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天安門事件発生当時のインパクトについて
天安門事件に関するニュースが多くありますね。 香港では追悼のために18万人集まったとか。 私は天安門事件発生時、まだ生まれていませんでした。 なので、当時の世間の反応を知ることができていません。 もしよろしければ、当時の空気やマスコミの反応など、簡単な事で構いませんので教えてください。
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当時17歳でした。「日本では簡単な報道しかされなかった」というのは、ウソです。今でも大きな事件などが起きるとニュース番組で各地から生中継して大きく報じられますが、あれと同じように連日大きく報じられました。 天安門に集まった青年たちは、ハンガーストライキなどで平和裏に抗議をしていたものの、数が集まり過ぎていてもし群衆に火がつくと大規模でコントロールできない暴動になりかねない危険がありました。実際、天安門にある毛沢東の肖像画にペンキがかけられるなど不穏な情勢になりつつあったのです。 天安門周辺を装甲車が走り抜けるあの映像は、当時ほぼリアルタイムに日本に届けられました。もちろんニュース番組は大騒ぎでした。当時、「天安門の若者たちを救うため、中国軍の一部が北京に向かい、弾圧をする部隊と戦闘状態にあるらしい」という報道もあったりして、「もしかしたら中国は内戦になるかもしれない」という空気はありましたね。 当時私は多感な年頃でしたから、自分と年齢の近い青年たちが戦車に引き潰されていると思ったら、義憤やらなにやらで眠れなかった記憶があります。あの事件で私個人が一番後悔しているのは、中国大使館への抗議デモへの参加を学校があったのでやらなかったことです。それに参加したからといって何かに影響を与えるわけではなかったけれど、何もいわないということは、やっていることを黙認しているということでもありますからね。 当時の中国と、今の中国ではかなり世相が違います。当時は中国はまだまだ貧しく、自転車が庶民の足でした。社会主義が行き詰まっていて、同じ年にベルリンの壁が崩壊しました。だから当時の中国政権首脳としては、中華人民共和国が崩壊するのではないかという恐怖がリアルにあったと思います。 だから思想に対する弾圧は今よりよっぽどピリピリしていて、当時中国ではロックは禁止だったんです。中国の若者は、エレキギターを入手することさえ困難でした。「中国の尾崎豊」というべきロック歌手ツイ・ジェンは、赤い鉢巻で目隠ししてステージに立ちました。赤い鉢巻はいうまでもなく国を意味し、「国が俺たちの目をふさいでいる」という意味にもとれる行動でしたが、これを当時の中国でやることは極めて危険な行為でした。天安門の若者たちは、そのツイ・ジェンの「一無所有」という歌を歌いました。「俺にはなにもない」という意味です。「俺たちには、何もないのだ。自由もないし、豊かさもない」というのが当時の中国の若者の嘆きだったのです。 天安門事件と、それによる若者による自由解放運動の失敗はその後中国に暗い影を落としたといえるでしょうね。天安門事件のリーダー格だった若者たちの多くは欧米に亡命し、外国での活動が期待されましたが、仲間割れをくり返してしまい人々の支持を失いました。前述のツイ・ジェンは直接天安門事件の活動には関わらなかったものの、当局の厳しいマークを受け、コンサートさえ開けない状況になります。 自由を求めた若者たちが弾圧され、たくさん殺された事件ですね。若者が戦車の前に立つ有名な写真がありますが、あの写真を見るたびに私の心は一瞬あのときの17歳の心になります。今の中国と当時の中国は別の国と思ったほうがいいような気がします。事件を受けて鄧小平は「自由はないけど、経済的に豊かになる」という路線となって、それが今の中国の繁栄につながったといえるでしょうね。
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- kotoshikos
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1989年、天安門事件が起きたときシンガポールに勤務しておりました。 そこで、当時の欧米や香港などからの報道で、中国の民主化を唱える若者達の集会を武力で解散(虐殺)する中共人民解放軍の行動(蛮行)ニュースが毎日流れていたのを覚えております。 その3年ぐらい後に、日本でNHKクローズアップ現代で取り上げられたのを見て、虐殺現場は報道されずデモ行動のみが報道され、結論として、 「天安門事件で大きな虐殺はなかった」 「学生たちは何事もなかったように引き上げて行った」 と結んでいたのには驚きました。 また、その後Youtubeでも「天安門事件で中国を民主化しようとした若者が多く虐殺された」との現場の映像が流されたのを見て驚いたものです。 この時も中国側は被害者は319人と発表しているが、遺族側は香港紙に死者は実際2600~3000人に上るとの見方を示しております。 現在でも、対中国事情を考慮したNHKの控え目な放送でさえ、中国側では10秒間の遅延放送とされており、天安門事件などの放送を行うと、画面が真っ黒に遮断され中国国民が見られないようにしております。 その上、中国共産党の政策でこの種の中国にとって不利な情報は「金盾」と言われるファイヤーウオールなどをかけネットでも見ることができないように規制されております。
お礼
>>現在でも、対中国事情を考慮したNHKの控え目な放送でさえ、中国側では10秒間の遅延放送とされており、 これは知りませんでした。そうなんですね。 日本も中国の情報統制に加担していると感じました。 自らの経験からとてもわかりやすく当時の状況を話して下さりとても助かります。ありがとうございます。
- 居眠り一等空佐(@km0710)
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一部NO.2のdoragonさんに賛成。 報道ではNHKを初めとする各局がかなり報道していましたが、当時の日本政府や外務省には親中国派が主流でしたので中国人の人権問題よりも中国との友好や経済協力が日本の国益と見なされた。 軍によって戦車や装甲車等の軍用車両で轢き殺されたり、機関銃や小銃で射殺された若者が1000人とも10000人とも言われてましたが正確な数字は発表されてなかったです。 騒乱が起きた当初は党指導部の要人によって学生達への懐柔策も試みられてましたし、警戒する軍人や若者達の間には笑顔で話す様子も有りました。 しかし、それが一変して軍の歩兵部隊がいきなり武器も持たない学生達に向かって機関銃や小銃を乱射しだした。 党指導部内の権力闘争もあったのでしょうが一気に弾圧的な強行策に出たのです。 しかし、不思議なのは何故軍人達が手のひら反した様に豹変したのか? 一説には「軍人100人が学生達によって殺害された」って言う風評が軍人の間に流れて点呼を採ると正に100人が行方不明……。「コノヤロー!」って時に上層部より射撃命令が出されたとの事でした。 実際のところ行方不明だった100人は生存していた。 当時の日本政府や外務省に本当の中国の恐ろしさや狡猾さを知る者がいたなら今の中国は無かったし、日本も脅威に感じる事も無かった。 日本が甘い顔を見せ続けた結果がベトナムやフィリピン、その他のアジア諸国に大変な迷惑と成りました。 今からでも遅くは有りません、自国民の命など虫けらの如くに殺し続ける様な国とは断絶するべきだ。 20世紀以降一体何百万人の中国人が共産主義者に殺された事だろう。 天安門?…………はっきり言ってゴミや塵の如くに小さい出来事ですよ、文革に比べたらね。
お礼
>>党指導部内の権力闘争もあったのでしょうが一気に弾圧的な強行策に出たのです。 そんな策があったのですね。 文化大革命については…あの有名な写真は子供の頃トラウマになりました。 まだ詳しいところは把握していないで、調べてみます。 詳しいご回答ありがとうございます。
- dragon-man
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欧米で大事件としてはかなり批判的な空気が流れ、センセーショナルな報道がされましたが、日本はそれほどではありませんでした。テレビのニュースなどでも簡単な報道しかなされませんでした。これは当時の日本人、特に政府、マスコミ関係者に日中国交回復以来の親中国的な心情が残っていたからです。欧米はかなり厳しい経済制裁を課しましたが、日本はいち早くODAなどを再開しました。欧米と違い、中国に批判的なマスコミ報道も控えられました。そのため、まだ経済躍進前の貧しい中国に、一時的に親日的空気が生まれましたが、同時に欧米とは異なる日本の脇の甘さを中国に教えてしまいました。その後経済躍進が始まった江沢民時代に反日運動が盛んになり、今に至っているのはこの時の中国甘やかしが影響しています。この事からも分かるように、中国に甘い顔を見せて良いことは何もありません。この期に及んで未だに親中国的意見を言う人は反省が足りていません。朝日新聞やNHK、民主党の一部、公明党などのことです。彼らは国を誤らせます。
お礼
回答ありがとうございます。 虐殺に関しては断固反対を貫いて欲しかったですね。。。
- tzd78886
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図書館などで当時の新聞を読むことをお勧めします。当時はゴルバチョフのペレストロイカなど、東側諸国の民主化が広がっていたころで、「中国もそうなるのか」と思った人は多かったはずです。それが一気に崩れた瞬間でもありました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 歴史的な事件ですよね。 調べてみます。
お礼
>>あの写真を見るたびに私の心は一瞬あのときの17歳の心になります この言葉に心が揺れ動きました。 やはりあの有名な写真は事件当時のことを思い起こすのですね。 当時のリアルな状況を教えて下さり大変参考になります。ありがとうございます。