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白秋の「薔薇二首」の解釈
一 薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。 二 薔薇ノ花。 ナニゴトノ不思議ナケレド。 照リ極マレバ木ヨリコボルル。光リコボルル。 二首目の「照リ極マレバ木ヨリコボルル。光リコボルル。」とは死を含む生の厳かさと理解していいのでしょうか。
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これは詩歌なので「薔薇二曲」が正しく、「二首」では和歌になってしまいます。 韻文の解釈は読み手それぞれの自由といえばそれまでですが、白秋のようにきちんと筋道を明らかにしている場合では、やはり本人の意図に耳を傾けたいものです。 1. シリーズテーマ 印度更紗の言葉「光輝ク命」 「アリノママ、生キノママ、光輝ク命ノナガレニ身ヲ委ネム」 2. 第二輯詩集テーマ 白金之独楽奥書「麗ラカ」「悸キ」「光リツメヨ」 「麗ラカナレドモ悸キヤマヌワガ心ノ哀シサ…唯念々一向光リツメヨト祈ルノミ」 3. 詩集内の中見出しテーマ 麗日詩鈔 「麗日悸音」「耀ヤクモノハ日霊女牟遅」「十法法界ウララカニ」 4. 他の詩の用例 「壺二曲」 「モトヨリ悲シキ土ノクレ」「光リ極マリ壺トナル」 5. 直後の撰集 「わすれなぐさ : 抒情小詩選」の中見出し「薔薇の木」 第一曲のみ平仮名遣いで、当の第2曲はカットされている。 以上のように段階を踏んで流れを見渡してみれば、薔薇第二曲の「照リ極マレバ」は「印度更紗」の基調である「アリノママ、生キノママ、光輝ク命」の躍動のそれであり、「麗カ」にして「悸キ」の已まない「ワガ心ノ哀シサ」なのでもあり、「唯念々一向光リツメヨ」との祈りの歌なのだ、と。 しかも、4か月後に上梓された「わすれなぐさ : 抒情小詩選」では、その主張さえカットされて、ただ第一曲のみが平仮名で登場し、しかも中見出しをなしている。主張のストレート振りをカットすることで逆に、この「なにごとの不思議なけれど」のフレーズがいつまでも長く、その妙なる余韻となって、答えのない余白として残されていくのでしょう。
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- kohichiro
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そうですね、燦然と咲きにおうきらびやかなバラは白秋好みの派手な美ですが、そんな生命体の代表、絶頂に君臨するようなバラの花にもやはり終わりはある。太陽に照り映えて輝いていたバラの花がある日、一瞬にしてそこから落花して生を終える、その現象が作者はどうにも納得いかなかったのでしょう。不思議だ、残念だ、なぜあんな美しさが(私が望むように)永遠ではないのか?生命の定めとはいっても、自然とは厳しいものなんだな、というほどの気分が感じられる奥深い詩だと私も思います。 ご参考になれば。
お礼
私には特に二曲目の意味が深いように読めました。ありがとうございました。
お礼
詳細に回答いただきありがとうございました。 二首目、じゃなくて二曲目を一曲目ほど目にしない理由もよく分かりました。