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芸人について
芸人は江戸時代とかの昔には身分が低く見られていた(士農工商エタヒニン芸人)そうですが、それはなぜですか。また、現代では芸人はもてはやされてますがそれはなぜですか。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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No.6 hekiyu さんが初めにして最後のきちんとしたご知見でのご解答をされています。 江戸時代など伝統的に、朝廷に属するものとそうではないものとの二種の観念でした。 吉良上野が朝廷に使者としていっても、お前は武士か公卿(くぎょう)と皮肉られるのもそういう観念からのものでした。 士農工商は中国に由来する思考ですが、現実は朝廷に属するものすべてのことです。 そしてこの士農工商は、遊芸的であるということで芸能関係はその外となっていました。 卑しいということですね。 それは生産性がどうのの以前に支配のための価値観念としてそうするものだというルール的定義であり、中学などで習った生産や社会に有益だとかどうかの問題ではないのです。 だからといって士農工商の順で富が属しているかどうかは別で、武士も農民も決して裕福ではない。 つまり生産とは関係がない。工たる職人だって宵越しの金を持てないその日暮らしでやっていました。
- k-a-r-a-p-a-n-a
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簡単に書きますと それは生産性がなかったからです つまりモノを作らなかったからです 武士は何も作りませんがこれは別として 農業、工業、そして商人 作る、または商人のようにモノを動かす このように産業におおいに貢献していますが 芸人は産業、経済に関してなにも貢献をしていなかったのが 原因です ようするにいらない連中だったからです 農業のように土がいらない それならと、土のない石だけの河原に 住まわせていた それで河原乞食とよばれたわけです 現代ではもてはやされているのは 時代が変わったからです 経済も一応、安定していますし 経済が不安定な国では それほど芸人はもてはやされていないでしょう 武士もいなくなり 農家も苦労しています 現在では工がトップでしょうか 商がトップでしょうか
- chiha2525
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好きなことやって楽してボロ儲けなんです。 人から羨まれたら、恨まれます。 バカです身分低いですって言って、心の中でベロ出してるわけです。
- Nebu3
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前の方が詳述されていますのでご質問の前半は割愛します。 ともかく「芸」は古代神事であり寺社に従属する奴隷的存在。 以後、庶民にも見せられるようになるが地位はあくまで「河原乞食」 なぜ現代はもてはやされるのか。ここを少し考察しましょう。 僕の祖母が五十年ほど前に身近な人がテレビで芝居するのをみて 「可哀想に河原乞食になって」と言ったのを記憶しています。 そこから現代まで50年、半世紀。 二つ考えたい。 1.もてはやされるのは彼等テレビに出る芸能人が高収入だから。 表はとてもきらびやか。女性は綺麗な衣装、一番組で数百万円稼ぎ イケメンと遊びまわり雑誌を賑わす。男も同じ。 僕たちは裏は見えない(本当にきらびやかなスタジオセットの裏はベニヤのたてつけ) 見えない部分で彼等彼女らは命を削っているのに笑顔しか見えない。 そのきらびやかな世界をあこがれる若い男女がいるから余計に華やかさを増している。 2. 芸能界がきらびやかで得をしているのはだれ? 大御所と呼ばれる年食った芸能人は豪華な邸宅に住み年収十億円超え。確かに羨ましい。 けれど彼等は数十年芸能の世界を生き抜いた僅かの成功者。その世界のボス界の下っ端 に食い込めた。彼等を見るから何十万人の現役が頑張る。 ・誰もが知る芸能界とヤクザのつながり。現代は装いを新たに さっぱりした建造物と同じく見た目こぎれい。でも元々は 芸能界を動かすのは即やくざの興行師、芸能人や芸能事務所は 彼等興行師に頭をさげ、金を渡し、女を抱かせて良くしてもらった。 芸能事務所だって今は近代的な人間関係が増えたけどまだまだ、 事務所の幹部は黒幕世界に挨拶をしながら自らも色々と手を染め 所属芸能人を子分のように育て自由にさせない。 ・歌舞伎世界は治外法権。悪いことはきちんと取り締まりテレビ会社も 甘い顔をしない。 ・一番の大物は芸能界を牛耳るテレビ局を束ねてスポンサーとの橋渡し に力をもち、機嫌次第で相手を言いなりにさせる電通などの大手広告 会社。スポンサーから支払われるCM料が何千億円。この金が芸能界 末端に生きる一番組数千円の可哀想な芸人にまでしたたり落ちる。 この腐った興業世界を改善したいのだけど。
芸人と一般人を区別するのは江戸時代よりも以前から続く考え方です。 身分制度として整えたのが江戸幕府です。 江戸時代の身分制度と実態には相当に乖離がありますので注意してください。 芸人は江戸時代には身分外身分として位置付けられていました。 身分相応の特権も認められていました。 他の身分の人は簡単には芸人には成れませんでした。 芸人の最高峰の歌舞伎役者は絶大な人気を誇っていました。 武家階級は原則としては芝居見物は禁止されていました。 あくまでも原則です。実態は別です。 簡単に芝居を観には行けなかったお大名の奥方様達は、煩いご家老をなんだかんだと拝み倒して屋敷に呼んでもらったりしていました。 千代田のお城では御側室やお局様達は寺社詣でと称して出掛けては寄り道をしていました。 中には役者と浮気をして大騒ぎを起こした人もいます。 江島生島事件 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/江島生島事件 江戸幕府は身分外身分の人達の特権を認め保護していました。 穢多という名称は、坊主が勝手に付けただけのものです。 皮革は鎧をはじめ武具には不可欠な素材です。 この素材を取り扱える人を決めて幕府の直轄下に起置きました。 軍事物資ですから、大名にも手を触れさせませんでした。 この階級の人達は、必要があれば大名領を無視して全国を自由に動き回れました。 日本中の農民が飼育していた牛馬や武家が飼育していた馬が死ぬと、勝手に手を触れることができませんでした。 この人達に頼んで処理してもらう必要がありました、 大名にとっても不可欠な素材ですが、それを取り扱う人間を幕府に押さえてしまったために、領内に居住していても手が出せませんでした。 膠は牛馬の骨髄から作りますが、墨には不可欠な上に最も強固な接着剤としても必要でした。 このように必要不可欠な素材を扱っていますから、追い出すわけにもいきません。 物は欲しいが支配はできない、おまけに年貢も納めない、これではアノヤローということになります。 ロクな取り扱いをしませんでした。 この皮革を扱う人達の最高責任者は、苗字帯刀を許されていただけではなく江戸城に大名格の行列で登城して直接将軍に拝謁する権利も持っていました。 更に、この人達を統括するための独自の裁判権も持っていました。 皮革の他に、蝋燭や行燈に使われる灯心の独占販売権も持っていました。 非人と呼ばれる身分は一代限りの身分でした。 この人達が遺体の移送、埋葬などの取り扱いや刑場や牢屋敷での下働きなどをしていました。 一方で、お祭りの屋台や見世物、大道芸などに従事する人もいました。 大道芸の幅が広く、いうなれば芸を見せることで対価を得るという仕事です。 歌舞音曲、話芸などあらゆる芸能が含まれます。 大規模に上演していたのが歌舞伎です。 お気づきのように、町民の娯楽を一手に引き受けていましたから、差別も区別もありませんでした。 三味線は武家の女性の教養の一つとされ町人の娘も武家奉公には欠かせない技能でした。 当然上手い人が尊敬されます。 見せるべき芸がなければ無心すなわち乞食をやるということになります。 逆に言いますとこの身分以外の人が乞食をやることができませんでした。 刑罰の一つとして町人などの身分を停止して非人とすることがありました。 一定期間後に非人側と町人側の了解を得れば町人に復帰することができました。 この人達を地域ごとに統率する人がいました。 この統率者を掌握して管理していたのが上記の皮革を扱うグループの最高責任者です。 江戸幕府というのは、直接自分達が統治せずに。この最高責任者に委託することで統治の目的を達成していました。 何も知らない薩長の下級武士が明治に入ってこれ等の特権を剥奪した上に保護も止めてしまいました。 明治以降は直接管理する人間がいなくなり、他の人達と同じ扱いとなってしまいました。 結果として経済的に貧窮してしまい、現在も貧窮階層に対する差別として引き継がれてしまいました。 藩幕体制というのは武家の収入と言うのは米だけでした。 この米を年貢という形で徴収していました。 年貢は村落単位で賦課されていました。 現在のように個人単位ではありません。 年貢が滞れば村落の共同責任とされて村落の全員が処罰対象となりました。 一方、農業生産技術は労働集約型で常に共同作業が必要でした。 結果として相互監視、相互扶助の社会が出来上がりました。 この農村の形態は室町時代から始まりました。 この農村の自治組織を統治システムの中に組み込んだのが江戸時代の藩幕制度です。 相互扶助を原則とした自治社会ですから、非定住者は排除されました。 皮革を扱うような特殊な職業の人達も排除しました。 地方の農民も娯楽は不可欠です。 この需要を満たしていたのがいわゆる旅芸人達です。 旅芸人は全国を移動しますので、結局情報の伝達者としての役割を果たしていました。 行商人も同じです。 自治社会に所属していませんから、定住は認められません。 このような形態の社会が300年以上に渡って続きました。 結果として、絶対的多数を占めていた農民の非定住者、異業種従事者に対する差別意識が社会の常識のようになって今日まで受け継がれてきてしまっています。 なお遊芸そのものの始まりは神事と深い関係がありますが割愛させて頂きます。 身分制度上身分外身分であったからという理由だけで芸人の社会的地位を議論しますと誤解が生じますので注意して下さい。 芸達者は何時の時代でも人気がありました。 TVなどのマスメディアがなかった時代ですので人気のあり方が異なりますので、比べてどうかとは一概には言えません。 人口が常に流動的だった江戸、大阪、京都などの都市部と人口流動が停滞していた大名領とでは、感覚が違いますので注意してください。 現在でもこの感覚の違いは残っています。 余分な説明をしたために分かり難かったかと思いますので、補足で追加質問を願います。
- hekiyu
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士農工商という思想に基づくものです。 士農工商という身分制度が存在しなかったことは 近年明らかにされましたが、そういう思想は 中国から来ていました。 これは儒教の思想で、国家に対する貢献度の高い 順番に並べたものです。 士農工商の士とは、武士のことではなく、科挙の 試験を通った官僚のことを意味しました。 彼らは、国家の政務に携わるので、最も国家に 貢献している、として高い評価を得られたのです。 次に来る農業は、何しろ人間の生命を維持する ものですから、官僚の次に国家に貢献している というわけです。 いか、工業は鋤鍬などを造りますから、農業を 通して国家に貢献している、となり 商業は何も造らず、ただ移動するだけ、という ことで貢献度が低いと考えられたのです。 芸人などは、遊びであり、国家に対する貢献度 など無であるどころか、人を惑わす、として 貢献度は底辺に近い、とされたのです。 ”現代では芸人はもてはやされてますがそれはなぜですか” ↑ 思想が変わりました。 資本主義社会では、金が総てです。 金を稼げる芸人はそれなりに地位が高くなりました。 個人主義ですから、特殊技能がある、ということで それなりに評価されます。 そもそも、人間に遊びは必須である、との理解も 深まりました。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
今のような市役所で戸籍を管理することがなかったので、基本的には寺の檀家になっている檀家帳に名前が載っていることが、「普通の人間」の大前提だったのです。 ところが、芸人や役者は、今のようにテレビで全国に見てもらってお金がもらえるわけではないので、地方巡業をして檀家になることもなく、また年貢や門戸税を納めることもなく生きていたのです。今で言えば、「戸籍が無い人間」として生きることになったのです。 今では、出生時にちゃんと届出をしていれば、平等に公共サービスを受けられますし、以前と違って要請があったところに営業にいけますから、歩いて回ったのに野垂れ死に、誰も自分の土地に墓を作らせず無縁仏で弔ってもらう、ということは無くなったのです。
- popoburo39
- ベストアンサー率0% (0/1)
自然と関わる仕事だからでしょう♪昔、学校でそう教わりました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11096/34568)
ものすごく乱暴にいえば、アリかキリギリスかというと文句なしにキリギリスだからです。世間の多くの人が歌ったり踊ったりするのは好きですよね。いくら上手だとはいえ、その歌や踊りを見せて金をとるだなんてそれが労働だといえるのか、というのが根底でしょうね。 今でいうなら、ゲームの中のアイテムをゲットしてオークションなどで転売して生活している人に対して世間一般の目が「それは労働だ」と理解されるかどうかというと難しいのと同じです。 またそういう芸事のビジネスというのは水商売もいいところですよね。今日お客さんが入ったからといって明日もお客さんが入る保証はどこにもありません。だからどうしても刹那的になります。歌手だって一曲か二曲くらいしか売れてないのにそれで芸能生活を押し切る人もいます。商売が刹那的だから、そこに生きる人たちの生き方も刹那的になります。 ある噺家さんがいました。借金まみれの放蕩三昧でどうしようもない。「お前ね、そんなバカな生き方をしないで、芸をこつこつとやって借金を返さないといけないよ」と親身になって説教してくれた人に対してこの噺家さん、「バカなこたァいっちゃいけません。あたしゃそれができないから芸人をやってるんです」と返しました。基本的にそういう人たちが集まるわけです。 歴史的にいえば、今は立派な伝統芸能となった歌舞伎の元祖といわれる人が、出雲阿国です。名前の通り、女性だった。そして、彼女のやった歌舞伎とはつまりストリップでした。そしてそのストリップを見て「姉ちゃん、たまんねえなあ。どうだこの後、金は弾むぜ」という輩が現れたらそれは断りませんでした。つまりなんというかまあそういうご商売でもあった。 創生期の歌舞伎はなんと女性同士が脱ぐレズビアンショーだったんです(本当)。で、それは公序良俗に反すると女歌舞伎が禁止されました。そしたら、ピチピチの少年同士のホモホモショー(若衆歌舞伎)となりました(本当)。お前らホモならいいってもんじゃねえんだとなって若衆歌舞伎も禁じられて、今の野郎歌舞伎と呼ばれるスタイルになりました。 そして歌舞伎は大衆演劇でもあったので、江戸時代を通じて何かセンセーショナルな事件が起きるとそれを基にした演目が行われたんですね。今なら「あの感動の実話をついに映画化!」みたいなものですね。有名なのが仮名手本忠臣蔵ですし、最初は浄瑠璃でしたが歌舞伎化もされた曽根崎心中なんかもありますね。逆にいうと、俗っぽい。エログロナンセンス、なんでもアリだったのです(今でも歌舞伎はそういう柔軟性をもっています)。だから明治時代になっても歌舞伎役者は「河原乞食」と呼ばれて地位が低かったのです。今でも梅沢富美男さんや早乙女太一君のような大衆演劇はちょっと地位が低いところがありますよね。 それを明治以降の歌舞伎役者さんたちが頑張って今の地位までに押し上げたのです。 またヨーロッパでも同じでした。印象派の名作のひとつにドガの「舞台の踊り子」という作品があります。舞台上で踊るバレエダンサーを描いたものです。この舞台の踊り子では、ソデで踊り子を見る黒服の男性の姿が描かれていますが、この男性は何者なのかというと、いわゆる「パトロン」なのです。当時のバレエダンサーというのは非常に地位が低くて、要するに舞台で見初められて貴族やお金持ちにパトロンとなってもらって初めて生活が成り立ったのです。200年前、バレエダンサーとは貧しい家庭に生まれた娘が成り上がるための職業だったのです。 そういうものだから、芸能人というのはなんというか、そういう「まっとうな仕事に就けない人」が選ぶような仕事だったんですね。今でも在日の芸能人というのはすごく多いですよね。また安室奈美恵ちゃんのように公立高校に行くお金もなかったようなド貧乏な人も少なくありません。安室ちゃんは、歌手以外の道を選ぶとしたらキャバ嬢になるか風俗嬢になるかしかなかったでしょうね。沖縄の中卒の女の子が就ける仕事なんて限られます。 芸人も20年くらい前までは熱湯に浸かってすっ転んでチンチンポロリするものだみたいな低い立場でしたが、今の40歳前後くらいの年代の芸人さんたちはいい学校を出ていたり、あるいは知的であることが売りになったりしてなんというかむしろ今はバカが売りでは芸人が務まらないような時代になっていますね。 昭和の頃、元水泳部の芸人さんが「芸能人水泳大会」で二枚目アイドルに水泳では負けたくないとガチで泳いで勝ってしまい、プロデューサーが大激怒してその芸人さんは干されるようになったなんて実話がありましたね。芸人の地位が向上したのはここ20年以内の話しだと思います。
- lions-123
- ベストアンサー率41% (4360/10497)
>芸人は江戸時代とかの昔には身分が低く見られていた(士農工商エタヒニン芸人)そうですが、それはなぜですか。 また、現代では芸人はもてはやされてますがそれはなぜですか。 ↓ 昔も今も程度の差はあれど、 ◇芸に秀でた人=真の芸人、名人芸や芸達者と呼ばれる人は人気も名声もあるのでは・・・それが無く値しないのは芸NO人。 ◇芸で身を立て師と呼ばれる域にある人は=名人・師匠であり、対する「河原こじき」とは名実ともに違い異なる。 ◇粗製乱造、厳しい修行や訓練を割愛した「インスタントタレント」や事大&ブームに乗ってるだけの「ひな壇バラエティタレント」、一発芸のみで浮かれ沈む人間、素人と玄人を芸と言う技能で精査分別せぬままにカオス状態にしてしまったタレント発掘番組・タレント事務所の横行が、需要と供給のアンマッチ、過剰な「河原こじき」を生み出したのではないでしょうか・・・。 ◇そのように、芸人の質を著しく劣化と無能さを露呈氾濫させているのが、現在のTV・歌謡界・お笑いの業界であり、消耗品の如く、育成鍛錬することなく利用し金儲け・金種に成らないと成れば、バッサリ使い捨てである。 そんな芸NO人、似非タレントを峻別・駆逐できないのは、芸能界の体質の甘さが土壌にあるが、併せて視聴者なり一部のファンの目利き、審美眼・価値観のレベルの低さなのでは・・・
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