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続・運命はあると思いますか?

以前、運命はあると思うか、といった質問の投稿を拝見し、私は「ないと思う」と回答したことがあります。 その時は、ほかの回答者の方も、質問者の方自身も大半が、「運命はある」という考えの方でした。 その根拠として挙げられたのが、当時はラブラブだった、宮崎あおい夫婦の、出会いと別れ、そして復縁と結婚のエピソードでした。 その夫婦が今は離婚しています。別に「そら見たことか」などというつもりはありませんが、改めて「運命はあるのか?」を考えるようになりました。 考えてみると、私と、その当時の肯定派の方々とは、「運命」の定義が違っていたのではないか、と思います。 私は、そういう「運命」というものは、まさに「赤い糸」のようなもので、「死が二人を分かつまで」といったような、永遠の愛を結べる「運命の相手」の存在をイメージして、「最初から決められたような、そんな運命の相手など、ない」という結論を下したのですが、もしかすると、ほかの方たちは、単純に「その時惹かれあう相手同士」ということだけの話だったのではないか、と。 「運命」とはどういうものと定義づけるかによっても、これについての意見は変わってくるかもしれません。 皆さんはどう思われますか?その根拠となったような体験談などもお聞かせいただけるとありがたいです。

みんなの回答

noname#225485
noname#225485
回答No.6

運命はあると思いますよ。 不思議な縁みたいなものかな…。 詳細は書かないけど自分と妻は偶然と言うにはあまりに運命的な出会いをしてますし…。 ただ、それを運命であると信じこむのは危険でもありますよね。 自分が運命だと感じたのは事実を知った結婚後ですから…決して運命だから結婚を決めたわけでは無いです。 結果として偶然で片付けるにはあまりに出来過ぎた出会いで有ったと言う事です。 運命とは自分で判断する物ではないと思います。 少なくとも自分でこれは運命だからと判断するのは本末転倒でしょう。 過去を辿って考えると結果として運命的であったと言う事はあると思います。

noname#198909
noname#198909
回答No.5

未来は確実にありますので、その未来が運命です。 そして産まれた時からというより宇宙が出来た138億年前から決まっています。 宇宙が出来る以前までは考えても仕方がないと思いますけど。 残念ながら誰も未来を知らないと言うだけですね。

moon-18
質問者

お礼

ありがとうございます。 個人的には、「運命など決まっていない」と思いたいですが、そうではないという考えもあるのでしょうね。 以前聞いた話ですが、「すべての原因がわかれば、すべての結果がわかり、それは定められている」といったような内容の学説を唱え、研究していた方がいらっしゃったそうです。まさに回答者様と根本的には同じ意見、ということになるでしょうか? しかし、これは現状では否定されているとか。「何事も確率によりなったりならなかったりするので、すべてが「こうなる」とは決定づけられない」ということだそうです。

回答No.4

運命なんかない。その個がどのように育ち、愛をもらったかだけ。愛をもらえなかった人は、愛をもとめる。そんな愛あげるよ。もらうよは、愛の必要性の大小によります。重いってみんなが投稿してくるが何が重いのかさっぱりわかりません。探しているんだよ。絶えず、人は。自分に必要な、愛をくれる人を。

moon-18
質問者

お礼

ありがとうございます。 恋愛に関して言えば、その「愛」を求めるために、人は自分の人生の選択を必死にしていく・・・・ 素晴らしい結果を得た時、その結果を「運命」と感じるのでしょうか・・・。

回答No.3

恋愛での場合 女が運命を感じるについては分からん! 男の場合は、運命を口にするとき、100%口説き文句!(その時だけ)                                                     以上

  • saronpass
  • ベストアンサー率13% (6/46)
回答No.2

こういった質問は 既に あなたが確立してるので あなたと同意見なら共感 異なる意見ならスルー なのだから 質問自体 意味がない

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

たぶん、ドラマティックではないけれど、まったく予想してなかったところから、ご縁というのができるのだな、という思いはしました。妻との出会いから結婚の過程ですが。 互いにカルチャースクールで同じクラスに1年違いくらいで入り、かわいい妹分が来たな、と思いながら飲んでいて、というのが半年くらいたち、 そのうちに、大学は別だけど専攻が同じで、中学から吹奏楽をやっている、というのが共通だというので、なにか意識するところができて、 忘年会から帰るときに、酔い覚ましも兼ねて川べりでも歩こうかと、彼女に道を教えてもらいながら、イルミネーションを見て歩くうちに手をつないで歩いてた、 っていう流れは、成り行きといえば成り行きで、とてもスクールに妻が入学してきたときには思いもよりませんでした。 カルチャースクールに行こう、という判断は自分がしたものの、それがきっかけで配偶者を見つけるとは狙ってもいないしそもそも思いもつかなかったのです。ただ、明らかに今までで一番のパートナーを見つけることができた、という信念はあります。 偶然も何回も繰り返せば奇跡が起きる、というネガティブな解釈もできますし、偶然でも実世界では結果は1つなのだから必然の連鎖が奇跡を生んだのだ、というポジティブな解釈もできるのかな、と、赤い糸が偶然か必然かという解釈論で「運命」の議論もかみ合わなくなるのかな、と思います。

moon-18
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに、偶然の出会い、逆に偶然の別れはそれぞれ私も経験したことがあります。 結果として自分が選んだ行動も含んでのことではあっても、そこで歯車が一つでも崩れていれば、この人と出会わなかった、結ばれなかった・・・。そしてその逆も・・・・。 それでも私が「運命というものはない」と考える理由は、そういった偶然の重なりや自分や相手がつい、とってしまった行動などで出会いや別れが発生し、最終的に、「もしあの時ああしていたら・・・」と考えても、結果は一つ。その1つだけ出た結果を見て人は、「これは運命だった・・・。」という。しかし、それは運命という、最初から決められていた線を通ったわけではなく、その人の判断や実力で結果が出ただけのこと。 「運命」というのは、後出しの予言でしかないのではないかと思うのです。

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