。この手法をスフマートというのです。 スフマートについては詳細を述べませんが、興味がおありでしたら、NET、図書館でひもといて下さい。 さて、あなたは、レオナルドやラファエロについても〝デッサンが出来てない〟とおっしゃっています。極論で無いにしても、これは本当に認識の欠如です。勉強してください。知らなさ過ぎます。 <レオナルドは解剖までやってるのに肩や腕が描けてない(三角筋を理解してない)>とも云っています。これも全く勉強不足です。当時は、ポッチャリした体形が、多くの人々に好まれていたのです。よって、盛期ルネサンスにおける〝女〟の描き方の特徴なのです。 さて「アイルワースのモナ・リザ」について、<パースが意識されていない>と述べられています。 人体の表現に、<パースが意識されていない>とはどのようなことでしょうか。 デッサンに不備があります。と云うのならまだわかりますが、あなたの主張は理解できません。 「アイルワースのモナ・リザ」について、そのデッサンを感じても不備になるものはみあたりません。人体の奥行きは、お相撲さんでさえたいした寸法ではありません。この人体のデッサンに遠近法も無いのです。強いてこのような、人体に対する表現があるとすると、エル・グレコ 「受胎告知」やミケランジェロ システィナ礼拝堂天井画のように下から見上げたときに、見る者にとって整合性があるようにデフォルメをすることが云えるぐらいなものです。 つまり、人体のデッサンに、<パースが意識されていない>という表現は間違っています。 <アイルワースのモナ・リザは両目のラインと口のラインが平行になってる。> だから、何なのですか。それによって、この作品に決定的に問題があるような記述です。 しかし、この作品のデッサンは狂っていませんよ。 パースペクティブという言葉をもっと厳密に使って頂きたいものです。 問題は、レオナルドの作品かどうかと云う点なのでしょうけれど、贋作であるとするば、X線回折分析措置や蛍光X線分析装置、蛍光分光光度計等々を駆使して調査し、レオナルドと同時代の作品であれば、仮にレオナルドの作品で無くとも、良く描かれていることに間違い無いし、それでよいのではないでしょうか。レオナルドの作品であった場合には、なるほどもうすこし若い時の作品なのだ。ということになるでしょう。あなたの云うデッサンの出来てない作品では少なくとも無いと思います。

gggooogg
質問者

お礼

長文感謝します。 このような地味なテーマに付き合っていただきありがたい。 さてというか、内容に関しては私とは相容れない点がありこれは埋まらないでしょう。 具体的にいきます。 デッサンに関して「ポッチャリした体形が」とされましたが同時代のミケランジェロは解剖学的に完璧な表現ができてますが、 レオナルドは出来てません。 これは流行とかそういう次元の話ではありません。 あなたは解剖学の知識がありますか? 解剖学を勉強した経験がありますか? さらにレオナルドの絵をよく観察したことがありますか。 最後の晩餐でも受胎告知でも腕の出所の変な部分や腕のねじれ、実際にやれば脱臼するようなポーズがあります。 美しければ芸術的な誇張といえなくないが美しくないのですね。 三角筋を指摘しましたがある絵にはっきり間違って描いてる物があります。 これはあなたが探されてください。 モナリザのデッサンに関してはコローの真珠の女と比較してください。 アイラインが若干違いますが同じポーズで描かれています。 コローはデッサンができています。 レオナルドとの違いが分かりますか。 もちろん芸術という全体から見ればどちらが優れているか言わずもがなですよ。 美術はデッサン力だけではないですから。 「人体の奥行きは、お相撲さんでさえたいした寸法ではありません。この人体のデッサンに遠近法も無いのです」 これには驚きました。 おそらく美術を愛して長く関わっておられると思われる方が人体に遠近法が無いと断言された点に。 私は短い文章の中に線遠近法を度々とりあげました。 両目を結んだ線、両肩を結んだ線、両膝を結んだ線など高さの同じものが斜めを向くと線遠近法に支配されます。 つまり平行に引かれた線は全ての線がアイラインのある一点に集中するのです。 これは人体だろうと建築物だろうと違いはありません。 「透視図法は、作図的遠近法を差し示しているのであって、主に全体の構図に大きく関わりを持っていることだけなのです」 画面にある全て人も背景もパース(perspective)に支配されているのです。 あなたはおそらくレオナルドのモナリザの顔にパース(線遠近法)がかかってるのを気付いていない。 「レオナルドやラファエロについても〝デッサンが出来てない」 私はラファエロがデッサンが出来てないとは言ってませんよ、私の文を見下ろして読んでるのでいい加減に受け取ってますね。 私はけっこうシビアに書いてるつもりなんです、はっきり違いをつけてます。 「レオナルドの作品であった場合には、なるほどもうすこし若い時の作品なのだ」 モナリザの製作時期、モデルがほぼ特定されてるので、 習作がオリジナルより甚だしく前に描かれたとは考えられないという点を指摘しておきます。 ありがとうございました、有意義な時間を過ごせました。

回答No.1

あなたの云うパースとは一体何ですか。パースと云う言葉は美術用語や建築用語の中に何某かありますが、 あなたのこの言葉の使い方が全く理解できません。 もう少し、あなただけの勝手な理解では無しに、詳細を記述してほしいですね。 <レオナルドは解剖までやってるのに、デッサンが出来てない> との大業な物言いですが、 <素人の私の意見ですがこれは・・・> と仰られるなら、デッサンなるものをもう少ししっかり理解されての投稿ならば納得がいきますが、 あなたの云う<パース>について、もう少し詳しく説明して下さい。

gggooogg
質問者

お礼

ありがとうございます。 読み返して勘違いがありました、申し訳ない。 >レオナルドは線遠近法と自身が発明した線遠近法を二つきっちり使って描かれてる。 正しくは レオナルドは線遠近法と自身が発明した”空気遠近法”を二つきっちり使って描かれてる。 です。 >アイルワースのモナ・リザは両目のラインと口のラインが平行 これは線遠近法のことだと誰でも分かると思います。 当方の指摘は主にレオナルドのモナリザの顔にパース(パースペクティブ(perspective)の日本語での略称。遠近法、遠近図法のこと。)があるが、 アイルワースのモナ・リザの顔にはパースが無い、 基本的顔にパースを意識して描く人が描かないのは不自然だという点です。 レオナルドは自分で解剖をやり骨から顔を描くほど人ですから一度習得した技術を使わないのは不自然だということです。 引き続きご回答お願いします。

gggooogg
質問者

補足

申し訳ない、回答中にコピペしてる間に混乱あり >レオナルドは線遠近法と自身が発明した線遠近法を二つきっちり使って描かれてる。 >レオナルドは線遠近法と自身が発明した”空気遠近法”を二つきっちり使って描かれてる。 最初から問題なく書かれていました。 訂正を訂正します。 レオナルドは線遠近法と自身が発明した空気遠近法を二つきっちり使って描かれてる。 これで良いのです。

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