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日本の方向性とグローバル化
終戦69年目を迎えて、私なりに満州から引き揚げた両親や祖父母、曾祖父母の生きた時代には、どんな世界情勢になっていたのか…と考えてみています。 明治維新から昭和10年代の日本の情勢を考えてみると、西洋化の方向性と近代国家の構築、西欧諸国の植民地化の拒否と資源の確保が大命題であったのだろうと想像できます。 東洋諸外国ことに朝鮮半島や満州の日本統治はどちらかというと北の脅威(当時のソビエト)への牽制も大きな理由であったようである。 「資源の確保と北の脅威への牽制」を主な目的としてアジア諸外国での統治を推進したのであれば、見方によってはそれだけ日本国内の情勢が逼迫していたのだろうと想像できます。 当時はアメリカとの太平洋戦争前は、主にアジア周辺及び太平洋周辺の諸外国の統治や権益を争っていたと思われます。 その中でも朝鮮半島は40年間の間に渡って日本の支配を受けており、満州国内も中国から認められておらず、朝鮮の方々や中国の方々の心に大小の傷跡を残したはずであろうと思えます。 東京裁判では満州侵略、富国強兵、関東軍の満蒙計画、満州事変、満州国の独立建国、上海事変、国際連盟の満州国の調査、関東軍の陰謀説、傅儀の証言等があった。 満州国の建国の裏側には、日本の大きな関与があることから、国際連盟や国際社会から孤立化していくことになっていったが、この満州の建国がアメリカ、イギリス、ソビエトからは都合が悪かったのも事実であろう。 資源のほとんどを輸入に頼る当時の日本(現在も輸入に頼ることは同じだが…)は、満州国建国しか生きる術がなかったのだろうか? いろいろと考えてしまいます。 両親や祖父母や曾祖父母の時代は、それらの時代の流れに乗っかっていかなければならなかっただろうし、過ぎ去った事は仕方がないのであるが、日本は過去に習って国際社会から孤立しないように、各国としっかり連携し、平和な社会でありますように願っています。
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- IXTYS
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> 日本のグローバル化の鍵は、国民の語学力にかかっていると思います。 やはり、英語だと思います。 こんにちは。 まだ閉じておられないのでまた書き込みします。 丁寧なお礼のことばありがとうございました。 私も満州から帰国した帰国子女の走りです。 (笑) 父が良く『お前は日本に帰ってからもスイジャゥ(眠いよう)と言って駄々を捏ねてたもんなあ』と言っていました。 語学力、すなわち英語の力はグローバル化の鍵となります。 これはその通りだと思います。 個人的にはODAのコンサルタントとして開発途上国で仕事をして来ました。 当然、英語で情報を伝えます。 先方とのやり取りもすべて英語でした。 英語が使えると本当に仕事の範囲が広がります。 ですから、日本人に是非英語をマスターして欲しいと思います。 それも日常の挨拶やレストランでのオーダーではなく、仕事で銭の稼げる語学力を身につけて欲しいと思います。 1993年、今から21年前の10月、日本のサッカーチームはドーハの大会で二位以内に入れず、ワールドカップを逃しました。 その時、私はJリーグのチェアマンだった方に手紙を書き、日本サッカー再建案を提案しました。 内容は (1) 選手はプレーしている間は禁酒禁煙を励行すべし。 (2) 海外で腕を磨いて世界で通用する選手を育てるべし。 その第一歩は英語のマスターである。 (3) 複数のポジションを高度なレベルでこなす選手を育てるべし。 あれから21年、実に多くの日本人選手がヨーロッパのトップリーグでプレーしています。 女子選手の大儀見選手がドイツのテレビ局の番組で流暢なドイツ語で答えていました。 日本人サッカー選手は我々より一足早く『グローバル化』しているのです。 だから大活躍出来ているのです。 中田英寿選手が禁酒禁煙を守ってプレーされたので、多くの選手が彼のアドバイスを守っています。 ヨーロッパで激しい競争に勝ってプレーするにはどんなポジションでも出来る器用さと意欲が求められています。 中田選手が良い模範を示してくれたので日本にいる時から真剣に外国語を学ぶ習慣が多くの選手に身についています。 若い選手に高木三兄弟がいます。 お父さんは有名なプロ野球選手でした。 お父さんは三人の息子のために中学からフランス語を学べる学校を選んでいます。 サッカーの世界は『グローバル化』が進んでいます。 本当に驚くほどです。
- hanak00
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これからも普通の国。 明治維新以来、脱亜入欧で普通の国をやってる。 戦争が普通なら戦争、平和が普通なら平和をやっていく。 普通をやる人がリーダーに選ばれる。
お礼
回答ありがとうございます。普通が不通にならないようにしてほしいですね。 普通に立ち回るのは、以外に難しいことかも知れません。 回答ありがとうございました。
- IXTYS
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こんにちは。 #6の再入場です。 私たちの将来を考える。 その時、自分たちにはどんな特質が備わっているのか。 そこをしっかりと総括して見たい。 日本の風土の特質が日本の歴史と文化に大きな影響を与えている。 島国の日本は、四周を海にかこまれ世界から隔てられている。 この地理的条件によって、日本は外敵の侵略と異民族の支配がなく、周囲から文化や技術などを吸収し、「島国」の中でそれを融和させて、独自の文化を磨きあげ築きあげて来ることが出来た。 外国との交通が海に隔てられ、発信的な文化型は形成しにくいので、自ら外国の文化を積極的に受け入れる受信的な文化型を形成して来た。 我々の文化の本質は受信文化である。 外来文化の受信能力が極めて優れている日本だが、その日本から海外に向けて発信することがこれまで殆どなかった。 日本は外来文化を選択して受信するだけにとどまらず、さらに受信した外来文化を巧みに融合して日本化して来た。 古代朝鮮や中国から漢字や儒教、仏教、道教など宗教思想を導入し、近代欧米の新文明を吸収し、更にそれを自国に適応しようと、工夫に努めた。 例えばスポーツであるサッカーにその実例を見る。 日本人選手は1970年代の後半に奥寺康彦選手が西ドイツのケルンFCでプレーした。 ポジションは最初はサイドバックだった。 しかし発想の柔軟な日本人の特性が当時ドイツ最高のサッカー監督と言われたバイスバイラー監督の絶大な信頼を受けるようになる。 ポジションはMFの中心であるトップ下から、試合を取り仕切るボランチまでを任されるようになる。 日本人の理解力の素晴しさを如実に示している。 同時代にドイツで華々しい活躍をした韓国の車範根(チャブングン)選手がFW一筋であったのと対照的な選手生活を送っている。 彼はさらに二部リーグに低迷するチームを再生しようとする別の監督に頼まれ、チームを移る。 そこでは選手でありながら、若手選手にに意識改革を促すようなコーチの役割をも任されている。 当時最も先進的な技術であった『トータルフットボール』を租借し、さらにそれを自分の中で独自の物として確立してしまう日本人の特性を余すところなく示している。 彼は日本のサッカーのプロ化推進のため1900年代の初頭にドイツを離れることとなった。 93年、Jリーグが発足した時、多くのドイツのベテラン選手が日本に来てプレーしている。 彼らは奥寺選手に強い感銘を受けた選手たちである。 だから彼を助けたいと志願して日本へやって来た。 今年、香川真司選手が再びドイツのドルトモントに帰って来た。 その時のドルトモント市民の反応は凄かった。 80,200人と超満員に膨れ上がった観衆は『シンジ・カガワ』のテーマソングを歌って彼のチーム復帰を祝った。 香川選手が四年前ドルトモントに入団し、チームに大きな意識革命が起った。 彼が変幻自在にあらゆる場所に現れ、ボールを裁いてビッグチャンスを演出する。 このプレースタイルは試合展開が的確に読めて、しかも小回りの利く日本人選手にしか出来ない芸当である。 これを見たイングランドのファーガソン監督は自分のチームに彼をスカウトして来るが、ファーガソン監督の後任者は香川選手の存在意義を認識出来なかった。 そのため、マンチェスターユナイテッドという常勝軍団は下位に低迷する普通のクラブに転落してしまった。 今、数多くの日本人プレーヤーが海外のクラブでプレーしている。 彼らは特に身体が大きいわけではない。 足が特に早いのでもない。 キック力が優れてもいない。 ドリブルが特別に巧くもない。 細かい要素に分けて評価すると何ひとつとして優れた特徴は出て来ない。 しかしサッカーを頭で考えて、先を読みながらプレーすると言うサッカープレーの本質に照らして評価すると日本人選手は極めて優れた特質を現し始める。 どの監督にとっても一番欲しい選手に該当する選手になっている。 抽象的な概念を現実に形に表現する力が極めて優れている。 これは技術とかノウハウという抽象的な概念が理解出来ない中国人や韓国人との極めて大きな違いとなっている。 受信文化の特徴として、選択の可能性が受信者の側にあることがあげられる。 日本は海に守られて外来侵略と異民族の支配がないため、受信者の意識や都合を無視されるような押し付け、強要は全くなかった。 だから日本人は積極的に喜んで新しい文化や技術を受け入れて来た。 しかしこれを今度は自らが発信して行くとなると発信者としての意識の革命が必要となる。 日本人は他人に押し付けるのを極端に嫌う。 ここが中国や韓国との極端な違いである。 日本人はなにをやっても世界最新のものを理解し、租借し、自分の物にする力はある。 ところがこれを他の人に教えることが出来ない。 他人に強要できない。 それは彼らがこれまで誰からも強要されて来なかったからである。 自分たちはいつも自分の自由意思で存在するものを客観的な目で評価する自由と余裕を楽しめて来た。 ところが海外に出ると殆どの人は強く強要されて教わる習慣で凝り固まっている。 自由にやりなさいと言うと何も出来ない。 日本のサッカーチームを二回に亘ってワールドカップに導いた岡田武史さんが中国でプロチームを指導した。 しかし巧く行かず、三年で日本に帰って来た。 中国や韓国では権力に裏付けされて強制しないと努力をしない。 その習性は歴史の中で定着している。 だから数の論理で押しつけると言うやり方を身につけないと指導者としては成功しない。 日本人は極めて優れた感知能力を身につけて生まれて来る。 しかし、他の国はどのような優れた感性の持ち主ばかりではない。 そこが日本人がグローバル化して、世界の指導者になった時、一番苦労する問題となる。 然し、日本人の感性は世界の中で類まれなほど優れています。
お礼
たびたび、ご回答ありがとうございます。 鎖国の影響で250年の文化の遅れを、急いでいた明治時代。 私たちが想像するよりも、激動の日本だったかも知れませんね。 あと、日本のグローバル化や方向性の鍵は、国民の語学力にかかっていると思います。 やはり、英語だと思います。 その他、産業では日本の鉄工業の再生、情報電子工学の技術開発、医療従事者の派遣や医療技術の諸外国への提供、建築技術の提供等沢山あると思います。 日本の鉄工業技術者や建築家、情報電子工学技術者や医療従事者(医師をはじめ看護師さん、検査技師さん、リハビリテーション関係の技師さん)は優秀であり、高度な技術を持っていると思います。 他にも沢山の技術者がいますが、英語となると無頓着な気がします。 当面は日本国内から上記技術者とともに通訳技術者を海外に派遣する制度の確立は遅かれ早かれ必要になってくるように思います。 私自身スペイン語を学んでいて、実は日本語自体を理解できておらず、驚いたことがありました。(笑) 語学力と技術者の発信が今の日本には大切であるように思います。 ご回答ありがとうございました。
- IXTYS
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> 日本の方向性とグローバル化 こんにちは。 壮大にしてしかも最も基本的な問題についてご質問あり、とても嬉しく思います。 或る会社の主力工場で数千億円を掛けて工場を基本的に立て直したいと従業員全体に声を掛けた。 ところが誰も声を出す者がいなかった。 この会議の最後に十万円の経費予算で自転車置き場の改修工事。 これだと意見が出るは出るは。 人間と言うのはそういう者なのです。 一人殺すと殺人犯、百万人殺すと国家的な英雄となる。 ● 日本が進むべき方向性については実はGHQによるマスタープランがあります。 そのステップは(1) 先ず、新憲法を制定する。 (2) 農地解放を断行し、自作農を支援する農業試験場を各地に併設する。 (3) 財閥を解体し、自由な企業活動をサポートする。 (4) 婦人参政権を保証し、女性の社会進出を援護する。 (5) 最後にB級、C級戦犯を公職追放し、各農業協同組合を中心とした組合運動を起こし、組合活動のリーダーを中心とした民主主義運動を起こす。 このマスタープランは(1)~(4)までは円滑に進み、最後に公職追放を持って新生日本は歩き出す。 という手筈になっておりました。 ところが『好事、魔多し』とは良く言ったもの。 最後の戦犯の公職追放の直前に朝鮮戦争が勃発、東西冷戦の最前線が朝鮮半島となりました。 日本列島を至急防波堤とすべし。 この命令がホワイトハウスからGHQへ。 そこで戦犯追放は中止し、育成していた組合運動のリーダーを根こそぎレッドパージの下で追放弾圧。 マスタープランが根底からひっくり返ってしまったのです。 あれから六十有余年、日本の産業界、農業、学術研究は順調に新生日本の担い手として進歩発展を遂げています。 ただひとつ劣等性が残ってしまいました。 それが政治家の先生方です。 公職追放されるはずだった戦犯の子孫がのうのうと総理大臣の職についている。 これが日本の現状です。 政治家だけがグローバルスタンダードに著しく見劣りがしているのです。 仕方がありません。 戦犯の子孫なのですから。 見劣りするのは無理もないこと。 これをどう始末すればよいのでしょうか? これは或る工場の数千億円を掛けた再開発計画よりもむつかしいのです。 だっていくら劣等性だと言っても政治家の先生方は生きているし、生活もしているのです。 存在している者には既得権が発生します。 この先生方に少しずつ『フェードアウト』して頂いて、グローバルスタンダードに合致したリーダーを養成する責任が私たち戦前に生まれた者には残されています。
お礼
ん~そうですか… 私は今のところ政治家の先生は、よく頑張っておられると思っています。 先代と末代は人格も違えば、人も違うと思います。 私は思想や主義はよくわかりませんが、共生の時代だと思っていますので、政治家の方々は、やはり大変な立場で苦労されておられる。 今の時代、国民は都合のいいことは評価して、他人のことは知らぬ存ぜぬですから…好き勝手に言うので、言葉の暴力も多いようです。 私自身気をつけなければと思っています。 たびたび回答ありがとうございました。
- IXTYS
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現在、中国は中国共産党による一党独裁体制にあります。 しかし極く近い将来、必ず中国共産党はその支配体制を終える時を迎えます。 そしてこの広い国土は民主化運動と民族独立の強大な嵐の中に突入します。 『グローバル化』の波が40億人の住むアジア全土を席巻して行きます。 日本とて例外ではありません。 今、アジアにはグローバル化のモデルとなる国家がひとつ存在しています。 それは日本? 『NO』決して日本なんかではありません。 それはシンガポールです。 欧米先進国のグローバル企業がアジアにHQを設置する。 その際、第一番に候補地となるのがシンガポールです。 中国が民主化と民族自決の波の中でどんな生き残りを画策するのか。 恐らく巨大な都市群が特別行政特区となってシンガポールのような近代都市国家を形成しながら生き残って行くと考えられます。 日本は道州制を敷き、各道州に徴税権が付与され、各(道)州政府が強大な権限を持つ。 学校教育の使用言語は英語が基本となっている。 これによって大学の学生は広くインターネットによる授業に拠る単位の取得も自由となる。 それぞれの(道)州が単独でASEAN国家連合に加盟し、一票の投票権を得ている。 軍備防衛はASEAN軍に各国が紛争の都度、合意された兵力を派遣し分担する。 ASEANのHQは沖縄の那覇に置かれる。 朝鮮半島は北と南が単独でASEANに加盟するが、オリンピックやアジア大会には統一チームを編成して参加する。
お礼
回答ありがとうございました。 シンガポール、インドネシア、上海、フィリピン、ベトナム等の南洋はアジアの中でも日本の将来の鍵を握る地域かも知れませんね。もともと日本人はマレー人、満州人、モンゴル人、アイヌ人の混血ですから、理解し合うことができると思います。 ありがとうございました。
- kohichiro
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昔は日本も、もっと大きかった、と無学な妻が脈略もなく口走ったので驚きました。 私もたいして学はありませんが、むかしのことをるる懐かしんでも、それを未来に生かさねば、それはただの愚痴だと思います。 昔も今も(明治維新以来)日本の立ち位置と自然条件は変わっていません。2014年の第二次あべ内閣を出発点とするしかないと思います。 >過ぎ去った事は仕方がないのであるが、日本は過去に習って国際社会から孤立しないように、各国としっかり連携し、平和な社会でありますよう 基本的には賛成です。平和が続くようにという点ですが、それだけにしぼって考えれば、全方位外交、そして専守防衛に徹するということでしょう。いたずらに敵を作らず、無用に大国にべたつくことなく、経済活動で国を富ませていく以外ないと思います。とりあえずの課題は中韓、露との和解、日米間の軍事協定の改定による核のかさからの開放でしょう。米国の過剰軍事力は専守防衛には不要です。
お礼
回答ありがとうございます。アジア諸国と本当の意味で友好関係を築くことは「今後の日本の課題」だと思います。 ありがとうございました。
- hekiyu
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話は幕末にまで遡ります。 露寇事件は御存知でしょうか。 文化3年(1806年)と文化4年(1807年)にロシア帝国から日本へ 派遣された外交使節だったニコライ・レザノフが部下に命じて 日本側の北方の拠点を攻撃させた事件です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E9%9C%B2%E5%AF%87 アヘン戦争は御存知ですよね。 井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、 野村弥吉(井上勝)の5人の長州藩士が、上海経由で西洋まで 出かけ、途中の上海で中国人が奴隷のように酷使されるのを 目撃して、このままでは日本もああなる、と危機感を抱きました。 高杉晋作もやはり上海で同じ感想を抱きます。 そして明治維新になり、その後、日清日露戦争に大東亜戦争 と続きます。 これら一連の歴史を観れば、日本は西欧列強に侵略されまい と必死に頑張ってきたことが判ると思います。 ”日本は過去に習って国際社会から孤立しないように、各国としっかり連携し” ↑ 日本が好んで孤立したとお思いですか? ・アジアが一丸となって欧米列強に対抗しようとしても 頼りになる国はアジアにはありません。 ・当時は人種差別が当たり前の時代でした。 米国で黒人差別が問題化したのは1950年になって からでした。 ルーズベルトすら、人種差別に凝り固まっていました。 ○フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、 「有色人種への差別が格別に強かった」と、 ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した 英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。 キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから打ち明けられたのが 「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。 「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、 さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって 立派な文明をこの地に生み出していく。 ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」 ・こういう状況下でどうやって孤立を防げばよかった のでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。確かにそういう情勢だったかも知れませんね。
- horiisensei
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歴史から学べ、この時作者は何を思って書いたのか、など割と近い過去についても最近の教科書では曖昧にしなければならないくらいいい加減だと先日のテレビ番組でも指摘されてました。「この人、聖徳太子じゃないんかいっ」という感じの驚きです。念仏みたいに暗記させられた歴史年号も次々に訂正されています。 結局のところ正解はドラエモンが机から出てきてタイムマシーンに乗って確認しにいかないと判りません。 前置きが長くなりました。人口減確実となり多彩な学習方法が推奨されて「稼ぐ」人材は減っていくでしょう。外国の組み立て工場に単純作業で派遣されていく若者も近々な出てくるでしょう。 稼げる教育とは何か?くらい絞って人材育成しないとアカンと思ってます。勉強のための勉強では外国から益を引っ張ってこられないから。 先人からしたら近年「ブラック企業」だの労働問題で騒いでいる衆が阿呆に見えるのでしょうが「倍働け」という時代でもなさそうなので選民思想で進むしかないでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。これから、多様化した人材を単純化する作業も必要ではないかと考えています。 必要性のある分野や必要のある職業を充実させる方向で産業ごとの分散と、日本は海洋資源の活用、若者の農業従事者の増加等、工夫ができるように思います。忙しい中回答ありがとうございます。
- elegant-orgel
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で、結局何かご質問の内容ですか? この文章じゃ、日教組と思われてしまいますよ 1904年以降の日本の歴史が歪められて教え込まれた世代だとバレバレです。
お礼
質問になってませんでしたね。ご指摘ありがとうございます。 資源のない国なので、これからどのようになっていくかなとふと思ったもので、ダラダラと書いてしまいました。 失礼しました。回答して頂きありがとうございました。
お礼
度々ありがとうございます。 サッカー選手の活躍は参考になりますよね。 日本人は案外に自分達のことをよく理解しておらず、諸外国の方々のほうが、日本や日本人の本質をよく学んでおられ、「豊か」だなって思うことがあります。数年前にフィラデルフィアから高校生のホームステイを受け入れましたが日本のことをよく知っていて素晴らしいと感じました。 いつもありがとうございます。