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ニーチェ

 レポートの課題で、ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」を読んでいますが、なにぶん哲学初心者なのでさっぱり分かりません。話自体はおもしろいと思うんですけれど。どなたか簡単にこの本の解釈の仕方を教えていただけますか?一般的なものから持論まで幅広く受け付けます。

  • isuke
  • お礼率45% (14/31)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yosikun
  • ベストアンサー率43% (235/542)
回答No.1

もしかしたら参考になるかもしれないページを・・・ ・ニーチェ「ツァラトゥストラ」を読む! http://www.asahi-net.or.jp/~nd9a-kr/policystudies/studies/Nietzsche.html ・ツアラトストラ http://www.jade.dti.ne.jp/~tsutomuo/seminar2-2.html#seminar2-18 ・終わりなき哲学 『ニーチェの永劫回帰』 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/5625/philosophy.html ・ニーチェ・賢い大人になる哲学 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9971395916&USER=GUEST 少しはお役に立てますように・・・

isuke
質問者

お礼

役立ちました!いやー、いろいろな考えがあっておもしろいですよね。哲学ってなんか近寄りがたい雰囲気がありますけど、そんな考えが吹っ飛びそうです。どうもありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • Isaisa
  • ベストアンサー率15% (5/32)
回答No.3

より「人を超えて生きたかった」彼が 「ゾロアスタ教」(確か)この片仮名の意味)をモチーフにして 書いた。とか・・(僕も授業でやった。) より人を「超えて」(超人学)行く目標を書いたとか。

isuke
質問者

お礼

ありがとうございます。ゾロアスター教が関連していたとは知りませんでした。ゾロアスター?ツァラトゥストラ?なんだか響きも似ているような・・・。

noname#83
noname#83
回答No.2

参考になるでしょうか。 私はニーチェ研究を深くしているものではありませんので手短な解説などはできませんが、解釈の糸口として、清水書院の「人と思想」シリーズを読まれることをおすすめします。ニーチェに限らず、深い理解にまではとうてい至らないでしょうが、手がかりを得るためのものとしては良書だと思います。 また、中央公論社の「世界の名著」シリーズの巻頭解説は、どの人物の解説もよくなされていると思います。両方とも、図書館に置いてあるはずです。 現代哲学者を学ぶ際には、少なくとも常に近代の思想・文化を射程に入れつつ考えてゆくことが大切だと思われます。ニーチェが近代の「何を」乗り越えようとしたか、その点だけ目を離さずレポートを執筆すれば、きっといいものが書けると思います。頑張って下さい。

isuke
質問者

お礼

うーん、一筋縄ではいきませんねぇ。楽してレポートを書こうと思ってここに質問したら、参考図書が増えてしまいました(笑)「学問に王道なし」の言葉をひしひしと感じています。でも、大変良いお言葉を頂いて感謝しております。「何を」乗り越えようとしたのか・・・。なんだか僕にも関係のあることのように思えてきました。

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