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白村江の戦いで、倭軍の兵力の42,000人は多過ぎ
Wikiによれば,白村江の戦いで、倭軍の渡航した兵力は、42,000人だったそうです。 ところで 1、地元の百済軍は、5,000人の兵力でした。 2、元寇の役では、来襲してきた蒙古軍の兵力は、27,000人~39,700人および140,000~156,989人でした。 以上のことを考えると、倭軍の42,000人は多過ぎるように思いますが、如何でしょうか?
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他の方も指摘するように、古代の戦争については文献が頼りにならないだけではなく、当時の状況を知る術も非常に少ないので実態を把握するのは非常に難しいと思います。 で、時代的には16世紀の戦国時代より、3世紀の三国志時代のほうが近いと思います。 三国志で最も有名な戦いは赤壁の戦いであり、なんとも都合がいいことに、こちらも水軍(河川海軍ですが)の戦いです。三国志演義では曹操軍100万、なーんていわれていますが、これが「白髪三千丈」であることは異論はありません。じゃあ実数はどんなものなのか。 中国でも資料が少ない時代なので極めて困難な作業ですが、頑張った人がいて、その人によると「だいたい曹操軍が2万からいいとこ2万5千。孫権・劉備連合軍は2千かその程度ではないか」ということでした。当時の人口と補給能力を考えると「現実的にはそんな数字だろう」という点では中らずと雖も遠からずというところではないかと思います。 でね、現実的にはおそらく当時は「兵力をきちんと勘定する習慣はなかった」と思うのですよ。古代の軍隊というのは今の軍隊と違って組織化されていませんし、戦闘員と非戦闘員の境界も曖昧です。それは戦国時代でもそうなんですけどね。馬の世話をする人は非戦闘員だけど、時と場合によっては戦う(戦わされる)ことだってあったでしょう。 例えば、暴力団が「抗争や。動員せえ」となったときに、若頭が「若い衆を200人集めました」といったときにちゃんと勘定しているかっていうとしていないでしょ、絶対。「そのくらい集めました」ってことだと思います。「佐藤組が200人、田中組が150人、鈴木組が100人。合わせてだいたい500人てところか」という感じだと思います。 当時の軍隊なんてヤクザと同じで、親分が子分を引き連れてやるものですから、実数をきちんと把握している人なんて誰もいなかったと思いますよ。自己申告を山積みしただけでしょう。 だから倭軍4万は私も多すぎると思います。「それだけの人員が、メシも食えば糞もする」ということを思えば組織だった補給システムがないと到底維持できないと思います。秀吉の朝鮮出兵のときはあの石田三成らがロジスティクス(補給)を担当し、彼らが優秀だったのでそれは破綻しなかったですが、朝鮮出兵を支えていたのは石田三成らですよ。 当時の倭軍にはロジスティクスに関しては個別に対応していたか、貧弱なシステムがあったに過ぎないと思うので、ロジスティクス面から考えればもっと少ない数にならざるを得ないと思います。 ただ、当時の倭軍としては持てる水上戦力はほぼ全て投入したのではないかなとは思います。その水上戦力を使い潰したからこそ、古代最大の争乱、壬申の乱を招いたのでしょうね。
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- jkpawapuro
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私は百済軍5000ってのがいかにも少なすぎる気がするんですがねえ。 百済救援のための派兵であるなら百済兵を糾合してから戦うはずですし、唐の側が把握してないだけで実は47000のうち3分の1か半分くらい百済人じゃないかと勝手に想像してます。
お礼
早速のご回答ありがとうございました。 肝心の現地軍は少ないが、 <47000のうち3分の1か半分くらい百済人> かもしれませんね。
- SPS700
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Wikiの文は、三回に分けて派遣された、倭軍の総計です。この大小を云々する前に当時の数字についてみておく必要があるように思います。 倭国水軍の船の数は、遠山美都男『白村江』(講談社現代新書)では、『旧唐書』劉仁軌伝を引いて四百艘を焼き払った、とあり『三国史記』新羅本紀では倭国水軍の船数は千艘に及んだ、とあります。 この数に400と1,000と言う食い違いがあるのは400は「焼けた船の数」、1,000は、船の総数という違いがありますが、鈴木治『白村江』(学生社)(p。52)では、同列の食い違いと扱われています。 小さい子を殺すのは犯罪で自慢になりませんが、巨人を殺すと「ジャックと豆の木」のジャックのように褒められます。やっつけた敵の数を増やすのは、軍功を大きく見せるお決まりです。 次の世紀では、同じ唐の詩人が「白髪三千丈」と歌っていますが、いくら鬱病でも、その髭ちょっと「長過ぎ」ない?と尋ねる人は、あまり居無いように思います。
お礼
早速のお回答ありがとうございます。 400と1,000という数字の食い違いが目立ちますね。特に古代史では、事実は一体どうだったのか、が悩みの種ですね。何処の時代でも、軍勢数は、時代を経るごとに、 <やっつけた敵の数を増やす> (減少することはなく)、という法則らしいものがありますね。
- あずき なな(@azuki-7)
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そもそもあの時代の正確な資料が残ってるはずがない だいいち 当時数を正確にカウントできる機械などあったのだろうか? 戦の人数なんてのは おおよそ です 大将が見て「大体これぐらいだわ」の感覚です
お礼
早速のご回答ありがとうございました。 <大将が見て「大体これぐらいだわ」> ですね。古代史は、まず事実を捕まえるのが、大変ですね。
- tanuki4u
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ということですね。ただ、一抹不安なことは、当時の海軍力(船の数量や渡海能力なども含めて)がどのようであったか、です、 ↓ 80%くらいが到達できればいいじゃん、20%は途中で沈んでも。 くらいの大雑把さでも問題なければ渡海能力は問題ないかなぁと。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E6%88%A6%E4%BA%89 ヴァンダル戦争 ヴァンダル軍が 5万とか15万とか ローマ軍が 15,000 練度の低いヴァンダル軍が負けたわけですが、この時のヴァンダルの総人口は100万いっていなかったはず。 中国古代では人口が5000万(後漢)から一気に800万くらい(三国時代)になっていますが、実際に人口が減ったという説と、国家として捕捉できた数という説があります。 捕捉できた数 ≒ 税を取る = 兵役につかせる http://www.linz.jp/worldpop/jp07/appendix1.html ちゃんと統計の取れる 李氏朝鮮で700万人程度なので、三国に分かれていてさらに、逃げていた人口もあったかなと。 660年、唐の高宗は詔をして蘇定方に大軍13万を率いて海路より進ませ、新羅の武烈王・金庾信の軍5万と連合 ※ WIKIPEDIA 義慈王の項目より 700万 → 動員兵力20万 → 三等分 各国7万程度 と、考えると、新羅の5万というのは、根こそぎ動員っぽいし、10分の1の5千しか動員できない百済ってのは、そうとう民衆が逃げていたんだろうなぁと思います。 ※ 中国三国時代に1/7程度の徴兵率になったことと百済が1/10の徴兵率になっていたのは、まぁ同程度の国家への忠誠度(?)かなぁと思う
お礼
再三のご回答ありがとうございました。 海軍力については、遣隋使や遣唐使の悪戦苦闘をみると(渡海経路は違いますが) <80%くらいが到達できればいいじゃん> なのですね。 百済の動員数については、その位の忠誠度なのですね。 人口などからの巨視的な解析、および今昔東西に亘ている面からの解析には、ありがたかったです。
- tanuki4u
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訂正 文禄慶長 それぞれで 15万人程度の遠征軍 白村江の時代の日本 500万 秀吉の時代の日本 1500万(多く見て) 秀吉の 1/3程度である 42千人を遠征させることはそれほど異常な数値ではない
お礼
再度のご回答ありがとうございました。
- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88 全人口500万人程度 戦国時代で100万石 = 3万人の軍役 ≒ 100万人の人口 というのが概算なので 日本が根こそぎ動員すれば15万人くらいは大丈夫。 1200万人程度推定の秀吉の時代で20万人ほど朝鮮半島に遠征に出しているので人口比率的には42千人は無理な数字ではない。 ※ 秀吉の段階で西日本が根こそぎ動員だったように思う
お礼
早速のご回答ありがとうございました。 秀吉の時代と比較すると <無理な数字ではない。> ということですね。ただ、一抹不安なことは、当時の海軍力(船の数量や渡海能力なども含めて)がどのようであったか、です、
お礼
早速のご回答ありがとうございました。 1.あの有名な赤壁の戦いでも <曹操軍が2万からいいとこ2万5千。孫権・劉備連合軍は2千かその程度> なのですね。 2.当時の動員数は、各親分の <自己申告を山積み> しただけなのですね。 3.<ロジスティクス面> では、おそら充分とはいえなかったのですね。 詳しい分析、ありがとうございました。