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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:昭和天皇の統帥権について)

昭和天皇の統帥権について

mm058114の回答

  • mm058114
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回答No.8

(1)内閣と軍部は並立で、天皇に直結。    お互いに干渉はできないので、口出しできませんでした。    日露戦争の頃は、お互いが理解し合って、協力して引き分けに持ち込む事ができました。    昭和陸軍は、鼻息が荒く、お互いが歩み寄る事がきませんでした。 (2)若さは、関係ないと思います。    忠実に『君臨すれども統治せず』を守りました。    天皇は、自分の意志で国家の行動を指示できる立場になく、    部下の内閣、軍部の上奏を裁可する事が仕事でした。         不満が、あるときには、裁可しないだけでした。    陸軍の人事案に不満があった時、無言で書類をデスクに伏せて置いた事は有名です。    終戦の時も、議長の鈴木貫太郎が、異例にも天皇の意志をもって結論とする事に、成功したから終戦できたのです。

taka1012
質問者

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ご回答ありがとうございます。

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