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カンボジアについて

前に小説の「ダイヤモンドダスト」を読んだときその中に派遣医師団としてカンボジアに行ってたときの一場面に通信用の鉄塔の建設中に鉄塔に上っている人にクメール人の難民の人が地名はうる覚えなのですがたぶん「そこからプノンペンは見えますか?」ときいて鉄塔の上の人が「はい見えます」といって歓声が起こったとか書いてあったのですがいったいどう言う意味なのでしょうか?また何でクメール人の人は難民なのでしょうか教えてください。

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回答No.1

 あの、私はその小説を読んだことがないので、自信がないのですが、多分質問の中の描写から次のような背景であると思われます。  カンボジアは第2次世界大戦後、立憲君主国として出発しましたが、ソ連寄りの姿勢をとったため、ベトナム戦争を戦うアメリカはロン・ノルという人物にクーデターを起こさせて親米政権を樹立しました。しかし、これを不満をするポル・ポトを中心とするクメール・ルージュ(赤いクメールの意味)と呼ばれる極左集団が中国の支援をうけ、1970年代にロン・ノル政権を倒しました。  権力を握ったクメール・ルージュは共産主義を原理的に解釈しており、肉体労働する者、その中でも農民が最も尊く、労働しないで生活する知識人やホワイトカラーは人民の敵であるとして、知識人やホワイトカラーの人々を虐殺しました。そのうえ、ポル・ポトらは国民全体が農民として労働する必要があると考え、虐殺を免れた都市住民全員に対して農村への移住を強制し、農業に従事させました。クメール・ルージュは子供達を親から離して洗脳し、命令に逆らう者・これ以上働けない者などを容赦なく拷問にかけ、殺させました。まだ判断力のない子供のことですから、拷問は残虐を極め、人々は恐怖しました。  しかし、粛清がクメール・ルージュのメンバーにまで及ぶと、粛清の対象になったメンバーの一部は隣国のベトナムに逃亡しました。そのころ、ベトナムはソ連の援助を受けた北ベトナムによって統一されており、ソ連と中国は激しく対立していました。中国の支援をうけたクメール・ルージュを倒すことで中国に打撃を与えることが出来ると考えたソ連よりのベトナムはカンボジアからの逃亡者を押したててカンボジアに侵攻しました。クメール・ルージュはベトナム軍に敗北し、ベトナムはカンボジアからベトナムに逃亡した共産主義者を指導者とするカンボジア人民共和国を樹立しました。確か、1975年のことです。これによって、農村に強制移住させられていた人々はプノンペンなど都市に帰ることができました。質問の中に出てくる難民の人は農村に強制移住させられていた元都市住民の人で、都市に帰ることが出来て、喜んでいたのではないでしょうか。  あるいは小説の舞台は1993年でしょうか。カンボジア人民共和国が樹立された後、ポル・ポトらは元国王シアヌークを担いで民主カンボジアを名乗り、抵抗を続けました。民主カンボジアはソ連と対立するアメリカ、日本や中国などが支持しました。冷戦崩壊後、カンボジア人民共和国を構成する共産主義者たち(今日のカンボジア人民党)は複数政党制を認め、日本が呼びかけた民主カンボジアとの停戦に合意しました。ポル・ポト派以外の民主カンボジアを構成するグループも停戦に応じ、カンボジアはシアヌークを国王といただく立憲君主国に復帰しました。これによって、カンボジア人民共和国と民主カンボジアとの間の内戦は終結し、戦争の難を避けるために難民としてインドシナ半島を流浪していた人々や民主カンボジアに与していた人々も帰国することが出来るようになりました。もし、質問の小説の舞台が1990年代ならば、登場する難民はそういう事情を持った人とも考えられます。

ebinamori
質問者

お礼

たしか話の中にシアヌークとかポル・ポトといった名前がでてきていたのでご指摘のように1990年以降の話かと思われます。そういえば自分はまだ18歳ですが、小学校の頃ニュースなどでやっていた自衛隊をPKOとしてカンボジアに派遣するに当たり頻繁に取り上げられていたのはそのような背景があったんですね。ただ違憲であるために騒いでいるんだろうぐらいの認識しかありませんでしたがPKOの読んで字のごとく平和のための活動だったのですね。回答していただいた内容とは全く無縁の場所で生活している身ではありますがこうして新たな知識としてだけでも得られたことはとてもうれしく思います。 細やかな説明ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

質問者の方へ  1970年代、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが政権を掌握して、恐怖政治を行っていた頃も、ポル・ポトは形だけの指導者としてシアヌークを担いで担いでいました。アメリカによって国王の座から追われたシアヌークが中国に助けを求めたためで、1993年の停戦合意までシアヌークとポル・ポトは腐れ縁として共に行動していました。二人の名前が頻繁に登場するとしても、1975年の可能性もあります。一度、問題の小説を読み返して見てください。

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